Volume6 No.1
SPring-8 Section A: Scientific Research Report
コヒーレントX線回折による電荷密度波物質の研究
Study of Charge-Density-Wave Materials by Means of Coherent X-ray Diffraction
a北海道大学電子科学研究所,b北海道大学工学部,c(国)理化学研究所
aResearch Institute for Electronic Science, Hokkaido University, bDepartment of Engineering, Hokkaido University, cRIKEN
- Abstract
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本実験課題では、コヒーレントX線回折による電荷密度波物質の研究に向けた事前検討を目的として、X線光学系・測定装置系の設置と、1T-TaS2 をテスト試料に用いた評価をBL29XUにおいて行った。室温における評価では、1T-TaS2 の衛星反射におけるスペックルパターンを測定できることを確認した。試料に電流を印加して行った測定では、コヒーレントX線回折パターンに有意な変化は観測されなかったが、電流印可方法に問題があった可能性があり、断定的な結論は得られなかった。温度依存性の測定に向けた検討では、低温測定用クライオスタットのベリリウム窓材がコヒーレントX線回折パターンに影響を与えることが確認された。更に、ヒーターを使用して試料を 〜370 K まで加熱した測定では、ブラッグピークの強度分布に揺らぎが観測され、高温では測定系が十分に安定していないことが示された。
キーワード: コヒーレントX線回折、電荷密度波
背景と研究目的:
近年、コヒーレントX線を用いた実験により、物質科学の新たな展開が期待されている。コヒーレントX線はメゾスケールにおける空間構造に敏感なプローブであり、Crにおける反強磁性ドメインの時間揺らぎを研究した例[1]のようにスペックルパターンの強度相関からダイナミクスを議論することも可能である(X線光子相関分光)。日本国内においては、前方散乱配置においてナノ粒子充填ゴムを研究した例[2]や、ブラッグ反射配置においてリラクサー強誘電体の高次構造ゆらぎを研究した例[3]などが存在する。またオーバーサンプリング条件等が満たされる場合には、位相回復計算によって試料像を得ることが可能であり、物質科学に対しても適用されている[4]。
コヒーレントX線回折は、様々な電荷密度波物質においても新たな知見を与えることが期待される。電荷密度波物質にはメゾスケールにおけるドメイン構造が存在し、外場によって多様なダイナミクスを示す[5]。このようなドメイン構造のダイナミクスは、従来の実験手法では観測が難しく、コヒーレントX線の利用によって直接的に議論することが可能である[5,6]。
本研究では電荷密度波物質のダイナミクスに着目し、擬一次元電荷密度波物質 ZrTe3 や多様な電荷密度波相を持つ 1T-TaS2 などをターゲットに据えた検討を進めている。例えば、ZrTe3 は電荷密度波転移においてもフェルミ面の一部を残しているために、輸送特性からドメインのダイナミクスを議論することが難しく、直接的な観測が有益と考える。また 1T-TaS2 は、温度によって多様な電荷密度状態を示すため、各相に依存したドメインダイナミクスを研究するためには、同手法が有力なツールとなり得る。
本研究課題では、コヒーレントX線回折による電荷密度波物質の研究に向けた事前検討を目的として、X線光学系・測定装置系の評価を中心に実験を行った。具体的には、事前検討用のテスト試料として 1T-TaS2 を採用し、(1) ビームタイム中に機材を新たに設置し、室温におけるX線光学系・測定装置系の検証、(2) 温度依存性の測定に向けた実験機材の評価、を行った。今回の検証実験に 1T-TaS2 の単結晶を用いた理由は、1T-TaS2 は室温で既に電荷密度波状態(Nearly Commensurate相)にあり、他の物質と比較して強い衛星反射が期待されるため、事前検討用のテスト試料に適していると考えたためである。
実験:
コヒーレントX線回折実験はSPring-8 BL29XUの第2実験ハッチで行った。当該ビームタイムではハッチが空の状態から実験を開始し、実験装置の搬入・調整及び装置の撤去にビームタイムの約7割を使用した。本実験で用いた実験配置の概要を図1に示す。実験にはSi (111)二結晶分光器により得られた 8.5 keV のX線を用いた。このX線ビームを試料位置から 9 m 上流(第1実験ハッチ内)に設置した 50 μm × 50 μm のスリットに導き、仮想光源とした。更に試料の上流 10 cm の位置に2つ目のスリット(5 μm × 5 μm)を設置し、このスリットにより切り出したX線を試料に照射した。試料は4軸ゴニオメーターに設置し、試料からの反射X線はCCD型二次元X線検出器(ORCA-R2, HAMAMATSU, ピクセルサイズ 6.45 μm × 6.45 μm)によって測定した。カメラ長は 1.7 m とした。
図1. 本実験で用いた実験配置
実験では、まず、Nearly Commensurate相由来の衛星反射におけるコヒーレントX線回折パターンを室温で測定した。室温では試料に 0-3 mA の電流を印加した実験も行い、コヒーレントX線回折パターンの変化を調べた。
温度依存性の測定に向けた検討では、低温測定用クライオスタットのベリリウム窓材がコヒーレントX線回折パターンに与える影響を調べるため、窓材の有無により正方スリットからの回折が影響を受けるかを調べた。また室温より高い温度での測定について検討を行うため、ヒーターで試料を加熱した状態で、1T-TaS2 のブラッグスポットにおけるコヒーレントX線回折パターンを測定した。
結果および考察:
1. 室温における測定系の評価
図2に 1T-TaS2・Nearly Commensurate相由来の衛星反射におけるコヒーレントX線回折パターンを示す。衛星反射は(002)ブラッグスポット近傍において室温で測定したものである。図2のデータは、露光時間 100 s で測定した生データからバックグラウンドを差し引き、更に 3 pixel × 3 pixel のビニング処理を行ったものである。得られたコヒーレントX線回折パターンには斑点状のスポットが観測された。この結果から、今回のビームタイム中に設置した測定系が、室温における衛星反射のスペックルパターン観測に適用可能であると判断した。積分強度の半値幅から相関長を見積ると ~1000 Å 程度であり、これは過去のX線回折の結果と対応している[7]。
図2. 1T-TaS2 の衛星反射(室温)におけるコヒーレントX線回折パターン
今回観測された衛星反射の強度は弱く、100 s 程度の積算後にビニング処理をして辛うじて議論できるものであった(衛星反射の強度は、後述する (102)ブラッグスポットの強度と比較して800分の1程度)。コヒーレントX線回折パターンの経時変化も数点測定したが、優位な変化は観測されなかった。これは室温においては測定システムが安定していることを支持すると同時に、数分から数十分以上の時間スケールでは、1T-TaS2 のドメイン構造が安定であることを示している。
次に、室温で試料に電流を印加してコヒーレントX線回折パターンを測定したデータを図3(a)に示す。図3(a)のデータは図2と同様のデータ処理を行っている。(図3(a)のデータは図2とは試料上の測定位置が変わっているが、同様の傾向を持つデータが得られている。)印加電流が 0 mA(図3(a)左)と 3 mA(図3(a)右)を比較すると、コヒーレントX線回折パターンに有意な変化は見られなかった。この結果は図3(b)に示す積分強度の比較からも支持される。
電極を取り付けた試料表面の色が変化している様子が電流印加後に観測されており、試料表面に何らかのダメージが起こっている可能性が示唆された。電流印加を行った環境(X線照射下、大気暴露下等)からの影響も検証し、電流印加方法の改善が必要である。
図3. (a)室温・電流印加時における 1T-TaS2・衛星反射のコヒーレントX線回折パターン
(b)図3(a)上の点線位置に置いて 10 pixel の範囲で積分した回折X線の強度
2. 温度依存性の検討
低温におけるコヒーレントX線回折パターンの測定について検討を行うために、正方スリットからの回折を用いてクライオスタット用窓材の影響を調査した結果を図4に示す。図4 (a)は正方スリットからの回折をベリリウム窓が無い条件で測定したものであり、理論的に予想される sinc関数の2乗の振る舞いに対応する回折パターンが観測された。しかし図3 (b)に示すように、低温測定用クライオスタットのベリリウム窓が存在する条件では、回折パターンが乱されている。これはベリリウム窓の不均一性などが原因と考えられ、実試料の測定においてもその影響が危惧される。
図4. スリットからの回折パターン:(a)ベリリウム窓無し (b)ベリリウム窓有り
図5に試料をヒーターで ~370 K に加熱して行った(102)ブラッグスポットにおけるコヒーレント回折パターンの時間依存性を示す(露光時間は 5 s、ビニング処理無し)。同温度では 1T-TaS2 はIncommensurate相の状態にある。ヒーター使用時に装置系が安定していれば、ブラッグスポットの強度分布が時間を追って変化しないはずであるが、今回は時間に依存して大きく変化する様子が観測された。これは装置系自体が高温で安定していないことを示しており、高温で衛星反射のスペックルパターンの変化が観測されたとしても、現状の装置を用いた測定ではその変化の起源の議論は難しい。原因の一つとして、ヒーター加熱による局所的な温度勾配が考えられる。
図5. 試料加熱時における 1T-TaS2 (102) ブラッグスポットの経時変化
(a)測定開始直後 (b)測定開始 30 s 後 (c)測定開始 60 s 後以上の結果から、今回の実験装置を用いて測定したデータからは、試料構造の温度依存性を議論することは難しいと結論づけた。
まとめと今後の課題
今回の実験では、電荷密度波の衛星反射における室温でのスペックルパターンの測定に成功し、今回のビームタイム中に設置した測定系が、室温でのコヒーレントX線回折実験に適用可能であることが示された。1T-TaS2 に対しては、少なくとも数分から数十分以上の時間スケールであればダイナミクスの議論ができる可能性が示された。しかしながら、更に早い時間スケールを議論するためには、入射強度の増加が必要である。これにはX線集光光学素子の利用が有効である。今回は比較的強い衛星反射が期待される 1T-TaS2 を用いて実験を行ったが、1T-TaS2 以外の物質を測定する際には、入射強度のさらなる増強が必要となる。
1T-TaS2 に電流印加を行った際には、コヒーレントX線回折パターンに有意な変化が観測されなかったが、大気中での電流印加に問題があった可能性があり、試料を真空中に保持する等の改善が必要である。温度依存性の測定については、今回用いたクライオスタット用窓材がコヒーレントX線回折パターンに影響を与えることが確認されたため、試料冷却の方法や窓材の選択等を慎重に検討する必要がある。また、高温においても測定系が不安定であることが示されたが、この原因としてヒーター加熱による局所的な温度勾配が影響していることが考えられる。以上の問題点を根本的に解決するには、コヒーレントX線回折専用の試料環境セル(電流印加及び温度変化)を開発することが理想的である。国外ではそのような試料環境セルが既に開発されているようであり[8]、今後検討の価値がある。
謝辞:
本研究はJASRI一般課題(課題番号2014B1518)として実施されました。また、理研ビームライン関係者各位に御礼を申し上げます。
参考文献:
[1] O.G. Shpyrko et al., Nature 447, 68 (2007).
[2] Y. Shinohara et al., Jpn. J. Appl. Phys. 46, L300 (2007).
[3] K. Ohwada et al., J. Phys.: Conf. Ser. 320, 012086 (2011).
[4] I.K. Robinson et al., Phys. Rev. Lett. 87, 195505 (2001).
[5] E. Pinsolle et al., Phys. Rev. Lett. 109, 256402 (2012).
[6] D. Le Bolloc’h et al., Physica B 460, 96 (2015).
[7] S. Tanda et al., J. Phys. Soc. Jpn. 53, 476 (1984).
[8] J.-D. Su et al., Phys. Rev. B 86, 205105 (2012).
ⒸJASRI
(Received: June 24, 2017; Early edition: October 27, 2017; Accepted: December 18, 2017; Published: January 25, 2018)