Volume4 No.2
SPring-8 Section A: Scientific Research Report
鉄砒素化合物SrFe2As2のフォノンの磁気相転移点付近の温度変化
Investigation of the Phonon Structure in SrFe2As2 around Magnetic Transition Temperature
a(国立研究開発法人)日本原子力研究開発機構, b(国立研究開発法人)理化学研究所,
c(公財)高輝度光科学研究センター, d兵庫県立大学
aJAEA, bRIKEN, cJASRI, dUniversity of Hyogo
- Abstract
-
鉄系超伝導体の母物質の一つSrFe2As2単結晶を用いたX線非共鳴非弾性散乱実験を行い、磁気相転移点付近のフォノンの温度変化を、様々な波数方向に関して詳細に調べたが、粉末試料の核共鳴非弾性散乱で観測されていた強度変化やブロードニング等の異常は観測されなかった。一方、1111系のPrFeAsO1-yで見られていた30 meV付近のフォノンの異常は、122系のSrFe2As2でも同様に観測された。
キーワード: 鉄系超伝導体、フォノン、X線非共鳴非弾性散乱
背景と研究目的:
鉄砒素超伝導体において、構造相転移点や磁気相転移点よりも高い温度から鉄砒素面内の四回回転対称性が破れているという実験結果(電子ネマティック相)が報告され、その性質や機構が議論されている[1-3]。銅酸化物超伝導体におけるいわゆる擬ギャップ相との類似性も指摘されており、高温超伝導の発現機構にも重要な役割を果たしている可能性が考えられるなど、物性分野で重点的に研究が進められている重要分野の一つとなっている。このような実験結果の中に、鉄砒素超伝導体の母物質の一つであるRFe2As2(R=Sr,Eu)の鉄の核共鳴非弾性散乱実験が行われたものがあり、鉄原子の動きを伴うフォノン状態密度において磁気相転移点(TSDW)直上のTSDW〜1.25TSDWの温度領域において異常が観測された[4]。これは丁度、問題となっている電子ネマティック相の温度領域にほぼ対応している。核共鳴非弾性散乱実験はこの温度領域において、鉄原子の鉄砒素面内の動きを含むフォノンモードのうち、エネルギーが32 meVにある振動モードは強度の減少とともに幅の広がりが観測されているものの、25 meVにある振動モードには異常は見られない事を明らかにした。
しかし、粉末試料によるフォノン状態密度の測定にとどまっており、詳しい波数依存性、すなわちフォノンの分散関係のどこで異常が起こっているのかに関しては不明である。これを明らかにし、具体的にどういう原子の振動が電子ネマティック相において強度や幅の異常に関与しているのかを明らかにする事を目的に、TSDW付近のフォノンの分散関係の温度依存性の測定を行った。
実験:
測定単結晶試料SrFe2As2はSnフラックス法で作成され、磁化測定および抵抗測定からTSDW=200.4 Kと見積もった[5]。c面の大きさは1 mm弱、厚さは数十μmであり、X線の透過強度変化を用いて測定する試料内の位置決めをした上で、フォノン測定は透過条件(Laue法)で行った。
X線非共鳴非弾性散乱実験は、SPring-8に設置された高分解能非弾性散乱ビームラインBL35XUにおいて、背面反射モノクロメータおよびアナライザーとしてSi(11 11 11)反射を用い、入射X線エネルギーは21.75 keVの標準的なセットアップで行った[6]。この装置では、鉛直方向3段、水平方向4列の合計12個のアナライザーと、それぞれに対応した検出器が設置されており、同時に12の異なる波数Qでの測定をすることが可能となっている。本研究ではこの事により、以下の「結果および考察」に示すように、効率的に測定を進める事が可能となった。温度は、同じQでの測定を230および290 K(又は室温)で行い、両者の変化を比較した。なお、1.25TSDW=250.5 Kに相当するため、230 Kは核共鳴非弾性散乱で異常が見られたTSDW〜1.25TSDWの中間温度、290 K(又は室温)は1.25TSDWより高温に相当する。Qは(3, 0, 0)および(0, 0, 16)ブラッグ点近傍を中心とした様々な位置で行った。
結果および考察:
代表的な測定例として、図1にQ=(3.18, 0, 0)付近、図2にQ=(0, 0, 16.5)付近の室温と230 KでのX線非弾性散乱スペクトルの比較を示す。それぞれ、(a)〜(d)が全体図、(e)〜(h)が注目するべき32 meV付近の拡大図を示す。図1の全体図あるいは拡大図の端の25 meV付近を見れば分かるように、Q=(3.18, 0, 0)付近では32 meV付近にはピークが存在するが、25 meV付近には存在しない。一方、図2の全体図あるいは拡大図の端の30 meV付近を見れば分かるように、Q=(0, 0, 16.5)付近では逆に25 meV付近にはピークが存在するが、32 meV付近には存在しない。このように、32 meV付近のフォノンは鉄砒素面内の動きをするモードが主であり、25 meV付近のものはc軸方向の動きをするモードが主となっている。また、図1、2ともに(e)〜(h)の拡大図を見て分かるように、温度変化によってピーク位置は低温側の230 Kのデータの方が高エネルギー側に1 meV程度シフトしているものの、これは通常の格子定数の温度変化に伴う変化と思われ、ピーク強度はほとんど変化していない。また、ピーク幅は図2のモードでは、室温で非調和効果によって多少広がっているが、フォノン状態密度に影響を与えるほどではない。
図1.SrFe2As2のQ=(H, 0, 0) (H= (a) 3.06, (b) 3.14, (c) 3.22, (d) 3.30)のX線非弾性散乱スペクトル。(e)〜(h)は、(a)〜(d)のω=32 meV付近の拡大図。赤は室温で1.25TSDWより高温、青は230 Kで核共鳴非弾性散乱で異常の見られたTSDW〜1.25TSDWの温度領域に対応する。
図2.SrFe2As2のQ~(0, 0, L) (L= (a) 16.13, (b) 16.38, (c) 16.62, (d) 16.87)のX線非弾性散乱スペクトル。(e)〜(h)は、(a)〜(d)のω=32 meV付近の拡大図。赤は室温で1.25TSDWより高温、青は230Kで核共鳴非弾性散乱で異常の見られたTSDW〜1.25TSDWの温度領域に対応する。
図1および2では代表的なスペクトルとして、3行4列並んでいるアナライザーの中段の対称軸に近い4個のQのデータを示したが、上下の残り8個のデータも調べた。また、中心位置のQを変えた測定も行い、順に調べた。最終的には、図3に示すように、鉄砒素面内の動きのモードはQ=(3, 0, 0)から(4.5, -1.5, 0)付近、c軸方向の動きのモードはQ=(0, 0, 16)から(1, -1, 17)付近について測定を行ったが、どこも強度や幅が大きく変化するモードは見つからなかった。調べた位置を第一ブリルアンゾーンに畳み込むと図4のようになり、ほぼ全体について調べた事になる。
図3.測定を行ったQの位置。3×4の点からなる同じ色のセットは、一度の測定から得られる12個のQの位置を示す。(左)鉄砒素面内モード、(右)c軸モード。見やすくするために中心位置に点を描いているが、実際のアナライザーはほぼ接するように並べてあり、アナライザースリットは全開で測定している。
これらの結果は、既に発表されている核共鳴非弾性散乱の結果と矛盾するように思われる。その理由としては、今回の測定位置では構造因子の小さなモードが寄与している可能性、試料の準備状況の違い等が考えられるが、核共鳴非弾性散乱では粉末試料による平均値として変化が見えている事、試料は同じ人による作成であり、準備時間中の空気暴露による変化も考えにくい事から、現在のところ不明である。
鉄砒素面内の縦揺らぎが観測できる図1の、特にΓ点に近い(e)において、32 meV付近にフォノンは1本しか観測されていない。これは1111系のPrFeAsO1-yで報告された異常[7]に対応するものと推測でき、122系のSrFe2As2でも見られる事から鉄系超伝導体共通の性質と考えられる。なお同じSrFe2As2において、一軸圧力下冷却によってa軸とb軸の微妙な差の向きをマクロなサイズで合わせて(非双晶化)分散関係の方向依存性を測定すると、a軸とb軸が入り交じった双晶状態の試料では隠されていた差が出現する事が最近報告されている[8]。この時、モードによってはフォノンエネルギーの変化と少しの幅の広がりが観測されているが、フォノン状態密度を大きく変化させるほどの影響はない。しかし、この影響の定量的な見積りは、今後検討する必要がある。
今後の課題:
粉末試料を用いた核共鳴非弾性散乱で観測されていたフォノンの異常が、単結晶を用いたX線非共鳴非弾性散乱測定で観測できないというのは不可解である。還元波数qで考えると、図4に示すようにブリルアンゾーン内はほぼ網羅しているが、隙間も存在する。これを回避するには、新しく得られる情報がほとんどない実験になってしまうが、X線非共鳴非弾性散乱測定においても粉末試料でフォノン状態密度の測定を行ってみるのも一つである。また、核共鳴非弾性散乱では測定もされているEuFe2As2を用いた測定を行うのも一つの方向である。ただしいずれにせよ、核共鳴非弾性散乱の結果とX線非弾性散乱の結果との間の矛盾は、いずれ解決しなければならない問題であり、理論やモデル計算を含め、十分検討してから進める方が良いと思われる。
図4.測定を行ったqの位置。3×4の点からなる同じ色のセットは、一度の測定から得られる12個のqの位置を示す。伝統的なブリルアンゾーンで描いているが、本当のブリルアンゾーンはオレンジの線で描かれたところであり、さらに半分に折り畳まれる。また、対称性を考えれば、さらに各方向1/2で体積1/8に折り畳んだ領域のみを考えれば良い。色は、図3のものと対応している。また図3と同じく、見やすくするために中心位置に点のみを描いているが、実際のアナライザーはほぼ接するように並べてあり、アナライザースリットは全開で測定している。
謝辞:
この研究は、科学技術振興機構の「新規材料による高温超伝導基盤技術」(TRiP)の援助のもと、また、物質・材料研究機構、理化学研究所、および日本原子力研究開発機構の三機関による量子ビームテクノロジーの先導的研究開発に関する研究協力協定のもとで行われた。
参考文献:
[1] J.-H. Chu, J. G. Analytis, K. De Greve, P. L. McMahon, Z. Islam, Y. Yamamoto, I. R. Fisher, Science 329, 824 (2010).
[2] M. Yi, D. Lu, J.-H. Chu, J. G. Analytis, A. P. Sorini, A. F. Kemper, B. Moritz, Su.-K. Mo, R. G. Moore, M. Hashimoto, W-S. Lee, Z. Hussain, T. P. Devereaux, I. R. Fisher, Z.-X. Shen, PNAS 108, 12238(2011).
[3] S. Kasahara, H. J. Shi, K. Hashimoto, S. Tonegawa, Y. Mizukami, T. Shibauchi, K. Sugimoto, T.Fukuda, T. Terashima, A. H. Nevidomskyy, Y. Matsuda, Nature 486, 382 (2012).
[4] H. Kobayashi, S. Ikeda, Y. Yoda, H. Nakamura, M. Machida, Phys. Rev. B 84, 184304 (2011).
[5] S. Ikeda, K. Yoshida, H. Kobayashi, J. Phys. Soc. Jpn. 81, 033703 (2012).
[6] A.Q.R. Baron, Y. Tanaka, S. Goto, K. Takeshita, T. Matsushita, T. Ishikawa, J. Phys. Chem. Solids 61, 461 (2000).
[7] T. Fukuda, A. Q. R. Baron, H. Nakamura, S. Shamoto, M. Ishikado, M. Machida, H. Uchiyama, A. Iyo, H. Kito, J. Mizuki, M. Arai, H. Eisaki, Phys. Rev. B 84, 064504 (2011).
[8] N. Murai, T. Fukuda, T. Kobayashi, M. Nakajima, H. Uchiyama, D. Ishikawa, S. Tsutsui, H. Nakamura, M. Machida, S. Miyasaka, S. Tajima, A.Q.R. Baron, Phys. Rev. B 93, 020301(R) (2016).
ⒸJASRI
(Received: March 31, 2016; Early edition: May 25, 2016; Accepted: June 24, 2016; Published: July 25, 2016)