SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume6 No.1

SPring-8 Section B: Industrial Application Report

保湿剤がヒト角層細胞間脂質の構造変化に及ぼす影響の検討(2)
Effects of Moisturizer Application on Structural Changes of Human Stratum Corneum (2)

DOI:10.18957/rr.6.1.129
2016B1578 / BL40B2

羽深 朱里a, 難波 美沙a, 小林 加奈a, 大畑 哲也a, 山田 武a, 八田 一郎b

Akari Habukaa, Misa Nambaa, Kana Kobayashia, Tetsuya Ohataa, Takeshi Yamadaa, Ichiro Hattab

a阪本薬品工業株式会社,b(公財)名古屋産業科学研究所

aSakamoto Yakuhin Kogyo Co., Ltd., bNISRI

Abstract

 保湿剤として汎用されるグリセリンや 1,3-ブチレングリコールの角層に対する保湿機構を解明するため、前検討でこれらを作用した角層の乾燥時の構造変化を小角・広角X線回折により測定した。その結果、保湿剤の種類により乾燥時の構造の変化に差は見られたが、湿潤時の影響をあわせて評価することの重要性が示唆された。そこで本検討では、保湿剤を作用した角層の湿潤、乾燥による一連の変化を連続的に測定する方法の確立に向け、検討を行った。試料セルに固定した角層について保湿剤の作用から乾燥までを同一の試料を用いて連続的に評価したところ、小角・中角領域に見られる角層構造の格子面間隔(d)は作用により拡大し、乾燥により縮小することが確認された。また、その変化は作用する保湿剤により異なった。今後、この方法を用いて保湿剤の影響の評価が可能と考えられる。


キーワード: ヒト角層、細胞間脂質、多価アルコール、小角広角X線回折

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背景と研究目的:

 化粧品や医薬品などの皮膚外用剤には、保湿を目的に多価アルコールなどの保湿剤が配合されている。我々は、ヒト皮膚角層の静電容量の測定から、作用する多価アルコールの種類によって角層中の水分量が異なり、水分量が高い状態を持続する時間も異なることを確認した[1]。

 これまでに、多価アルコールの角層に対する作用機構を解明するため、グリセリンあるいは 1,3-ブチレングリコール水溶液に1時間浸漬した角層を試料とし、乾燥時における角層構造の経時変化を小角・広角X線回折により測定している[2,3]。その結果、細胞間脂質が形成する短周期ラメラ構造の乾燥時の層間距離の変化から、グリセリン水溶液を作用した角層では短周期ラメラ構造中の水分が保持されることが明らかとなった。また、乾燥前の湿潤した状態の角層のプロファイルは、多価アルコール水溶液の種類によって形状が異なり、湿潤時の角層構造にも影響を及ぼしていると考えられた。しかし、角層試料は個体差や部位差により、プロファイルの形状が異なるため、多価アルコールの種類による影響を把握するには、同じ試料の同一の試料位置について湿潤時と乾燥時を連続的に測定し、角層の構造変化について評価することが重要であると示唆された。

 そこで本課題では、角層の同一の試料位置について、多価アルコール水溶液を作用する前、作用による湿潤時、溶液除去後の乾燥時の一連の変化を連続で小角・広角X線回折測定する方法の確立を目指し、検討を行った。また、グリセリンあるいは 1,3-ブチレングリコール水溶液を作用した角層の測定により、それぞれの保湿剤が角層の構造変化に及ぼす影響を評価した。

 

実験:

測定試料:

 水分量を 10 wt% に調製したヒト腹部由来の角層 ( BIOPREDIC International 社) を約 1 cm2 切り出して測定用の角層試料 (SC) とした。保湿剤として多価アルコールにグリセリン、および 1,3-ブチレングリコール、比較対照に水を用いた。

測定方法:

 本課題では試料セルの改良を予定していたが、まずは既存の試料セルの「溶液セル」[4]を用いて作用過程と乾燥過程が連続で測定できるかを判断した。PEEKフィルムで覆われた試料部にガラス製のろ紙で角層試料を固定した。溶液を作用する前の角層、および溶液セル内に溶液を注入してから30分後までの湿潤時の角層構造の経時的な変化を小角・広角X線回折測定した。その後、溶液セル内の溶液を除去し、角層試料を乾燥した。試料の乾燥を促進するため、溶液セルに窒素ガスを流量 0.3 L/min で通気し、乾燥直後から30分後までの経時変化を測定した。

測定条件:

 ビームラインBL40B2を使用し、X線のエネルギーは 15 keV (波長 0.083 nm)、カメラ長は 540 mm (ベヘン酸銀で較正) として小角・広角X線回折測定を行った。検出器にはイメージングプレート (R-AXIS-VII、300 mm × 300 mm) を用い、露光時間を 30 s として、180 s 間隔で経時変化を測定した。

解析条件:

 散乱像を一次元化したのちバックグラウンドを除外することで回折プロファイルを得た。回折プロファイルのそれぞれのピークをガウス関数によりフィッティングすることで解析値を得た。

 

結果および考察

 グリセリン濃度10 wt%の水溶液を作用した際の角層プロファイルを図1に示す。溶液を作用する前(SC)、10 wt% グリセリン水溶液を30分間作用した後 (w30)、作用後に30分間乾燥した後 (d30)の角層プロファイルを示している。散乱ベクトル (q) 1 nm−1 付近に細胞間脂質が形成する周期構造約 6 nm である短周期ラメラ構造、q = 6 nm−1 付近に角層細胞のソフトケラチン構造、広角領域の q = 15、17 nm−1 付近に細胞間脂質の脂肪酸鎖の充填構造である六方晶 (0.42 nm) と直方晶 (0.37 nm、0.42 nm) に由来するピークが検出された。これらのピークは溶液を作用し、湿潤することによりピーク位置や強度の変化が見られ、さらにこの角層を乾燥することで、溶液の作用前とほぼ同じピーク形状となった。


図1. 10 wt% グリセリン水溶液を作用した角層のプロファイル

(a) 全体像、(b) 小角領域 (q = 0.5-1.8 nm-1)、(c) 中角領域 (q = 3-10 nm-1)、(d) 広角領域 (q = 10-18 nm-1)

 

 小角領域の短周期ラメラ構造に由来するピークの位置から、溶液を作用する前の角層の短周期ラメラ構造のd 値 (d0) を算出し、湿潤、乾燥時の d 値を規格化した値 (d/d0) の経時変化を調べた (図2)。湿潤時には、いずれの溶液の作用においても d 値は増大した。d/d0 の変化量は、いずれの多価アルコール水溶液の作用においても、水と比較して少なかった。乾燥時には、いずれの溶液においても d 値は経時的に減少し、1,3-ブチレングリコール水溶液や水に比べ、グリセリン水溶液を作用したものでは変化量が少なく、緩やかに減少した。短周期ラメラ構造の格子面間隔は、短周期ラメラ構造の層間に存在する水分が、水溶液の作用により増加することで増大し、乾燥により水分が蒸散することで減少したと考えられる。湿潤時と乾燥時のd値の変化から、短周期ラメラ構造の水分の挙動は、多価アルコールの種類によって異なることが示唆された。


図2. 短周期ラメラ構造の d 値の経時変化

 

 中角領域のソフトケラチン構造に由来するピークについても、短周期ラメラ構造と同様の方法でd値を規格化し、経時的な変化を調べた。湿潤時の変化に関しては、グリセリン水溶液を作用した角層では d 値が僅かに増大し、水あるいは 1,3-ブチレングリコール水溶液の作用で d 値が大きく増大した。乾燥時については、1,3-ブチレングリコール水溶液を作用した角層では、乾燥直後から格子面間隔が縮小し、角層細胞内の水分の急激な減少が示唆された。水やグリセリン水溶液を作用した角層では格子面間隔の縮小は穏やかで、グリセリン水溶液を作用した角層の変化が最も少なかった。

 小角・中角領域の結果から、1,3-ブチレングリコール水溶液を作用した角層では、乾燥直後から角層細胞内の水分が蒸散し、角層全体の水分量の減少に伴って短周期ラメラ構造中の水分も徐々に減少し、10分後には角層中のほとんどの水分が蒸散したことが示唆された。一方で、グリセリン水溶液では、角層構造の変化は穏やかで、水分の蒸散が抑えられていると考えられた。

 広角領域の細胞間脂質の脂肪酸鎖の充填構造である六方晶や直方晶に由来するピークは、いずれの溶液の作用においても僅かに小角側へシフトしたが、乾燥時の変化については傾向を見出すことは出来なかった。

 

今後の課題:

 本検討では、溶液セルを用いて保湿剤溶液の角層への作用から乾燥までを連続的に評価した。多価アルコールの角層に対する影響を評価することにより、特に乾燥初期の10分以内における短周期ラメラ構造やソフトケラチン構造の振舞が、多価アルコールの種類によって大きく異なることが明らかとなった。また、湿潤の初期においても大きな変化を示しており、これらの湿潤・乾燥初期の短時間の角層構造の振舞を評価することにより、多価アルコールの作用機構を解明することができると考えられた。さらに、多価アルコールの作用によって短周期ラメラ構造の振舞に差が見られたことから、細胞間脂質の充填構造に由来するピークも振舞が異なると考えられる。しかし、現状ではこれらのピークの変化に関する傾向の把握には至っていない。これらの傾向を把握するには、個体差による問題を解消する必要があり、複数の角層試料の測定が不可欠である。今後、それぞれの多価アルコールの分子構造による保湿機構の違いを解明し、更には複数の多価アルコールを併用した際の効果の解明へ繋げたいと考える。

 

参考文献:

[1] A. Tomiie et al., J. Oleo Sci., 65, 681 (2016).

[2] 山田武 他、利用課題実験報告書 (2016A1508).

[3] 羽深朱里 他、日本油化学会年会講演要旨集、55, 206 (2016).

[4] I. Hatta et al., Chem. Phys. Lipids, 163, 381 (2010).

 

ⒸJASRI

 

(Received: May 24, 2017; Early edition: November 24, 2017; Accepted: December 18, 2017; Published: January 25, 2018)