Volume4 No.2
SPring-8 Section A: Scientific Research Report
Tb錯体から成る単分子磁石の軟X線磁気円二色性による磁気特性解析
Element-Specific Magnetometry in Tb Complex Single-Molecule Magnets Using Soft X-Ray Magnetic Circular Dichroism Spectroscopy
a東北大学, b(公財)高輝度光科学研究センター
aTohoku Univ., bJASRI
- Abstract
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単分子磁石[TbNcPc]は分子構造・磁気測定から一軸磁気異方性が大きいことが推測されるが、スピンの向きがAu(111)基板に対して垂直か平行か何れかの状態をとるかは研究室レベルの測定では明らかになっていない。そこで放射光による軟X線磁気円二色性(MCD)測定を用い類似の単分子磁石[TbPc2]と比較しつつ、単層膜から多層膜に移行する過程で磁気異方性と分子配列の関係を明らかにした。
キーワード: 単分子磁石、単分子膜、軟X線MCD、軌道磁気モーメント、磁気異方性
背景と研究目的:
単分子磁石とはその名のとおり、単一分子で磁石の性質を示す。1993年にMnイオン12個からなるクラスター分子[Mn12O12(AcO)16(H2O)4]•2AcOHが単分子磁石として初めて報告された[1]。その後2003年に、テルビウム(III)フタロシアニン ダブルデッカー型錯体[TbPc2]が単一金属イオンで単分子磁石となることが報告された[2]。[TbPc2]が単分子磁石として優れている点は、単一金属イオンが磁性源となっていることや化学的・物理的安定性が非常に高いことにある。特に、熱的安定性に優れていることから各種基板へ真空蒸着が可能である。これまで薄膜の磁気特性や電気伝導特性について詳細な研究が行われてきた。また、近年ではグラフェンやカーボンナノチューブとのハイブリット化合物を用いたスピンバルブなど分子スピントロニクスにもその範囲を広げている非常に優れた分子である[3]。筆者らは、Au(111)基板上に蒸着した[TbPc2]の基板吸着単一分子の近藤共鳴を利用したスピン検出を報告している[4]。また、[TbPc2]のPc(フタロシアニン)をNc(ナフタロシアニン)に片方だけ変えた非対称分子[TbNcPc]を設計・合成し基板吸着単一分子の近藤共鳴を報告している[5]。分子間磁気相互作用の影響を取り除いた希釈サンプルで単分子磁石特性を比較したところ、[TbNcPc]と[TbPc2]はほぼ同じ挙動を示すことを確認している。対象とする[TbNcPc]単分子磁石は、分子構造・磁気測定から一軸磁気異方性が大きいことが推測されるが、スピンの向きがAu(111)基板に対して垂直か平行か何れかの状態をとるかは研究室レベルの測定では明らかになっていない。また、[TbNcPc]はπ拡張されたNc配位子間での分子間相互作用によってPc配位子とは異なる分子配列が期待できる。そこで類似の[TbPc2]と比較しつつ、単層膜から多層膜に移行する過程で磁気異方性と分子配列の関係を明らかにすることを目指した。測定には主に単分子膜(Au基板上に単分子磁石[TbNcPc]が1分子層だけ存在)を用いるが、このような極薄膜の磁気特性評価は、磁気量子干渉計(SQUID)等の研究室レベルの装置では検出感度が不足するために行うことができない。放射光を用いた軟X線磁気円二色性(Magnetic Circular Dichroism: MCD)測定によって1分子層レベルの希土類イオンの磁性を検出することがはじめて可能となる。
実験:
測定に用いた分子は、TbIII原子をフタロシアニン(Pc)とナフタロシアニン(Nc)で挟んだサンドイッチ型構造をもつ[TbNcPc]である(図1a)。この化合物は結晶構造解析、SQUIDでの磁気特性を調べた結果、単分子磁石挙動を示すことが判明している。さらに、超高真空蒸着法を用いた単分子膜[TbNcPc]試料の作製に成功しており、単層膜〜多層膜の作成が可能であることを確認している。測定試料はAu/マイカ基板上に作製された[TbNcPc]単分子磁石膜である(図1b-d)[5]。厚さ1モノレイヤーの単分子膜(10 Å)を主な測定対象とし、比較のために厚さ100〜200 Åの積層膜、厚さ2000 Åの積層膜の3種類の試料ついて測定を行った。放射光を用いた軟X線MCD測定により、1分子層レベルのTbIIIイオンの磁性を検出することを目的とした。磁場を異なる方向に印加した場合(基板に対して垂直および面内方向)についてMCDスペクトルの変化を測定することで、単分子磁石[TbNcPc]のTbIIIイオンの一軸磁気異方性を観測する。得られたスペクトルに対してSum rule(磁気光学総和則)解析を行うことで、Tb 4f磁気モーメントの定量的な評価を行った。また、元素別磁化曲線の測定により、TbIIIイオンの磁気状態がブロッキング温度以下であることの直接的な証拠となる磁気ヒステリシスを得ることを試みた。さらに、[TbPc2]と[TbNcPc]について、単層膜から多層膜に移行する過程で磁気異方性と分子配列の関係を同様の方法で調べた。測定はBL25SUにおいて、Tb M4,5吸収端(1240 eV)で行った。MCD信号の検出は全電子収量法によって行い、ツインヘリカルアンジュレータによる偏光反転法を用いた。試料基板の全面にAu層が存在するためチャージアップの心配は少ないと考えられるが、念のためTa金属線を試料基板表面に接触させ導電性を確保した。
図1.(a) 単分子磁石[TbNcPc]の分子構造. (b) Au(111)基板に真空蒸着した[TbNcPc]の単一分子層の走査トンネル顕微鏡(STM)像. [TbNcPc]のPc面が上を向いた状態とNc面が上を向いた状態が交互に並んでいる. (c) Nc面の拡大図. (d) Pc面の拡大図.
結果および考察:
使用したX線のエネルギーはTb M4,5吸収端(1200〜1300 eV)である。TbIII単分子磁石の磁性は低温でより顕著に現れるため、ヘリウムフロー型冷凍機で冷却可能な最低温度(6 K)まで試料温度を下げた。常伝導磁石により、最大±1.9 Tの磁場を印加し、MCDスペクトルおよび元素選択磁化(ESM)曲線を取得した。磁場方向を、試料面に垂直方向(θ = 0°)、45°方向(θ = 45°)、ほぼ面内方向(θ = 70°)の3とおりに変化させてMCDとESMのデータを取得し、TbIII単分子磁石の磁気異方性に関する情報を得た。MCDおよびXASスペクトルに磁気光学総和則[6,7]を適用し、TbIIIイオンの軌道磁気モーメントLz、スピン磁気モーメント2Szを算出した。Tbのホール数を6.0とした。磁気双極子モーメントTzがスピン磁気モーメントに比例すると仮定し、理論計算から予測されるTz/Sz = −0.081の関係を用いた。さらに、Szの値に対して係数0.882倍の補正を施した[8]。表1に各試料の磁気モーメントの値を示す。参考のため、TbIII常磁性イオンにおける値(T = 6 K, H = 1.9 Tでのブリルアン関数を仮定)も合わせて示す。その結果以下のことが判明した(図2, 3, 表1参照)。
(1) [TbNcPc]単層膜(10 Å)について、明確な垂直磁気異方性を観測した。TbIII磁気モーメントの値を算出したところ、全磁気モーメントは2Sz + Lz = 6.44 µB/atom、スピン磁気モーメントに対する軌道磁気モーメントの割合は、Lz/2Sz = 0.62であった。
(2) 膜厚によって磁気異方性が変化した。それぞれの膜厚と磁気異方性の向きは、垂直磁化(10 Å)、面内磁化(100〜200 Å)、等方的(2000 Å)であることがわかった。これは表面近傍の分子の配向性によるものと考えられる。
(3) [TbPc2]厚膜(2000 Å)で、垂直磁気異方性が観測された。厚膜においても表面分子が垂直配向していることを示唆している。[TbPc2]については膜厚によって配向膜の状態が大きく変化することが報告されているが[6]、今回は既報の結果とは異なる知見が得られた。蒸着条件で配向膜制御が可能であることが示唆される。
以上、初めて[TbNcPc]1分子層レベルのTbIIIイオンの磁性を検出することに成功した。また、配向膜中における磁気異方性に関する情報を得ることにも成功した。
図2.磁化曲線の膜厚依存性. (a) [TbNcPc]は明確に膜厚に依存する結果が得られた. (b) [TbPc2]は膜厚依存性が見られない.
図3.Au(111)基板上に10 Åの膜厚で真空蒸着した[TbNcPc]と[TbPc2]の比較. (a) MCDスペクトルの角度依存性. (b) 磁化曲線の角度依存性.
表1.Au(111)基板に吸着した[TbNcPc]と[TbPc2]の膜厚と磁気特性の関係
今後の課題:
[TbPc2]や[TbNcPc]は、単分子磁石特有のゼロ磁場近傍で起こる早い磁化量子トンネリング(Quantum tunneling of the magnetization: QTM)緩和現象によってスピンが反転してしまうことが原因で磁気ヒステリシスは2 K以下で観測される。現在、分子配列内での分子間磁気相互作用を内部磁場として利用しQTMを抑制する手法を検討している。また分子膜の配向性による磁気特性の変化を期待し、比較のために膜厚10 Å、200 Å、2000 Åの計3種類の試料について測定を行った。その結果、用いる分子の構造や基板の種類を含む蒸着条件によって分子配向制御が可能であることから磁化容易軸を自在に制御できることが明らかになり、これらの知見を薄膜作成に生かすことが可能である。磁気異方性を一方向に揃えるという観点からは[TbPc2]に将来性があるとは言えるが、[TbNcPc]についても蒸着条件によって分子配列の問題は解決できると考えられる(表1)。先行研究によれば、Au(111)基板に吸着した[TbPc2]薄膜のXMCDスペクトルは8 mT s−1で磁場を±5 Tまで掃引することで、磁気ヒステリシスを8 Kで観測している[9]。
一方、今回実験に使用した装置のスペックでは最低到達温度が6 Kであったが、磁気ヒステリシスが観測されなかった。本実験で得られた全磁気モーメントの値は、全ての試料についてTbIII常磁性イオンの理論値よりも小さい。これは、測定中の試料温度が6 Kまで下がりきっておらず、実際には10 K程度の試料温度で測定していた可能性も考えられる。また、磁化曲線が完全に飽和していないことから、最大印加磁場が±1.9 Tでは不十分であることも明らかになった。従って、装置に関しても4 K程度まで確実に試料温度を冷却でき、また最低±5 Tの磁場印加が可能でかつ磁場掃引速度が制御可能な状態が望ましい。放射光を用いた軟X線MCD測定が基板に吸着した単分子磁石の磁気特性評価に対して優れた手法であることは明確である[10,11,12]。従って、超伝導電磁石の導入など装置の高度化によってより詳細な評価を行うことが可能になると考えられる。
謝辞:
薄膜試料の作成は、東北大学多元物質科学研究所米田忠弘教授ならびに米田研究室のスタッフ、学生に協力して頂いた。また、本研究はMEXT科研費24750119、20225003およびJST、CRESTの支援を受けたものである。
参考文献:
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ⒸJASRI
(Received: December 11, 2015; Early edition: April 25, 2016; Accepted: June 24, 2016; Published: July 25, 2016)