SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume4 No.1

SPring-8 Section B: Industrial Application Report

界面活性剤処理によるヒト皮膚角層の構造変化の小角・広角X線散乱法を用いた解析(第5報)
Study on the Structural Change of Human Stratum Corneum Induced by the Treatment of Surfactant Solutions Using Small- and Wide-Angle X-ray Scattering, Part 5

DOI:10.18957/rr.4.1.124
2014B1617 / BL40B2

久米 卓志a, 坂井 隆也a, 加賀谷 真理子a, 宮崎 敦史a, 藤井 亮輔a, 小野尾 信a, 山田 真爾a, 太田 昇b, 八田 一郎c

Takuji Kumea, Takaya Sakaia, Mariko Kagayaa, Atsushi Miyazakia, Ryosuke Fujiia, Makoto Onooa, Shinji Yamadaa, Noboru Ohtab, Ichiro Hattac


a花王株式会社, b(公財)高輝度光科学研究センター, c(公財)科学技術交流財団

aKao Corporation, bJASRI, cASTF


Abstract

 これまでに我々はSPring-8の高強度X線の利点を生かし、界面活性剤溶液浸漬後の短時間(数分~1時間)での角層のソフトケラチン構造の変化に着目し、とくにq ≈ 6 nm−1近傍に見られるプロトフィブリル由来の散乱ピークについてX線散乱法を用いた解析検討を行ってきた。しかしながら、さらに高次の構造であるミクロフィブリル構造(q ≈ 1 nm−1近傍)の観測には、X線散乱法では界面活性剤ミセルの散乱が妨害となる課題があった。そこで角層細胞内でのケラチン線維の配向を利用した積層角層シートでの2次元散乱解析により、ケラチン線維構造を評価する手法の検討を実施した。その結果、垂直・平行方向とも散乱プロファイルにミセル由来のピークは重畳しているが、ミセル由来のピークよりも垂直方向の角層構造由来のピークは十分に強く現れ、積層角層シートを利用した2次元散乱解析の有効性が確認できた。とくに今回の検討では、実験手法の確立を目標とし、2014A期と異なるビームラインを用いて検出器などの光学系の異なる条件での比較実験を実施した。


キーワード: human stratum corneum, surfactant, X-ray scattering, soft keratin, fibril structure


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背景と研究目的:

 化粧品・香粧品には、目的に応じて種々の界面活性剤が配合されている。界面活性剤はその種類や処理条件によっては、角層の様々な組織・スケールでの構造変化や成分溶出等を引き起こし、結果として角層機能(保湿やバリア機能)の低下を招く恐れがある。我々はこれまでに界面活性剤水溶液の処理に伴うヒト皮膚角層の経時的な構造変化について、特に角層細胞を構成するケラチンタンパク質に注目して小角・広角X線散乱法による解析を行ってきた。しかしケラチンの高次構造体であるミクロフィブリル構造の変化を追跡するためには、同程度のサイズである界面活性剤ミセル由来の散乱が重なり解析が困難であるという問題があった[1–4]

 そこで本課題の実験では、前期実験(課題番号2014A1516)に引き続き、角層細胞内でのケラチン線維の配向を利用した積層角層シートでの2次元散乱解析により、界面活性剤ミセルの影響を排除して角層構造変化を短い時間スケールで時分割測定を可能にする手法を確立することを目標とした。

 なお、2014A期の実験はBL19B2で実施しており、以前のBL40B2の実験(積層していない等方的試料を使用)[1, 2]と比較して、散乱プロファイルのS/N比が悪い(そのためq = 5–7 nm−1付近のケラチンプロトフィブリル由来のピークが不鮮明である)、BL19B2のPILATUS-2M検出器では不感部によるプロファイルに切れ目ができる(短時間での時分割測定のため、検出器を動かすことによる不感部補完ができない)といった幾つかの課題が明らかになっていた[3, 4]。今回はBL40B2に戻って積層角層シートでの実験を行い、これらの課題対策のための検討を実施した。


実験:

1) 角層と処理溶液:ヒト腹部由来の角層(シート状、Biopredic社製)を試料とし、1.5×1.5 mm2に切り出した角層シートを30枚/1 mm厚で積層して溶液セル[5]内にセットした。処理溶液としては、ドデシル硫酸ナトリウム(SDS)とアルキルエーテルカルボキシレートの界面活性剤水溶液(濃度0.1 M(=約3 wt%))および水を用いた。処理溶液はpH10に調整した。

2) 実験方法:セルにセットした乾燥状態における積層角層シートのX線散乱測定を行った。その後、処理溶液(水または界面活性剤水溶液)をセル内に注入し、注入直後から約1時間後まで、時分割の小角X線散乱測定を行った。

3) 使用装置・測定条件:SPring-8のBL40B2を利用した。X線の波長は0.089 nm(14 keV)、カメラ長は1170 mm(ベヘン酸銀で較正)とした。検出器にはイメージングプレート(IP)、イメージインテンシファイアー+イメージカメラ(II+CCD)を用いて散乱像を取得し(露光時間は10 s)、積層面に対して垂直・平行方向に±20°の範囲で扇形平均を計算して1次元散乱プロファイルデータを得た。


結果および考察:

 以前のBL40B2の実験[1, 2]では小角(ケラチン線維ミクロフィブリル構造および細胞間脂質の長周期構造) 、中角(ケラチン線維プロトフィブリル構造)、広角(細胞間脂質の面内充填構造)の観測に適すると想定した散乱ベクトルq領域である約0.3 nm−1q<20 nm−1の範囲にて実験を実施してきた。しかしながら、これまでの連携利用のJ-PARCの中性子散乱実験[2, 3]の結果から、より小角領域を含む0.2–0.6 nm−1の範囲にミクロフィブリル間の干渉性1次ピークと推定される構造由来のピークが現れることが判明した。そこで2014A期の実験からは約0.1 nm−1q<約8 nm−1の範囲として小角、中角の観測領域に焦点をあてて実験を行っている。

 今回のBL40B2の実験でも上述の小角領域寄りのq範囲に設定して測定を行った。その結果、角層からの散乱は小角領域で急激に強度が増加するため、IP検出器を利用した場合にはダイナミックレンジが不足し、中角領域で十分なS/N比を得た測定は困難であることがわかった。具体的には、以前の実験[1, 2]では波長0.083 nm (15 keV)、カメラ長約500 mmの条件で測定していたものを、より小角領域寄りにするためにカメラ長を約2倍にして測定を行った。しかし小角領域の高い散乱強度のため、以前の実験と同じ10 sの露光時間ではIPの焼き付き現象が起き、時分割の連続測定が不可能であった。焼き付き現象を防ぐために露光時間を短くすると、以前の実験よりカメラ長が長いことに加え、積層角層シートを用いた測定では扇形平均を計算するため以前の実験より平均化に用いる範囲が狭くなることから中角領域でのS/N比が顕著に悪化した。

 また、II+CCD検出器を利用した場合では、検出器面積が小さいため中角領域をカバーできず、測定q範囲が小さくなりすぎることが明らかになった。図1,2にII+CCD検出器を用いたSDS溶液および水での処理の時分割X線散乱測定の結果を示す。図3には1次元散乱プロファイル計算前の2次元散乱像データの典型例として、水(pH10)処理(図2のデータ)の水処理前乾燥時および水処理90分後の2次元散乱像を示す。このときの測定q範囲は約0.1 nm−1q<約3 nm−1であった。小角領域の散乱強度が強いことからS/N比が悪化することなく、またダイナミックレンジ不足(IPでの焼き付き現象に相当するオーバーフロー)も生じなかったが、中角領域にピークが現れるプロトフィブリル構造の観察が不可能であった。なお、観測できた小角領域については、以前の実験で実施したランダムに充填した角層試料からの等方的な散乱プロファイル[1, 2]と比較して、垂直方向で角層構造由来のピークが明確に現れていた(図1,2)。垂直方向のプロファイル(図1(a), 図2(a))でのピークは、小角領域側よりミクロフィブリル構造由来・細胞間脂質短周期(6 nm)ラメラ由来・細胞間脂質結晶成分由来(とくに高角領域側のq = 1.89 nm−1のピークはコレステロール結晶由来[6])と推定された。垂直・平行方向とも散乱プロファイルにミセル由来のピークは重畳しているが、ミセル由来のピークよりも垂直方向の角層構造由来のピークは十分に強く角層シートを積層した効果が現れており、積層角層シートを利用した2次元散乱解析の有効性が示されたと考えている。

 なお、今回のBL40B2の実験においては、希望の小中角領域をカバーするIP検出器を用いた測定では複数回にわたり照射(露光)時間や光学系条件を変えて検討したものの上述のとおり満足のいく精度でのデータが得られなかった。その後II+CCD検出器に変更して実施した検討では課題申請時の想定よりも検出器の切り替えに時間がかかり、さらにII+CCD検出器でも数回照射(露光)時間・光学系条件の選択・再現性の検討を実施した。そのため、割り当てられた実験シフト(3シフト、24時間)内では、水および2種の界面活性剤溶液での浸漬条件での実験のみ実施し、順調に実験が進行した場合に想定していた各種の界面活性剤(各種濃度 ・pH条件)での測定はかなわなかった。



図1 SDS 0.1 M(pH10)溶液処理実施後の積層角層シートからのX線散乱プロファイルの経時変化:(a)垂直方向および(b)平行方向のデータ、(c)溶液のみのX線散乱プロファイル



図2 水(pH10)処理実施後の積層角層シートからのX線散乱プロファイルの経時変化:

  (a)垂直方向および(b)平行方向のデータ



図3 図2(水(pH10)処理のX線散乱プロファイル)の扇形平均計算前の2次元散乱像データ例:(a)水処理前乾燥時および(b)水処理90分後のデータ


 一方、BL19B2でのPILATUS-2M検出器を用いた測定については、2014A期の実験後に産業利用推進室の佐藤眞直氏らの尽力により、測定時のビーム中心位置を検出器中心からずらして測定することと、扇形平均を上下(または左右)両方で平均するデータ処理プログラムが完成したことで、プロファイル切れ目は対処できる目処がついた。ビーム中心位置をずらすことで、上下(または左右)の扇形平均の不感部の範囲がずれるので補完することが可能となる。改善されたBL19B2の検出法を用いることによって、急激に強度が増加する小角領域からq = 7 nm−1付近のケラチン線維プロトフィブリル構造由来のピークまでが観測可能と期待される。

 以上の2014A,B期でのBL19B2,BL40B2の検討結果に鑑み、今後は角層のケラチン線維ミクロフィブリル、プロトフィブリル構造の両方の変化を観測するために小角–中角領域を広いダイナミックレンジで測定可能なBL19B2のPILATUS-2M検出器を利用し、S/N比改善のため測定(露光)時間を考慮しつつ測定することが適切であると考えられた。


今後の予定:

 界面活性剤処理による角層内部構造の短時間での変化を時分割X線散乱法により解析するため、2014A,B期にて積層角層シートを利用した2次元散乱解析により界面活性剤ミセルの影響を排除した解析法の検討を実施した。この検討により検出器等による課題の洗い出しを行い、対策の目処がついた。そこで、2015A期にてBL19B2を利用して各種界面活性剤を用いた実験を予定している。また、それらの結果の検証を、長時間経後のデータを用いて連携利用のJ-PARC MLF(中性子線施設)でのこれまでの実験および2014B期予定実験(積層角層シートの中性子実散乱実験)の結果との比較で実施する予定である。


参考文献:

[1] 山田真爾 他,SPring-8利用研究成果集,1(1), B-1(2012), 2011B1754.

[2] 久米卓志 他,日本中性子科学会誌 波紋,24(1), 15(2014).

[3] 久米卓志 他,日本中性子科学第14回年会講演概要集 22(2014).

[4] 久米卓志 他,SPring-8利用課題実験報告書,産業利用課題実施報告書, 2014A1516.

[5] I. Hatta, et al., Chem. Phys. Lipids 163, 381 (2010).

[6] J.A. Bouwstra et al., J. Investig. Dermatol. 97, 1005 (1991).



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(Received: January 27, 2015; Early edition: August 25, 2015; Accepted: December 11, 2015; Published: January 25, 2016)