Volume4 No.2
SPring-8 Section A: Scientific Research Report
硬X線光電子分光による機能性クラスター薄膜の化学結合状態解析
Analysis on Chemical Bondings for Functional Nanocluster Thin Films with Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy
a(独)科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業, b慶應義塾大学理工学部, c(公財)高輝度光科学研究センター, d慶應義塾基礎科学・基盤工学インスティテュート
aExploratory Research for Advanced Technology, Japan Science and Technology Agency, bFaculty of Science and Technology, Keio University, cJapan Synchrotron Radiation Research Institute (JASRI)/SPring-8, dKeio Institute of Pure and Applied Sciences
- Abstract
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光学応答や磁気特性から注目される有機金属ユウロピウム(Eu)サンドイッチクラスターに対して、銀(Ag)電極薄膜下に埋もれたクラスターの化学結合状態を観測することを目的として、8 keVの励起X線エネルギーによる硬X線光電子分光を行った。Agの内殻準位は観測されたものの、Euの内殻準位を観測できなかった。このAg膜厚(20 nm)において、Ag電極薄膜下のEuサンドイッチクラスター由来の光電子信号は得られるはずであることから、X線照射下において酸化数や配位環境の異なる中間生成物が発生してしまい十分な積算とならなかったことがEu由来の信号をバックグラウンドに埋もれさせた要因であると考えられる。
キーワード: クラスター、ユウロピウム化合物、硬X線光電子分光
背景と研究目的:
原子・分子レベルで物質の組織・構造の制御などを行い、光や磁気を用いて電子状態と電子スピンの応答を利用する機能材料は、次世代の情報通信技術やエネルギー高度利用の上で極めて重要である。電気特性、発光特性、磁気特性、エネルギー変換特性といった機能を発現する基本単位は、1〜10ナノメーターサイズの物質群である。この大きさの機能単位物質は、原子が数個から数百個程度凝集してできたナノメーターオーダーの大きさの構造体であり、これまでの我々の材料創製研究において、多層一次元有機金属サンドイッチナノクラスター、金属内包シリコンケージクラスターなど、数ナノメーターサイズの複合ナノクラスターを作り出すことに成功している[1]。これらナノクラスターを出発点として機能デバイスへ応用展開を図るため、薄膜構造の形成および特性把握、さらには特性の向上や安定性、再現性などの研究課題に取り組み、これまでに薄膜材料としての安定性に優れたフラーレンや銅フタロシアニンをモデル試料にして、電極下に埋もれた界面の化学結合状態を硬X線光電子分光(hard x-ray photoelectron spectroscopy:HAXPES)実験で調べることに成功している[2]。
本研究では、我々がこれまでに創製している一次元有機金属ユウロピウム(Eu)サンドイッチクラスター(Eu sandwich cluster: Eu-SWC)に対して[3]、電極下に埋もれたクラスターというモデル系を構築して、HAXPESを用いてその電極下のクラスターの化学結合状態を観測することを目的として実験を行った。
実験:
本放射光実験は、SPring-8 BL46XUに設置されたHAXPES装置を用いた。銀(Ag)電極薄膜下に埋もれたEu-SWC試料は、以下の通り作製した。まず、Eu-SWC試料の合成では、トリメチルシリル(Si(CH3)3)基を2つ有するシクロオクタテトラエン(cyclo-octatetraene”: COT”)のリチウム(Li)錯体(Li2(COT”))をテトラヒドロフラン(THF)溶媒中で合成し、このLi錯体にヨウ化ユウロピウム(EuI2)のTHF溶液を滴下して、目的とするEu-SWC試料であるEu(COT”)2Li2を合成した。この合成はすべて酸素濃度2 ppm 以下のアルゴン(Ar)雰囲気のグローブボックスとシュレンク管を用いて大気曝露なしの条件下で行った。
次に、銅(Cu)担持基板(10 mm × 10 mm)を酸系溶液で清浄化した後、グローブボックス内でEu-SWCを含むTHF溶液をCu表面に滴下し乾燥させることで表面に分散させた。その後、グローブボックスに直結された蒸着装置に大気曝露なく試料塗布基板を搬送して、電極としてAgを、水晶振動子膜厚モニターを用いて蒸着レート0.02 nm/sで、室温の基板上に20 nmの膜厚で真空蒸着させた(図1挿入写真)。作製した試料をAr雰囲気下に封入してSPring-8に搬送し、大気下でHAXPES装置に5分間程度で設置して測定に用いた。X線光源には、エネルギー7.94 keVの光を高さ~0.02 mm 横幅~0.2 mmの長方形の形状に集光して用い、実験を行った。また、本実験での全エネルギー分解能は~250 meVである。
結果および考察:
図1にAg薄膜を蒸着したEu-SWC試料に対するHAXPESスペクトルを示す。Agに起因した内殻準位は観測されたものの、図中6300 eVから6500 eVに期待されるEuに起因した内殻準位(Eu3p1/2: 6325 eV, Eu 3p3/2 : 6458 eV)を観測することはできなかった。今回の試料調製では、過去に行ったAu電極に埋もれた薄膜の測定結果に基づいてAg膜厚条件を設定して試料を作製したことから[2]、Ag膜厚条件がEuからの光電子放出を大きく妨げているとは考えにくい。実際、有機配位子COT”の官能基Si(CH3)3)基由来のSiに起因した内殻準位や、合成での残量物と考えられるIの内殻準位が観測されており、Ag電極薄膜に埋もれたEu-SWC試料からの光電子が観測できていると考えられる。
Euの準位が観測できなかった要因にはいくつか考えられ、測定時にEu-SWC試料がX線照射によって蒸散してしまった可能性や基板の中に潜ってしまった可能性、さらにはAg電極被覆ではEu-SWC試料の酸化などの化学変化が徐々に進行してしまい、酸化数や配位環境の異なる中間生成物が発生してしまった可能性が挙げられる。そこでこれらの可能性を検証するために、まず蒸着したAg電極薄膜を大気中で削り取ってEu-SWC試料を完全に酸化させて再度測定したところ、酸化数+3に由来すると考えられるEuが観測された(図2)。この結果は、測定時にEu-SWC試料がX線照射によって蒸散してしまった可能性や基板の中に潜ってしまった可能性は低いことを反映していると考えている。また、この測定とは別に、窒化シリコンの窓材を用いたセル中にEu-SWC試料と同様の+2価のEuの化合物、ヨウ化ユウロピウムEuI2を封入してHAXPES測定をしたところ、Eu元素由来の信号だけが測定開始時には観測されず、4時間程度X線を照射し続けた後に+3価のEu由来の信号として検出された[4]。
図1. Cu基板上に塗布されたEu-SWC試料上にAg薄膜(厚み20 nm)を蒸着した試料のHAXPESスペクトルとその試料の上からの写真(基板の大きさは10 mm × 10 mm)。
図2. 図1で測定した試料のAg薄膜を削った上で得られるHAXPESスペクトル。Agに由来するピークが弱まり、Euに由来するピークと基板のCuのピークが現れている。
以上のことから、HAXPES測定において各種原子由来の光電子信号は、その積分強度そのものがなくなるわけではないものの、このEu-SWC試料においてEuの準位が観測できなかった要因は、X線照射中にEu-SWC試料が変質してしまい、配位環境変化にEuの光電子放出が鋭敏に応答して、特定の光電子エネルギーの信号積算に至らずにEu由来の光電子信号がバックグラウンドに埋もれてしまったためと考えられる。
今後の課題:
単一組成で合成される有機金属ナノクラスターEu-SWC試料は、大気中の酸素や水蒸気によってEu原子の酸化状態が変化するために、試料の嫌気下での取り扱いに加えて金属や高分子などのガスバリヤ材料による被覆が必要である。本測定で用いたAg電極薄膜はその保護被覆の一貫であるものの、Eu-SWC試料に対してはガスバリヤ性能が不十分であったことが考えられる。Eu-SWC試料のような反応活性の高い試料の化学状態を解明するためには、HAXPESが試料の深さ方向に対する優位性を活かしつつ、金属薄膜よりも高いガスバリヤ性能をもつ薄膜の選定が必要である。HAXPES測定は金属薄膜などで試料を覆って薄膜下に埋もれた状態であっても有効であるが、X線透過性の高い炭素や窒化シリコンなどの軽元素の窓材を用いて、一層高いガスバリヤ性能を併せもつ試料セルの開発と利用を発展させることは、Eu-SWC試料と同等以上に反応活性の高い試料に対して重要な方策であると考えられる[4]。
参考文献:
[1] A. Nakajima, K. Kaya, J. Phys. Chem. A, 104, 176 (2000).
[2] M. Shibuta, T. Eguchi, Y. Watanabe, J.-Y. Son, H. Oji, A. Nakajima, Appl. Phys. Lett., 101, 221603 (2012).
[3] T. Tsuji, S. Fukazawa, R. Sugiyama, K. Kawasaki, T. Iwasa, H. Tsunoyama, N. Tokitoh, A. Nakajima, Chem. Phys. Lett., 595-596, 144 (2014).
[4] E. Tsunemi, Y. Watanabe, H. Oji, Y.-T. Cui, J.-Y. Son, A. Nakajima, J. Appl. Phys., 117, 234902 (2015).
ⒸJASRI
(Received: September 29, 2015; Early edition: February 25, 2016; Accepted: June 24, 2016; Published: July 25, 2016)