Volume4 No.2
SPring-8 Section A: Scientific Research Report
軟X線光電子顕微鏡を用いたSm2Fe17N3焼結磁石表面の化学状態および磁区観察
Magnetic Domain and Chemical Mapping Observations of Sm2Fe17N3 Sintered Magnet Surface by Photo-emission Electron Microscope Technique with Soft X-ray Irradiation.
(国研) 産業技術総合研究所 分析計測標準研究部門
Research Institute for Measurement and Analytical Instrumentation,
National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST).
- Abstract
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自動車モーター用の永久磁石材料候補の一つであるSm2Fe17N3焼結磁石の表面での化学状態マッピングならびに磁区構造の端緒の観察を、軟X線円偏光と光電子顕微鏡を利用して行った。小型の磁気閉回路を開発することで面内磁化試料においても、光電子顕微鏡観察を可能にした。その結果、磁区サイズは0.5~1 μm程度であり、未着磁試料では粒内に多磁区構造が見られた。残留磁化状態の面内磁化試料では同じ磁化軸方向の磁区が大多数であったが、僅かな逆方向の磁区の存在も示唆された。
キーワード: 重希土類フリー、省エネルギー化、磁気円二色性、円偏光
背景と研究目的:
近年、低炭素社会の実現に向けた電気自動車やハイブリッド自動車などの次世代自動車の普及が強く推進されている。これら次世代自動車の更なる省エネルギー化において、モーターの高効率化は不可欠である。最近このモーターとして、永久磁石埋め込み型モーター(Interior Permanent Magnet Motor; IPMモーター)が実用化された。このIPMモーター用の磁石として、従来はDy添加Nd-Fe-B系磁石などが用いられてきた。しかしDyなどの希少な重希土類元素はその安定供給が不安視されており、Dyを用いない代替磁石や作製方法の開発が国家的急務となっている。
我々の研究グループでは、代替磁石としてSm-Fe-N系焼結磁石を候補に挙げ、その実用化に向けた焼結方法の開発や磁気特性研究を進めている。Sm-Fe-N系磁石はNd系磁石よりも高いキュリー温度(約450 °C)を示すが、焼結の困難さからその応用はボンド磁石に限られていた。
本研究グループの一員である産業技術総合研究所無機機能材料研究部門の高木らによって、Sm-Fe-N系磁石の低温・高圧条件における焼結手法が開発された[1,2]。この手法はSm1Fe7N磁石といった等方性磁石粉末に対しては、有力であることが証明された。しかし、より高い飽和磁化や保磁力を示す異方性Sm2Fe17N3磁石では、焼結温度がキュリー温度よりも十分に低い場合でも保磁力の大幅な減少が観測されている。この保磁力の減少は、焼結時にZn元素を添加することで改善することも分かってきた[3]が、この場合、飽和磁化は減少してしまう。
このような磁気特性、特に保磁力の変化の原因は正確には未だ明らかにされていない。そこで本研究では様々な条件で作製したSm-Fe-N系磁石試料の磁区、特に逆磁区の発生・成長や磁気モーメントの変化を詳細に観察することで、保磁力などの重要な磁気特性変化のメカニズムを明らかにし、磁石の高性能化へとフィードバックすることを最終的な目標にしている。しかし本磁石の磁区観察すら未だ殆どなされていないのが現状である。
そこで本研究では、軟X線円偏光と光電子顕微鏡(Photo-emission Electron Microscope; PEEM)を用いて、次世代磁石材料候補であるSm2Fe17N3焼結磁石表面の端緒の磁区観察ならびに局所X線吸収(X-ray Absorption Structure; XAS)・磁気円二色性(Magnetic Circular Dichroism; MCD)スペクトルを計測し、本試料の磁区形状などの基本的な磁気特性を明らかにすることを目的とした。
実験:
焼結磁石試料として、異方性Sm2Fe17N3磁石および10 wt%のZnを添加した異方性Sm2Fe17N3磁石を通電焼結法により作製した。Zn添加試料はSm2Fe17N3磁石粉末とZn粉末とを混合した後に、焼結して作製した。焼結温度は無添加試料で約400 °C、Zn添加試料で約350 °Cであった。保磁力は無添加試料で約4 kOe、Zn添加試料で約14.5 kOeであった。それぞれの磁石試料に対して、試料表面を研磨した試料を二つ作製し、一方は面内方向に着磁処理を行った。もう片方は未着磁状態のままで使用した。磁化試料は残留磁化状態のものを使用した。
実験当初は面直方向に磁化した試料のPEEM観察を試みたが、試料の漏れ磁場に光電子軌道がトラップされることなどにより、PEEM画像を結像させることができなかった。
そこで漏れ磁場を大幅に低減させるための小型の磁気閉回路(図1参照)を設計・開発し、また磁気回路を構築しやすい面内磁化試料を用いることにした。この磁気閉回路は純鉄製である。PEEMの試料ホルダーに搭載できるように約9 mm×9 mm×4 mmという小型のものを開発した。この中に5 mm角、厚さ約1 mmの面内磁化試料を設置することで、元々100~300ガウス程度であった漏れ磁場の強度を10分の1以下にまで減少させることができた。これにより、後述するように面内磁化試料のPEEM観察に成功した。
図1. 開発した面内磁化試料用の磁気閉回路の概要図と写真
PEEM実験はSPring-8 BL25SUにて行った。このビームラインにはPEEM装置としてElmitec社製のPEEMSPECTORが整備されている。アンジュレータからの円偏光の左右を0.1 Hzで変調させ[4]、左・右円偏光でのPEEM画像強度の差分をとって、MCD画像、すなわち磁区画像とした。同様の手法を用いて、既にNd-Fe-B系焼結磁石の磁区観察の報告がなされている[5,6]。PEEM計測前に、プレチャンバーにて約1時間程度Ar+スパッタリングを行った。入射軟X線のエネルギーとして、主にFe L2,3吸収端、Sm M4,5吸収端、Zn L2,3吸収端付近のエネルギーを選択した。この時、入射エネルギーを細かく変えて、PEEM画像と磁区画像の軟X線エネルギー依存性を測定し、局所的なXASならびにMCDスペクトルを得た。
結果および考察:
未着磁の無添加およびZn添加したSm2Fe17N3磁石表面のPEEMによる元素マッピングおよびMCD(磁区)画像観測結果の一例を図2,3にそれぞれ示す。ここで視野は全て10 μmである。図2(b)にFe L3吸収端、(c)にSm M5吸収端の光エネルギーで観測した磁区画像を示す。一つの結晶粒内に多磁区構造が多く見られており、磁区のサイズは大体0.5~1 μm程度であることが分かった。一般にMCDはX線入射方向に沿った磁化成分を検出するために、図2(c)に入射X線と直交する成分があったとしても検出できない。そこで試料を面内方向に90°回転させて測定を行った(図2(d))。図2(c)と(d)とを比較すると、図2(c)では磁区が見られなかった領域に新たに磁区が見られる。その逆に磁区が見られなくなる領域や変化しない領域も見られる。これより磁化軸の方向は各磁区間で分散していることが確認された。
図2. 未着磁のSm2Fe17N3磁石のPEEM観測結果の一例; (a) Fe L3吸収端元素マッピング、(b) Fe L3吸収端MCD画像、(c) Sm M5吸収端MCD画像、(d) (c)の試料配置から面内方向に90°回転させた配置でのMCD画像観測結果。視野は全て10 μm、図中の実線矢印は入射X線の方向を示す。
図3(a), (b)にZn添加したSm2Fe17N3磁石表面のSmとZnの元素マッピング画像をそれぞれ示す。Sm濃度の低い(暗部)領域にZnが多く存在しており、Znは主に粒と粒の間に存在していることが分かる。また図示はしないが、Feの元素分布はSmのものとほぼ同じである。しかしSmでは所々に小さな明るい点が観測されており、Smが一部偏析していることが分かる。Zn添加したSm2Fe17N3磁石表面でも無添加試料と同様に様々な方向の多磁区構造が確認された(図3(c))。Zn添加による磁区構造の変化は現状では明らかには見られなかった。
図3. 未着磁のZn添加Sm2Fe17N3磁石のPEEM観測結果の一例; (a) Sm M5吸収端元素マッピング、(b)Zn L3吸収端元素マッピング、(c) Sm M5吸収端MCD画像。視野は全て10 μm、図中の実線矢印は入射X線の方向を示す。
図4に面内方向に磁化させたZn添加Sm2Fe17N3磁石のSm M5吸収端とFe L3吸収端でのPEEMによる元素マッピングと磁区画像観察の結果(視野10 μm)、およびFe L2,3吸収端近傍での局所的なXASおよびMCDスペクトルの一例を示す。Fe L3吸収端での画像の解像度がSmより低い要因は、画像取得の際の積算回数の違いによる。これらのPEEM画像計測は図1に示した磁気閉回路の開発と導入によって、はじめて可能になった。しかしながら本閉回路を用いても、試料のすべての位置でPEEM観察ができるわけではなく、観測位置は漏れ磁場の影響が少ない領域のみに制限される。今後はより漏れ磁場の小さい閉回路の開発が必要である。
SmとFeの元素マッピング(図4(a),(b))から、SmとFeはほぼ一様に分布しているが、未着磁試料と同様にSmは一部偏析していることが分かる。例えば図4(a)の上部などに白色の領域が見られるが、これと対応する図4(b)の領域のFe濃度は低い。この原因は現時点では明確ではないが、焼結時の酸化反応などが候補として考えられる。
図4(c),(d)に示す磁区画像では、未着磁試料で多く観測された多磁区構造は見られずに、磁化軸の方向が一方向(図中、Smでは黒色、Feでは白色)の磁区および磁化が小さいと考えられる領域(図中、灰色)が観測された。またわずかながら逆方向の磁区らしき領域(図4(d)の領域D)も観測された。
これら領域での磁化状態を詳細に解析するために、試料位置を特定した局所的なXASおよびMCDスペクトルをFe L2,3吸収端近傍で計測した。その結果をそれぞれ図4(e)の上下に示す。ここで白色の領域(図4(d)の領域B)や灰色の領域(図4(d)の領域A,C)でのスペクトルも算出した。XASスペクトルでは、Fe L3吸収端近傍の703 eVと704 eV付近にピークが見られる。前者は主にFe、後者は主にFe酸化物由来のピークであることが知られている。この二つのピーク強度の比は必ずしも一定ではないことから、Feだけでなく、鉄酸化物の分布も一様でないことが分かる。
図4(e)下に示すMCDスペクトルでは、白色の領域Bには強いMCDピークが見られたが、灰色の領域A,CのMCDピーク強度はBと比べて数分の一以下であった。領域A,Cと同様の灰色の磁化の微弱な領域は本試料で半分程度見られている。この理由として、スパッタリング時間が不十分であったことが挙げられる。つまり灰色の領域ではまだ十分に表面層を取り除けておらず、正確な磁区の観測に至っていない可能性が高い。
領域DではMCDピーク強度がほぼ無い、もしくは僅かに逆方向と見られるMCDピークを観測した。これが本当に逆方向のMCDピークならば、残留磁化試料においても、僅かではあるが逆磁区が存在していることを示している。焼結したSm2Fe17N3磁石は角型比(残留磁化/飽和磁化)の値がNd-Fe-B焼結磁石などと比較してあまり良くない。逆磁区の発生が真実ならば、低い角型比のために残留磁化試料においても逆磁区が発生したと考えられる。
図4. 面内磁化したZn添加Sm2Fe17N3磁石の(a) Sm M5吸収端、(b) Fe L3吸収端での元素マッピング、(c) Sm M5吸収端、(d) Fe L3吸収端でのMCD画像、(e) 図(d)中の領域A-DでのFe L2,3吸収端近傍のXAS(上図)とMCD(下図)スペクトル。図中の実線矢印は入射X線の方向を示す。(a)-(d)の視野は全て10 μmである。
今後の課題:
今後はまず面内磁化試料における逆磁区発生の真偽を確認する。そのために残留磁化試料だけでなく、逆磁場を印加して磁化を弱めた試料の観測を行っていく。さらに主に試料温度変化や逆磁場を印加した試料の観測を行い、逆磁区の成長や各構成元素の磁気モーメントの変化を系統的に観測していくことで、本磁石試料の磁気特性変化のメカニズムを解明することを目指していく。併せてより正確に本試料の磁区を観測するためのスパッタリング条件や磁気閉回路の改良なども行っていく。試料表面だけでなく、内部の磁化状態の計測も重要であるため、そのような観測を行う実験課題の提案も考慮している。また酸化物の存在は本磁石の性能劣化の一因であると考えており、今後は詳細に酸化物の影響についても調査していく。
参考文献:
[1] K. Takagi, H. Nakayama, K. Ozaki, K. Kobayashi, J. Magn. Magn. Mater. 324, 1337 (2012).
[2] K. Takagi, H. Nakayama, K. Ozaki, J. Magn. Magn. Mater. 324, 2336 (2012).
[3] 高木健太、尾崎公洋、紛体および粉末冶金, 59, 564 (2012).
[4] T. Hara, K. Shirasawa, M. Takeuchi, T. Seike, Y. Saitoh, T. Muro, H. Kitamura, Nucl. Instr. Meth. A, 498, 496 (2003).
[5] S. Yamamoto, M. Yonemura, T. Wakita, K. Fukumoto, T. Nakamura, T. Kinoshita, Y. Watanabe, F. Z. Guo, M. Sato, T. Terai, T. Kakeshita, Mater. T. Jim. 49, 2354 (2008).
[6] R. Yamaguchi, K. Terashima, K. Fukumoto, Y. Takada, M. Kotsugi, Y. Miyata, K. Mima, S. Komori, S. Itoda,Y. Nakatsu, M. Yano, N. Miyamoto, T. Nakamura, T. Kinoshita, Y. Watanabe, A. Manabe, S. Suga, S. Imada, IBM J. Res. Dev. 55, 12 (2011).
ⒸJASRI
(Received: March 9, 2016; Early edition: April 25, 2016; Accepted: June 24, 2016; Published: July 25, 2016)