SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume6 No.2

時間分解硬X線光電子分光による重い電子系における価数転移・価数揺動現象の動的観測
Dynamical Observation of Valence Transitions and Fluctuations in Heavy Fermion Systems by Means of Time-Resolved Hard X-Ray Photoemission Spectroscopy

DOI:10.18957/rr.6.2.403
2014B8019 / BL3

松波 雅治a, 大浦 正樹b, A. Chainanib, L.-P. Oloff c, 藤森 伸一d, 田中 義人e, 松下 龍樹e, 白石 龍太郎e, 富樫 格b

 

Masaharu Matsunamia, Masaki Ourab, Ashish Chainanib, Lars-Philip Oloff c, Shin-ichi Fujimorid, Yoshihito Tanakae, Ryuki Matsushitae, Ryutaro Shiraishie, Tadashi Togashib

 

a(共)自然科学研究機構, b(国研)理化学研究所, cキール大学, d(国研)日本原子力研究開発機構, e兵庫県立大学

 

aNational Institutes of Natural Sciences, bRIKEN, cUniversity of Kiel, dJAEA, eUniversity of Hyogo

 

Abstract

 本研究では、一次の価数転移を示す YbInCu4 に対してSACLAにおけるポンプ・プローブ型時間分解硬X線光電子分光(HAXPES)を行った。XFELによる光電子の空間電荷効果を抑えた条件下においても価数転移によるYb 3d 内殻スペクトルの変化を観測することができたが、一方でそのような条件下ではポンプ光とプローブ光の遅延時間依存性、およびポンプレーザー光の強度依存性ともに有意な変化を見出すことはできなかった。


Keywords: XFEL、ポンプ―プローブ、価数揺動


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背景と研究目的:

 価数揺動とは、主に希土類イオンの価数が時間的・空間的に揺らぐことでその平均値が非整数となる現象のことである。この価数揺動現象に関する研究は、f 電子が示す局在/遍歴の二重性に基づいた重い電子系の研究と密接に関連していて、非常に長い歴史をもつ。本研究で取り上げる YbInCu4 においては,42 K を境にして高温のYbが +3 価の状態から低温の約 +2.75 価の価数揺動状態へと一次転移を起こす [1] 。これは高温相ではフェルミ面に一切関与していなかった 4f 電子が、低温相では伝導電子との混成を通じてフェルミ面に顔を出すことによって重い電子状態を形成するためと考えられる。その際、準粒子キャリアの緩和時間はフェムト秒からナノ秒の広いスケールに渡って変化すると予想される [2] 。したがって、この系の価数転移のダイナミクスを調べるということは、元々原子位置に局在していた 4f 電子が僅かに遍歴し始めることにより重い電子状態が出現する過程を観測することを意味しており、重い電子系の微視的な形成メカニズムに関する重要な知見が得られると期待される。また、重い電子系や価数揺動系のポンプ・プローブ分光に関しては、これまで主に赤外線レーザーをプローブとした方法によっていくつかの報告がされてきたが [2] 、本研究のようにYbの内殻を利用することによってYbイオンの価数を直接決定できる硬X線光電子分光(HAXPES)[3] は価数揺動・価数転移現象を研究する上で極めて有用である。

 以上の背景に基づいて、本研究では一次の価数転移を示す YbInCu4 に対してSACLAにおけるポンプ・プローブ型時間分解HAXPES実験を行い、この系が示す価数転移の起きる"瞬間"のバルク電子構造の変化をダイナミックかつ直接観測し、そのメカニズムを解明することが目的である。また実験技術の観点からは、これまで我々のグループが取り組んできたSACLAにおける固体HAXPES [4-7] の測定対象を、フラットで大きな測定表面が得られる薄膜試料だけではなく、大きな劈開面が得られないバルク試料等の一般的な系に拡張するための第一歩としての意義も含んでいる。

 

実験:

 時間分解HAXPES実験はSACLAのBL3-EH2で行い、XFELのエネルギーは 5 keV、繰り返し 30 Hz の非集光ビーム(試料上で概ね ϕ 0.7 mm)とし、ポンプ光としてはTiサファイヤレーザー(波長 800 nm)を用いた。光電子の空間電荷効果を低減するためのXFELの減光は、ビームラインに複数用意されているAlとSiによるアッテネーターを組み合わせて行った。光電子分光測定にはScienta社の静電半球型アナライザーR4000-10kVを用いた。高い効率で光電子計測を行うため、パスエネルギーは 500 eV、スリットのサイズは 1.5 mm とした(全エネルギー分解能は評価していないが、少なくとも 1 eV 以上であったと考えられる)。試料の清浄表面は YbInCu4 単結晶を測定前に超高真空下で破断することによって得た。実際に得られた表面のサイズは 3×3 mm2 程度であった。試料の温度は液体ヘリウムフローによって制御した。ポンプレーザーとSACLAの遅延時間の較正(遅延時間ゼロの決定)に関しては SrTiO3 薄膜試料に対するSr 2p 内殻スペクトルの測定を行い、空間電荷効果によるスペクトルの時間変化(ピークシフト)を観測することによって行った。

 

結果および考察:

 YbInCu4 の時間分解HAXPES測定を行う前に、今回のセットアップにおけるXFELによる光電子の空間電荷効果を評価するための予備実験を行った。図1にSi単結晶試料(非清浄表面)に対してSACLAを用いて測定したSi 1s 内殻スペクトルのXFEL光強度依存性を示す。XFELの減光は3つの条件(28.4、8.08、2.3 %)で行った。参照データとしてプロットしたSPring-8のBL19LXU( = 8 keV)で測定した結果(横軸は適当にシフトした)と比較すると、減光していない 100 % のスペクトルにおいては、空間電荷効果によって非常に大きなピークシフトとブロードニングが起きており、これらは減光とともに抑制されていくことがわかる。この結果から、今回の測定においては 28.4% 以下までXFELを減光すれば、空間電荷効果によるスペクトルへの影響(ピークシフトとブロードニング)を抑えてある程度意味のある結果が得られると判断した。なお、SPring-8の参照データとの比較においては、エネルギー分解能の違い(参照データは 250 meV の分解能)が大きい点に注意が必要である。

図1. Si単結晶のSi 1s 内殻スペクトルのXFEL光強度依存性。参照データとしてSPring-8で測定したデータを適当にシフトしたものもプロットしてある。

 

 図2に YbInCu4 のYb 3d 内殻HAXPESスペクトルの温度依存性(a)、遅延時間依存性(b)、およびポンプレーザーの強度依存性(c)の結果を示す。全てのスペクトルは表示範囲内の積分強度で規格化してある。図2(a)より、価数転移温度(~ 40 K)を挟んで低温の 30 K のスペクトルでは運動エネルギー 3475 eV 付近の Yb2+ 成分が増大し、また運動エネルギー 3465 eV 付近の Yb3+ 成分が減少していることから、価数転移によるスペクトルの変化を観測できていることがわかる。ただしこれらはスムージングをかけた上でこのレベルのS/N比のスペクトルを得ており、そのための一つの測定に3時間程度を要している。図2(b)は、低温相(30 K)のまま強度 20 μJ のポンプレーザーを照射し、遅延時間ゼロ付近(±4 ps)でのスペクトルの時間変化の結果であるが、スペクトルのS/N比を越えるような大きな変化は見られなかった。図2(c)は、低温相(30 K)で遅延時間ゼロの条件で、ポンプレーザーの強度を 50 μJ、200 μJ へと上げていった際のスペクトル変化を示したものであるが、これに関しても遅延時間変化と同様に有意な変化は見られなかった。以前の我々のSPring-8のHAXPESの結果によれば、強いレーザーでポンプすることによって低温相の YbInCu4 を高温相へと価数転移させることが可能である [4] 。したがって、今回の結果は非本質的な要因によって価数転移が観測できなかったと考えらえる。その原因としては、例えばポンプレーザーとXFELの試料表面上での照射位置が正確には一致していなかった、あるいは測定が長時間にわたったことと大強度レーザーを照射し続けたために試料表面が劣化して価数転移を示さなくなっていた、といったものが考えられる。いずれにしても現状のセットアップにおいて、今回のように非集光ビームを小さな試料の観察に適用する場合、斜入射配置により検出効率を稼ぐことは困難である。そのため、小さな試料を観察する場合、マイクロビームに集光したXFELを利用 [6] することが一つの解決策として考えられる。ただし、その場合には試料により強烈なパワー密度のXFELビームが照射されるため、試料の劣化を防ぐためにも、観察条件をより慎重に探る必要がある。SACLAを用いた時間分解HAXPES測定を効率良く行うには、試料の選定も含めて更なる工夫が必要であると考えられる。

図2. YbInCu4 のYb 3d 内殻HAXPESスペクトルの温度(K)依存性(a)、遅延時間(ps)依存性(b)、およびポンプレーザーの強度(μJ)依存性(c)。(a)における 30 K と(c)における 0 μJ のデータは同じものである。

 

まとめと今後の課題:

 本研究では一次の価数転移を示す YbInCu4 に対してSACLAにおけるポンプ・プローブ型時間分解HAXPESを行った。XFELによる光電子の空間電荷効果を抑えた条件下においても価数転移によるYb 3d 内殻スペクトルの変化を観測することに成功した。しかしながら、そのような条件下では、ポンプ光とプローブ光の遅延時間依存性、およびポンプレーザーの強度依存性ともに、現実的な測定時間の範囲内で有意な変化を見出すことは難しいことがわかった。その原因としては、試料の大きさや対象となる内殻準位(この場合はYb 3d )の光イオン化断面積の大きさ、試料の大強度レーザーに対する劣化耐性等の複合的な要因が考えられる。

 

参考文献:;

[1] I. Felner and I. Nowik, Phys. Rev. B, 33, 617 (1986).

[2] J. Demsar et al., Phys. Rev. Lett., 91, 027401 (2004).

[3] H. Sato et al., Phys. Rev. Lett., 93, 246404 (2004).

[4] M. Oura et al., Trans. Mat. Res. Soc. Jpn., 39, 469 (2014).

[5] L.-P. Oloff et al., New J. Phys., 16, 123045 (2014).

[6] L.-P. Oloff et al., Sci. Rep., 6, 35087 (2016).

[7] 大浦正樹ら、放射光, 29, 14 (2016).

 

ⒸJASRI

 

(Received: February 28, 2018; Early edition: March 29, 2018; Accepted July 3, 2018; Published August 16, 2018)