SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume4 No.2

SPring-8 Section A: Scientific Research Report

文化財建造物における塗装材料の解析
Analysis on Painting Material for Cultural Heritage Buildings

DOI:10.18957/rr.4.2.170
2012A1222 / BL43IR

赤田 昌倫a, 佐藤 昌憲b, 吉田 恭純c, 高妻 洋成b

Masanori Akadaa, Masanori Satob, Yasunori Yoshidac, Yohsei Kohzumab


a九州国立博物館, b奈良文化財研究所, c奈良県教育委員会

aKyushu National Museum, bNara National Research Institute for Cultural Properties, cNara Prefectural Board of Education


Abstract

 文化財建造物の塗装材料の研究の一環として、談山神社権殿の外装塗装の調査分析を行った。権殿は複数回の塗装の修理を経ており複数層が存在する。各層についてSPring-8のビームライン(BL43IR)にて微小部の分析を行った結果、漆とともにカルボン酸鉛が検出され、油系塗料が使用されていることが分かった。また、部材の年代や層構造の検証の結果、談山神社権殿の外装塗装は漆を塗装材料に用いた時期と、油系塗料を塗装材料として用いた時期とがあることが分かった。


キーワード: 文化財建造物、塗装、赤外分光分析


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背景と研究目的:

 国内の文化財建造物は法隆寺に代表されるように非常に長い間その形を保っており、世界に誇るべきものであると言える。これは修理技術が踏襲され、定期的な修理修復を行っているからである。一方で、修理技術の中で長い年月の間に廃れてしまった技法もある。修理技術が踏襲されず、技法の名称のみが文献記録でのみ伝えられることもある。文化財建造物の塗装方法の中で、油系塗料もその一つであり、具体的な製作技法については不明な点が多い。

 著者らの研究グループは文化財建造物の塗装方法の研究を行っており、その一つとして奈良県の談山神社権殿の本格修理に関連する塗装調査を行った。談山神社権殿は永正3年(1506年)の兵火で焼失した後に再建され、今回の本格修理に至るまで寛文・享保期(1661年〜1735年)や嘉永期(1848年〜1853年)に修理が行われていることが分かっている[1]。そのため塗装膜には複数の層が存在する。

 今回の塗装修理に関して、塗膜の劣化が顕著な部材は現在の塗装の掻き落としを行い、その後塗り直しを行うこととなった。塗り直しの塗料については修理記録と科学分析の結果から判断されるため、SPring-8のビームライン(BL43IR)を使用し、各層に用いられた塗装材料の調査分析を行った。その過程で漆やその下地とは異なる物質が検出されることが分かった。これは談山神社権殿の修理に関わる文献記録[1]から油系塗料の可能性が考えられた。

 そこで本稿では①文献記録を参考に作製した油系塗料の分析データを蓄積し、②油系塗料の分析データや漆の分析データを用いて、談山神社権殿の外装塗装の各層に使用された材料を判別する。③塗装された部材の年代や文献記録と組み合わせ、各時代の修理技術を明らかにするための調査研究を行った。


実験:

 油系塗料の作製には談山神社の勧進帳[1]と、吉田恭純氏の調査記録[2]を参考にした。勧進帳には、乾性油、松脂、四酸化三鉛(顔料名、鉛丹)と推定される文言の記載があり、これを混ぜ合わせたものが油系塗料にあたると考えられた。そこで本実験では荏胡麻油(山中油店製:塗装用油)を10時間180°Cで加熱したものを乾性油とし、乾性油12 gと松脂8 g(㈱ハリマ化成社製:ハートールR-WW)、乾燥促進剤として一酸化鉛(顔料名、密陀層)を0.2 g入れ、150°Cで1時間加熱攪拌したものを展色材とした。さらに展色材から2 gを量り取り、鉛丹2 gと混ぜ合わせたものを塗料とした。分析の参考資料としては、塗料を約1年間屋外で暴露したものを用いた。

 油系塗料の参考資料と談山神社権殿の外装塗装試料片の分析にはフーリエ変換赤外分光分析装置を用いた。試料点数は70点と多いため、主な調査は奈良文化財研究所ではBruker Optics社製ALPHA(小型FT-IR)の全反射測定(ATR)法を採用した。SPring-8では顕微反射測定を採用し、塗膜の表面や木地の隙間に残る極めて微小部の分析を中心に行った。これは、今回の分析試料が塗膜であり、薄層かつ複数の層構造を有しておりATR法だけでは層ごとの塗装材料を区別して分析を行うことが難しいためである。また、蛍光X線分析装置(XRF)とX線回折分析装置(XRD)を使用し塗装材料の検証を行った。これらの分析結果については、日本文化財科学会[3]と奈良文化財研究所の紀要[4]にて報告を行っている。


結果および考察:

 図1に油系塗料の赤外(IR)スペクトルを示す。この試料は塗料を1年間、屋外暴露したものである。IRスペクトルを見ると、1620 cm-1付近のショルダーピークと1532 cm-1をピークトップとする吸収、1340 cm-1付近のショルダーピークと1385 cm-1をピークトップとする吸収が見られた。使用した材料と塗料作成方法から、これらのピークはカルボン酸金属塩(COOM)に帰属するものと考えられた。つまり、乾性油や松脂の不飽和脂肪酸と鉛丹とで中和反応が起こり、塩としてカルボン酸鉛が生成されたものと思われる。特に1532 cm-1と1385 cm-1のピークについては、測定部位によって1540 cm-1〜1530 cm-1と1415 cm-1〜1380 cm-1の範囲でピークトップが変化することから、油脂の消失とカルボン酸鉛の生成状態に依存すると考えられる。このスペクトルを参考に談山神社権殿の各部材の分析結果と比較を行った。



図1. 油系塗料のIRスペクトル


 図2に外装の手挟から採取した試料片の実体顕微鏡写真を示す。図3は図2の試料の光学顕微鏡による塗膜の層構造の写真である。両方向矢印の線は層の範囲を示している。層構造は下から順に数えており、木地の直上に広く残存している赤色を呈した塗料が第1層である。さらに画面左側の矢印で示した部位は第1層と層の境目が見え、第1層の上に塗装されたことから第2層と判断した。図4に同試料のIRスペクトルを示す。この部材は談山神社権殿の外装試料で、木材の使用から寛文・享保期(1661年〜1735年)に修理または塗装されたと考えられている。FT-IR分析の結果、第1層の下層からは、1620 cm-1付近のショルダーピーク、1523 cm-1と1396 cm-1をピークトップとする強い吸収、1340 cm-1付近のショルダーピークが得られた。またXRF分析では特に鉄と鉛が強く検出された。参考資料の油系塗料のIRスペクトルとスペクトルパターンが酷似していることから、この層の塗装材料は油系塗料であると判断した。

 第2層の上層では2927 cm-1と2855 cm-1(メチレン基)、1722 cm-1(カルボニル基)、1620 cm-1をピークトップとするブロードなピーク(糖類のC=O伸縮振動)、1459 cm-1(メチレンに帰属)にピークが検出された。このスペクトルパターンは漆と酷似している[5]。また、XRF分析では特に鉄が強く検出され、鉛はわずかに検出された。

 層構造の観察と分析結果から、第1層に当たる寛文・享保期(1661年〜1735年)の塗装は油系塗料による施工が、第2層の寛文・享保期以降の嘉永期(1846年〜1854年)の塗装には漆が用いられたと推定される。



図2. 外装の手狭から採取した試料片の実体顕微鏡写真



図3. 図2の試料の光学顕微鏡による塗膜の層構造の写真



図4. 外装の手狭から採取した試料片のIRスペクトル (a)第1層 (b)第2層


 図5に外装の妻の部材から採取した試料の実体顕微鏡写真を示す。図6は図5の試料の光学顕微鏡による層構造の写真である。図7に同試料のIRスペクトルを示す。この部材も談山神社権殿の外装試料で、複数の塗膜層があることを確認している。層構造は下から順に数えており、淡い赤色を呈した平滑な層を第1層、その上の濃い赤色を呈した凹凸のある層を第2層とした。木材の使用状況から第1層は寛文・享保期(1661年〜1735年)か、永正期(1504年〜1521年)の権殿再建時に修理または塗装されたと考えられている。



図5. 外装の妻の部材から採取した試料の実体顕微鏡写真



図6. 図5の試料の光学顕微鏡による層構造の写真



図7. 外装の妻の部材から採取した試料片のIRスペクトル (a)第1層 (b)第2層


 FT-IR分析の結果、第1層の下層からは、1713 cm-1にC=O(カルボン酸)が、1451 cm-1にメチレンに帰属するピークなどが検出され、前述のように全体のスペクトルパターンから漆であると判断した[5]。また、XRF分析では特に鉄が強く検出され、鉛はわずかに検出された。

 第2層の上層では1620 cm-1付近のショルダーピークと1538 cm-1と1411 cm-1をピークトップとする強い吸収が得られた。またXRF分析では特に鉄と鉛が強く検出された。この試料についても参考資料の油系塗料のIRスペクトルとスペクトルパターンが酷似していること、鉛が強く検出されたことから油系塗料であると判断した。

 層構造の観察と分析結果から、第1層に当たる当初(永正期)の塗装は漆による施工が、第2層の当初以降の修理時の塗装(寛文・享保期)では当初の塗装の上に油系塗料による施工が行われたと推定される。

 XRFやXRDによる分析の結果と塗装材料との関連性について検証した結果、油系塗料の塗膜からは必ず鉛が検出されるが、漆の塗膜からはその強度は低かったり、検出されなかったりすることが分かった。鉛について、勧進帳[1]には唐土(鉛白)や密陀僧(一酸化鉛)の明記があることから、これらの使用が考えられたが本調査において鉛白や一酸化鉛は検出されず、試料の多くで四酸化三鉛(鉛丹)または硫酸鉛が検出された。硫酸鉛は油系塗料のピッチ成分と鉛系顔料が化合してできたものと思われる。

 まとめとして、談山神社権殿の外装塗装の特徴として、塗料には漆と油系塗料が用いられており、これらは塗装年代によって異なることが分かった。そこで漆と油系塗料の塗装年代に関して部材の推定年代と照らし合わせた結果、永正期の権殿再建時の塗装には漆が、寛文・享保期の修理時の塗装には油系塗料が、嘉永期の修理時の塗装には漆が再度使われていることが分かった。また、油系塗料は内装塗装では全く確認できなかったことから、外装塗装のための塗料であったと考えられる。


今後の課題:

 談山神社権殿の塗装試料は塗装する箇所や年代によって塗料の明確な使い分けがなされており、塗装材料の使用に関して様々な知見を得ることができた。今回行ったSPring-8のFT-IR分析は、微小部をスポット的に調査し材料の判別を行うものであった。文化財建造物の塗装は、塗料の劣化や掻き落としの影響から膜厚が均一ではないことが多く、塗膜の残りも不均質であることから、本件の調査も一試料につき複数回の分析を行っており、特に多くの時間を要した。より正確かつ詳細な層構造の材料分析を効率的に行うためには、マイクロフォーカスX線CTによる観察やラマン分光分析を行うなど複数の分析機器を用いたクロスチェックが必要であると考えている。


参考文献:

[1] 護国院透廊等御修復造替勘定帳、(1734)

[2] 吉田恭純、重要文化財談山神社権殿の塗装について、主任技術者研修会、(2011)

[3] 渡邊緩子, 赤田昌倫、文化財建造物塗装材料の分析(2)、日本文化財科学会第28回大会研究発表要旨集、78-79 (2011)

[4] 赤田昌倫, 高妻洋成, 大林潤、談山神社の外装塗装に使用された塗装材料の研究、奈良文化財研究所紀要2012、40-41(2012)

[5] 熊野谿従、Jasco Report, 33(2), 15-29(1991)



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(Received: March 16, 2016; Early edition: May 25, 2016; Accepted: June 24, 2016; Published: July 25, 2016)