Volume6 No.2
SPring-8 Section C: Technical Report
軽元素材料の低侵襲ナノスケール観察を目指した結像型軟X線顕微鏡の開発
Development of the Full-Field Imaging Microscope for Nanoscale Analysis with Minimal Radiation Damage
公益財団法人高輝度光科学研究センター
JASRI/SPring-8
- Abstract
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ウォルター鏡を対物レンズとして使用した、結像型の軟X線顕微鏡開発を行った。本課題ではその第一段階として、フレネルゾーンプレートを対物レンズとして使用した顕微鏡を製作し、軟X線画像検出器・光学素子の精密位置調整機構など、顕微鏡の構成要素の開発・テストを行った。さらに、それらを使用したイメージングテストを行い、約 200 nm の空間分解能で二枚貝殻の顕微分光観察に成功したことで、開発したシステムに大きな問題が無いことを確認した。引き続き、対物レンズとして32倍の拡大率を持つウォルター鏡を搭載し、全反射鏡を対物レンズとして使用する場合の問題点の洗い出しを主目的とした課題を実施した。
キーワード: 軟X線、顕微イメージング、結像型顕微鏡、ウォルター鏡
背景と研究目的:
近年のX線集光技術の進歩によって、100 nm サイズの集光X線を利用した試料観察は汎用的な分析手法となりつつある。それにともない、X線を利用して微小領域の電子状態・化学状態を分析することは、現在の放射光科学では欠かすことができない分析手法の一つとなってきた。軟X線の領域では、STXM(Scanning Transmission X-ray Microscopy)と呼ばれる装置が登場し、安定的に 100 nm 以下の空間分解能で軟X線吸収分光測定が可能となっている[1]。さらに、本装置はすでに既製品として市販され、その利用は世界中で定着しつつある。一方で、集光X線を利用する走査型の顕微鏡では微小領域に軟X線を集中させるため、有機物や生体試料を中心に、試料の照射損傷が大きな問題となっている[2]。このような問題を克服する手法として、結像型のX線顕微鏡を挙げることができる。結像型顕微鏡では、試料に照射する軟X線は極度に集光していないため、集光X線を使用する走査型と比較すると照射領域の光子密度が低く、照射損傷の低減が期待できる。また、試料像を随時観察可能であるため、結像型の顕微鏡では、計測中においても試料の全体像を視覚的に把握できるとともに、時分割測定やCT観察への応用を図りやすいという利点もある。
いずれの軟X線顕微鏡においても、現在使用されている光学素子の主流はフレネルゾーンプレート(FZP)であり、吸収分光と組み合わせた顕微イメージングにおいては色収差の問題を抱えている。本研究では、結像素子として色収差をもたないウォルター鏡を使用し、吸収分光測定と組み合わせても焦点位置の補正を必要としない軟X線顕微鏡の開発を目指している。アッベの正弦条件を満足するウォルター鏡は、理想的な光学素子であることは古くから知られているが、その加工の困難さから広く普及するには至っていない。近年では、硬X線領域で開発された高精度な光学素子の研磨技術を応用し、ウォルター鏡やそれに類似する形状を有する光学素子の開発も活発に行われる様になっている。また、近年、ウォルター鏡をタンデム配置することにより、短い光路長で大きな拡大率を実現できる手法が提唱され、その実証実験が行われている[3]。
本研究では、集光した光学系を用いる走査型のナノスケール解析が広く普及している現在の状況に対して、それらの装置と相補的に利用可能な結像型の軟X線顕微分光装置を開発する。特に、照射損傷の影響を受けやすい有機材料などを低侵襲で観察可能とすることを目指す。ここでは開発の第一段階として、市販のFZPを対物レンズとして使用することで、軟X線画像検出器・光学素子の精密位置調整機構などの基盤要素の開発、および、それらを使用したイメージングテスト測定を実施した。その後、対物レンズとしてウォルター鏡を搭載した顕微鏡へと装置を展開し、対物レンズとして全反射鏡を使用する場合の問題点の洗い出しを実施したので報告する。
実験:
測定は、BL27SUにおいて実施した。図1に本研究で使用した軟X線顕微鏡の写真を、また、図2には、32倍の倍率を持つウォルター鏡を対物レンズとして搭載した場合の光学配置を示した。対物レンズならびに測定試料は同一の真空槽に導入した。対物レンズの位置調整機器には、真空容器の小型化ならびに正確なアライメント走査の観点から、1台のステージで6軸を独立に制御可能なヘキサポッド型を採用した(PI社製H-811)。ヘキサポッドステージは、光軸に対して光学素子の平行移動(X, Y, Z)ならびに回転動作(θx, θy, θz)の6軸の精密調整が可能で、平行移動に対して 0.5 µm、回転動作に対して 3.5 µrad の最少駆動量での光学素子の調整が可能である。測定試料は、パルスモーター制御のXYZステージにより分析槽の上部から導入した。また、拡大結像された試料像は、背面照射型フレームトランスファCCD検出器(浜松ホトニクス製:ORCA II C11090-22BSPL)で検出した。カメラのピクセルサイズは 13 µm、素子数は 1024×1024 ピクセルである。顕微鏡を構成する全ての機器は、一枚の光学定盤で構成されたエアダンパー付きの除振台上に設置した。すべての機器を一体のステージ上に配置することで、振動の影響を受けにくいと予想している。また、分析槽とCCDカメラはそれぞれ独立のXYキャリヤー上に設置されており、光軸に対して独立に位置調整を行うことが可能であるとともに、顕微鏡の光学配置を容易に変更可能となっている。
図1: 結像型の軟X線顕微鏡の外観(左)ならびに、光学素子周辺配置(右)の写真
図2: 本課題におけるウォルター鏡を用いた軟X線顕微鏡の光学レイアウト
ウォルター鏡を使用する前段階の開発として、市販のFZPを対物レンズとして使用し、光学素子を除く顕微鏡の性能確認試験を実施した。ここでは、NTT-AT社製(FZP-C100/155)を使用した。FZPの最外輪帯幅は 100 nm であった。また、ウォルター鏡を対物レンズとして行った測定では、筑波大で製作された光学素子を使用した。いずれの測定においても、ビームラインに常設された後置鏡(試料から 3.5 m 上流に焦点を持つトロイダル鏡)からの発散光を照明光とし、四象限スリットで整形して試料に照射した。
結果及び考察:
(1) FZPを光学素子とした顕微鏡システムのテスト
FZPを対物レンズとして使用し、Cuメッシュ(#1,000)を試料としたイメージング測定を行うことで、顕微鏡を構成する各機器のテスト・調整を実施した。測定は、図2の光学配置でウォルター鏡の位置にFZPを配置し、試料 - FZP - 検出器間の各距離をFZPのパラメータに合わせて最適化することで試料像を得た。FZPを用いた測定においても、照明光学系には特別な光学系を構築せず、ビームラインに設置された後置鏡からの光をそのまま利用した。
図3に、550 eV の励起光で撮像した試料像を示した。メッシュ間隔の計測から、実質的な顕微鏡の倍率は285倍と見積もられた。また、空間分解能をメッシュのエッジ立ち上がりとして定義すると、強度プロファイルの微分から得られた半値全幅は5ピクセルであった。顕微鏡の倍率から決定された検出器の実効画素サイズは 45.6 nm であることから、空間分解能は約 230 nm と見積もられた。使用したFZPの最外輪帯幅から期待される回折限界は 122 nm (3ピクセル相当)であり、検出器の実効画素サイズを考慮すると、ほぼ期待される性能を達成していると思われる。それにより、構築した顕微鏡にはシステムとして大きな欠陥は無いことを確認した。ここで示した試料像は2秒積算して得られたものであるが、300ミリ秒程度まで撮像時間を早くしても同等の試料像を得ることができた。それにより、この空間分解能での測定においては、装置の振動等の大きな影響は無いことも確認された。一方で、試料像の背景に同心円状の模様として、FZPの輪帯構造に起因するスペックルが観測されている。波長が長い軟X線領域ではコヒーレント比が高いことから、イメージング測定ではスペックル対策が必要になることが、今後の課題として確認された。
図3: 550 eVの励起光で観察した、#1,000Cuメッシュの軟X線観察像
(2) FZPを光学素子とした顕微イメージングのテスト
薄片化したタイラギ貝の殻を試料として、殻の主成分である炭酸塩中の酸素の化学イメージング観察を試みた。図4にSEMで観察した試料像(左)ならびに、酸素の吸収端を利用し、異なる励起エネルギーで観察した試料の透過像を示した。525 eV は酸素の吸収端の低エネルギー側に位置するために試料像はほぼ透明であり、観察された薄い試料像は、主に炭酸中の炭素の吸収によるもとであると考えられる。また、試料上部に強い吸収が見られるが、この部分は殻の外周部に当たる。二枚貝においては外周部に殻皮などの有機物層が存在することが多いため、そのような有機物中の窒素や炭素の吸収によるもと推測される。一方で、X線エネルギーを変化させ、540 eV で測定した画像は全体として陰が濃く、強く吸収が起こっている。このエネルギーは、酸素の強い吸収があるエネルギーと対応していることから、炭酸塩中の酸素の分布を観察していると考えられる。さらに高エネルギー側に変化させてゆくと、酸素の共鳴吸収領域を通り過ぎるために再び試料の吸収が低下していることが確認できる。一連の測定から、200 nm 分解能レベルの測定に対しては、開発した顕微鏡で化学イメージング測定に使用可能であることが確認された。一方で、FZPを使用しているため、使用するエネルギーの変化に応じて、色収差の影響によって光学系の再調整が必要であるとともに、像の倍率が変化するという欠点が改めて認識された。
図4: タイラギ貝殻の炭素吸収端で得られた顕微イメージング像
(3) ウォルター鏡を光学素子として用いた結像型顕微鏡(32倍)の動作テスト
次に、色収差を持たない全反射鏡を対物レンズとした、顕微鏡へと開発を進めた。本課題では、32倍の拡大率をもつウォルター鏡を用いて顕微鏡を構築し、Cu(#1,000)メッシュを試料としてイメージング測定テストを実施した。
図5に 550 eV の励起光で測定したCuメッシュ像を示す。測定では、ビームライン後置鏡からの発散光を照明光学系として結像テストを行ったが、使用したウォルター鏡の入射角(200 mrad)まで入射光の発散角を広げることができず、図2の配置では試料像を得ることができなかった。そこで、入射光に対して顕微鏡を全体に約 10° 傾け、円筒状のミラーの一部を利用した試料観察を行った。測定の結果、図4に示すメッシュ像を観察することはできたものの、ミラーの全面を使用していないことから外周部で若干の像の歪みが見られるとともに、FZPを使用した場合と同様に、入射光のコヒーレンスが高いことからスペックルと思われる入射光強度の強い不均一性が観測された。
図5: 550 eVの励起光で観察した、#1,000Cuメッシュの軟X線観察像
今後の課題:
以下に、一連の測定で得られた結果および、今後の課題をまとめた。
① 200 nm 分解能の結像型軟X線顕微鏡:FZPを対物レンズとして使用した、結像型の軟X線顕微鏡を構築した。200 nm 分解能での化学イメージングに成功した一方で、FZPを用いる光学系では色収差の影響があるため、エネルギー変化に対する倍率や焦点の変化という課題は残った。
② スペックル対策:波長が長い軟X線領域では、励起光に多くのコヒーレント成分を含んでいるため、コヒーレント成分に由来するスペックルが顕著に観察され、画像のバックグラウンド構造として観察された。その対策として、軟X線領域で使用可能、すなわち真空中で高速回転可能なディフューザーが必要である。軟X線対応のディフューザーは設計を完了し、今後、試作機を製作して開発を進める計画である。
③ 照明光学系の最適化:アンジュレータを光源とするビームラインであるため、入射光のエミッタンスが小さく、ウォルター鏡が要求する発散角の照明光を利用することが困難であることが大きな課題となった。今後、ウォルター鏡と整合した照明光学系の設計・開発を行い、顕微鏡を完成させる計画である。
謝辞:
本研究は、科学研究費補助金・新学術研究領域「宇宙分子進化」(25108003)の支援を得て実施した。
参考文献:
[1] A. P. Hitchcock et al., Ultramicroscopy, 88, 33 (2001) など
[2] J. Electron Spectrosc. Relat. Phenom., 170 (2009) において、試料損傷問題に関する特集が企画されている。
[3] 星野真人、「ウォルター鏡を用いた、三次元イメージングX線顕微鏡の開発」 博士論文 (2008).
ⒸJASRI
(Received: October 3, 2017; Early edition: January 31, 2018; Accepted July 3, 2018; Published August 16, 2018)