Volume5 No.2
XFELにおける電子-イオンコインシデンス分光法の開拓
Development of Electron-Ion Coincidence Spectroscopy for XFEL
a名古屋大学, b富山大学
aNagoya University, bUniversity of Toyama
- Abstract
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X線強レーザー場における原子分子の非線形光学応答の理解を目的として、XFELにおける電子−イオンコインシデンス分光法の開拓を行った。磁気ボトル型分光器を用いたコインシデンス計測系を導入し、Ar/Ne混合ガスを標的として評価を行った。与えられた実験条件下で、XFELによって生成したAr L殻およびNe K殻空孔の崩壊に伴うオージェ電子と、対応するイオン種 (Arp+,Neq+) の全コインシデンス事象における真のコインシデンス事象は98%程度と見積られ、本分光法の有用性が示された。
キーワード: XFEL、磁気ボトル型分光器、コインシデンス分光
背景と研究目的:
単一分子イメージング等のXFEL利用実験では、XFELビームの集光スポットにおけるレーザー場強度は1020 W/cm2に達し、顕著な非線形光学過程が標的分子のダメージの要因となることが予想される。孤立原子分子の非線形過程はこれまで可視や近赤外領域で詳細な研究が進められてきたが、より波長の短い極紫外光やX線領域ではその様子が大きく異なる。これは、(i)ポンデラモーティブポテンシャルが波長の2乗に比例するため、自由電子がレーザー場でもつエネルギーが極めて小さいこと、(ii) 光子エネルギーが高く、価電子だけでなく内殻電子が光吸収過程に関与するためである。特にX線領域では内殻電子を含む複数の電子が1つの多光子吸収過程に関与し得るため、価電子に対して核電荷を大きく遮蔽している内殻電子の光吸収への関与により、電子相関が顕在化することが予想される。また、光吸収により生成される内殻空孔の寿命はレーザーパルス幅と同程度であるため、内殻空孔の崩壊過程も光吸収と競合する。LCLSにおける研究(hv = 1-2 keV)では、Ne原子について内殻軌道に2つの空孔をもつ状態の生成が確認されている[1]。第2周期元素の1s内殻空孔の寿命は概ね数フェムト秒であるため、FELパルス内において更なる光吸収が起こり、内殻2正孔状態が生成されるものと理解されている。一方、多くの分子の構成元素として重要な第3周期以上の元素ではその1s内殻空孔の寿命はアト秒領域に入るため、この1s空孔の崩壊はFELパルスの初期に完結する。1s空孔の崩壊によって生成する浅い軌道の空孔は多くの場合オージェ崩壊を起こすが、この後続過程はFELパルス幅と同等のタイムスケールで進行すると予想される。こうした硬X線領域の非線形光吸収過程の研究は最近SACLAを用いて進められ、Xe原子イオン価数分布の計測とその理論計算による解析から、複数の光子の吸収がL殻空孔の崩壊と競合して起こることが報告されている[2]。
高速で進行する内殻空孔の崩壊過程と競合して多光子過程がどのように起こるかを明らかにするには電子分光が有用である。一方で、(i)非線形過程の寄与が全体では5%程度と小さく、広いスペクトル幅をもつ光電子では、FEL光のゆらぎにより精密な計測が難しいこと、(ii)多くの異なる中間状態からの光吸収過程が関与するため、非線形過程からの寄与が異なるスペクトル領域に広く分布し、スペクトルの詳細な帰属および多光子吸収メカニズムの定量的な評価は困難である、という難点がある。
これらの問題は、電子と同時に生成するイオンとの相関測定によって解決できる[3]。特に単一原子分子から生成したイオンと電子を同時検出する電子−イオンコインシデンス分光は、この目的において最も直接的な手法である。一方、単一原子分子からの生成種の検出のためには1レーザーショットあたりの粒子検出イベント(=イベントレート)を1より十分小さくする必要があり、数十Hz程度の低い繰り返し周波数でX線パルスが供給されるSACLAで実現できるかどうかは必ずしも自明ではない。そこで本研究では、磁気ボトル型分光器を用いた電子−イオンコインシデンス計測法[4]を導入し、その適用可能性を明らかにすることを目指した。
実験:
SACLAの実験ビームラインBL3(EH3)において実験を行った。XFELパルスの光子エネルギーは4.7-5 keV (繰り返し周波数20 Hz)で、集光光学系で2 μmまで集光し、真空チャンバー内でサンプルガスと相互作用させた。図1に本研究で用いた磁気ボトル型電子−イオンコインシデンス分光器を示す。原型となる磁気ボトル型電子分光器は約75 cmの飛行管をもち、磁場により捕獲した電子が検出器に到達するまでにかかる飛行時間(TOF)から運動エネルギーを決定する。このコインシデンス分光器は相互作用領域にイオン引き出し用の平行平板電極を備えており、電子検出後に高電圧パルスを電極に印加することで、同時に生成した多価イオンを電子と同じMCP検出器で検出することができる。
図1. 磁気ボトル型電子−イオンコインシデンス分光器 [4]
例えば多光子イオン化で質量電荷比m/zをもつイオンと、これと同時に生成した電子のうち1個を検出する場合を考える。パルスあたりのイオン化確率をP,イオンおよび電子(エネルギーEe)の検出効率をそれぞれfi,feとすると、真のコインシデンス事象のパルス毎の検出確率Cieは、次式のように表される。
Cie = P fi fe (1)
ここで、エネルギーEeで検出された電子の総数をパルス数で割ったものを、電子検出確率Peと定義する。例えば1光子過程に由来する電子がこれに含まれる。偽コインシデンス事象を捉える確率Fieは
Fie = P fi Pe (1 - fe) (2)
で与えられる。これから真のコインシデンス事象を捉える割合は
Cie / (Cie + Fie) = 1 / [1 + (1/fe - 1) Pe] (3)
と表すことができる。
結果および考察:
X線エネルギー4.7 keVでNe / Ar混合ガスを用いて得られた(a)イオンTOFスペクトルおよび(b)電子TOFスペクトルを図2に示す。レーザーパルスエネルギーを5.4 nJ/pulseとし、イベントレート(~0.3 events/s)で実験を行った。イオンスペクトルはシャープなピークを示し、用いたコインシデンス分光器が高い質量分解能をもつことがわかる(m/Δm = 145)。観測されたピークは飛行時間に基づいてそれぞれNez+イオン (z = 1-3) およびArz+イオン (z = 2-7) に帰属できた。一方、この領域の電子スペクトルには主として3本のピークが観測された。これらは光イオン化による光電子と1s空孔の生成・緩和に伴うNe KLLオージェ電子(804.8 eV)およびAr LMMオージェ電子(~ 205 eV)に由来するものである。
図2(c)に対応する電子−イオンコインシデンスマップを示す。イオン種によって異なる電子スペクトル分布が見てとれる。最も大きな同位体存在比をもつ20Neでは40Arの偶価数イオンと質量電荷比m/zが一致するためTOFスペクトルでは区別できず、対応する電子スペクトルには、NeおよびArに由来するピークが現れている。一方、Ar5+と同時計測された電子スペクトルにおいては、Ne KLLオージェ電子に対応するピークが大きく抑制され、主として光電子およびAr LMMオージェ電子のみが観測された。他にAr3+およびAr7+についても同様のスペクトルが観測され、コインシデンス計測によってイオン種でラベルした電子スペクトルが得られたことを示している。Ar5+イオン検出レートOi = P(Ar5+)fiとLMMオージェ電子とのコインシデンスレートCie = P(Ar5+) fi fe(式(1))の比Oi / Cie = feから、電子エネルギー200 eVにおける電子検出効率はfe = 0.17と見積もられた。本実験条件下での全電子検出レートはPe = 278 counts /(5863 s × 20 Hz) = 2.5 × 10-3 counts/shotであり、式(3)から98%以上の確からしさでコインシデンス計測が行えていることがわかる。
図2. SACLAにおける電子−イオンコインシデンス計測(Ne/Ar混合ガス,hv = 4.7 keV)。(a)イオンTOFスペクトル、および(b)電子TOFスペクトル。(c)電子−イオンコインシデンスマップ。
Ne KLLオージェ電子はNez+を含むイオンピークは明瞭なコインシデンス信号を示すのに対し(丸印)、Ar3+, Ar5+, Ar7+に対しては大幅に抑制されている(破線丸印)。
今後の課題:
本研究では、磁気ボトル型分光器を用いた計測法[4]を導入することで、XFELにおける電子−イオンコインシデンス計測が可能であることを示した。今後、電子捕集効率をfe = 0.5程度[5]まで改善し、さらに残留ガスの寄与を下げることで、X線強レーザー場において高速で進行する多光子吸収過程について直接的な情報の獲得が期待される。
参考文献:
[1] L. Young, E. P. Kanter, B. Krassig, Y. Li, A. M. March, S. T. Pratt, R. Santra, S. H. Southworth, N. Rohringer, L. F. Dimauro, G. Doumy, C. A. Roedig, N. Berrah, L. Fang, M. Hoener, P. H. Bucksbaum, J. P. Cryan, S. Ghimire, J. M. Glownia, D. A. Reis, J. D. Bozek, C. Bostedt and M. Messerschmidt, Nature 466, 56 (2010).
[2] H. Fukuzawa, S. K. Son, K. Motomura, S. Mondal, K. Nagaya, S. Wada, X. J. Liu, R. Feifel, T. Tachibana, Y. Ito, M. Kimura, T. Sakai, K. Matsunami, H. Hayashita, J. Kajikawa, P. Johnsson, M. Siano, E. Kukk, B. Rudek, B. Erk, L. Foucar, E. Robert, C. Miron, K. Tono, Y. Inubushi, T. Hatsui, M. Yabashi, M. Yao, R. Santra and K. Ueda, Phys. Rev. Lett. 110, 173005 (2013).
[3] L. J. Frasinski, V. Zhaunerchyk, M. Mucke, R. J. Squibb, M. Siano, J. H. Eland, P. Linusson, P. v d Meulen, P. Salen, R. D. Thomas, M. Larsson, L. Foucar, J. Ullrich, K. Motomura, S. Mondal, K. Ueda, T. Osipov, L. Fang, B. F. Murphy, N. Berrah, C. Bostedt, J. D. Bozek, S. Schorb, M. Messerschmidt, J. M. Glownia, J. P. Cryan, R. N. Coffee, O. Takahashi, S. Wada, M. N. Piancastelli, R. Richter, K. C. Prince and R. Feifel, Phys. Rev. Lett. 111, 073002 (2013).
[4] A. Matsuda, M. Fushitani, C. M. Tseng, Y. Hikosaka, J. H. D. Eland and A. Hishikawa, Rev. Sci. Instrum. 82, 103105 (2011).
[5] Y. Hikosaka, M. Sawa, K. Soejima and E. Shigemasa, J. Electron Spectrosc. Relat. Phenom. 192, 69 (2014).
ⒸJASRI
(Received: December 14, 2016; Early edition: February 24, 2017; Accepted: July 18, 2017; Published: August 17, 2017)