SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume4 No.1

SPring-8 Section B: Industrial Application Report

BaTiO3にドープされた遷移金属の化学状態分析のためのHAXPES測定条件の最適化
Optimization of HAXPES Measuring Condition for Chemical State Analysis of Transition Metal Doped in Barium Titanate

DOI:10.18957/rr.4.1.128
2014B1885 / BL46XU

尾山 貴司, 西村 仁志

Takashi Oyama, Hitoshi Nishimura

 

株式会社村田製作所

Murata Manufacturing Co., Ltd.

 

Abstract

 BaTiO3誘電体セラミックスに添加された遷移金属の価数分析法として硬X線光電子分光(HAXPES:HArd X-ray PhotoElectron Spectroscopy)に注目し、価数の解析が可能な光電子スペクトルを取得するための測定条件を検討した。試料にカーボンコートを施し併せて電子線照射を行うことにより、試料表面の帯電が抑制され、変調がない光電子スペクトルが得られることがわかった。また硬X線に対しイオン化断面積が大きい1s準位を選定することにより、微量の遷移金属の光電子スペクトルの検出が可能であった。


キーワード: チタン酸バリウム、遷移金属、硬X線光電子分光


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背景と研究目的:

 高度なユビキタス社会の発展にはスマートフォンやウェアラブル機器に代表されるネットワーク端末の小型軽量化が必要不可欠である。これを支えるのは端末に組み込まれる電子部品の小型化であり、中でも実装数が多い積層セラミックコンデンサ(MLCC)の小型・低背化が、高い信頼性の実現とともに強く求められている。

 MLCCは内部電極であるニッケルとチタン酸バリウム(BaTiO3)系誘電体セラミックスの二層が交互に積層された構造となっており、共焼成によって製造される。焼成においてはニッケルの酸化を防ぐために低い酸素分圧が要求されるが、この結果として誘電体が還元され半導体化する問題がある。この問題を解決するため、誘電体に遷移金属を微量に添加して自由電子の生成を抑制して耐還元性を付与している[1]。添加された遷移金属は+2ないし+3価イオンとしてペロブスカイト構造のBサイトを占有し、アクセプタとして機能する[2]。しかしながら遷移金属の価数やその比率は焼成条件等のプロセスにより敏感に変化する[3]。遷移金属の価数は誘電体中の酸素空孔の量に関係し、MLCCの信頼性(経年劣化)にも影響するといわれていることから[4]、MLCCの誘電体材料において遷移金属の価数を定量的に知ることは極めて重要といえる。

 金属元素の価数分析法として、酸化還元反応を利用した化学分析的な手法のほかX線吸収分光(XAS:X-ray Absorption Spectroscopy)や電子スピン共鳴(ESR:Electron Spin Resonance)、X線光電子分光(XPS:X-ray Photoelectron Spectroscopy)などが知られている。しかしながら共存する他の元素の干渉や内部電極のニッケルの妨害が無視できない、検知可能な価数が限定される、分析深さが浅いなど、いずれの手法にも原理的な制約がある。このため現在のところMLCC試料に対応する分析法が確立されているとはいえない。このことが価数制御に基づく材料設計を妨げており、新規の誘電体材料の早期創生の障害の一つとなっている。信頼性の高いMLCCの開発を促し、これによる社会発展に貢献するためには、価数を定量的に分析する手法の確立が強く望まれる。

 今回、我々はMLCCの誘電体層に含まれる微量の遷移金属の価数分析法として、アンジュレータ光源を用いる硬X線光電子分光(HAXPES)に着目した。高エネルギーかつ高輝度の単色化X線をプローブとするHAXPESは、元素選択的に内殻光電子スペクトルの測定が可能であることから共存元素の影響が小さく、かつバルクライクで微量成分の検出が期待できる。しかしながらMLCCには内部電極が内包されているとはいえ、分析対象である誘電体層は絶縁物であることから、HAXPESにおいては測定中の試料の帯電を補償し、変調のない光電子スペクトルを取得することが肝要となる。また微量成分であっても、十分なS/N比の光電子スペクトルが得られる内殻準位の選定が重要となる。本課題においては、典型的な添加遷移金属としてバナジウム(V)を選定し、これを含有するBaTiO3を誘電体とするMLCCを用いて、光電子スペクトルの変調を抑制する帯電補償条件および光電子スペクトルの検出、価数評価に有利な内殻準位の検討を行った。

 

実験:

 ベース材料をBaTiO3とし、Vの添加濃度をTiに対し0.4 atom%に調整したセラミックスを誘電体層とする1005サイズ(L 1.0×W 0.5×T 0.5 mm)のMLCCを用意した。誘電体の層厚は約1 μm、積層数は200である。このMLCCの積層断面を研磨により露出させ、これを金属板上に導電ペーストで固定したものをHAXPESの測定試料とした。

 HAXPESにおける絶縁物の帯電は深部にまで及ぶことから、フラッドガン(低エネルギー電子銃)による電子線の照射のみによって帯電を補償することは難しいと想像される。そこで帯電防止を目的として、膜厚1 nmのカーボンコートを行い測定に供した。今回導電性コート材種としてカーボンを選定したのは、膜のインピーダンスが金属コーティング膜のそれに比べて小さいこと、膜密度が小さく試料からの光電子の脱出を阻害しにくいこと、コーティング成分からの情報として検出される光電子ピークの数が少なく、スペクトル解析の妨害にならないことによる。

 HAXPESの測定はSPring-8のBL46XUにて実施した。二結晶分光器(結晶面:Si(111))とチャネルカット結晶(結晶面:Si(444))で単色化したエネルギー7939 eVのX線ビームを用い、スリット形状はcurved 0.5 mmとした。HAXPES測定時の光電子エネルギー分析器(VG-SCIENTA製R-4000)はパスエネルギーを200 eV、エネルギーステップを0.1 eVに設定した。また光電子取り出し角度(TOA:Take Off Angle)は試料面に対し90゚とした。

 帯電の補償条件の検討は、フラッドガンの設定をエミッション電流4~15 μA、引き出し電圧20~40 V(バイアスは4 Vに固定)の範囲で系統的に変化させながら、積算時間を200 ms、掃引回数を1回としてTi 2pおよび1s光電子スペクトルを測定し、それらのピークの形状、束縛エネルギー値の変化を解析することで行った。また最適化した帯電補償条件下で、積算時間を200 ms、掃引回数を50回としてV 2pおよび1s光電子スペクトルを測定し、検出および価数評価に有利なVの内殻準位の見極めを行った。

 

結果および考察:

 図1(a)に、MLCC試料から得られたTi 2p光電子スペクトルを示す。カーボンコートを施していない場合、2p3/2と2p1/2の二つのピークは確認されるものの、それらのピークの束縛エネルギー値は460.1 eVであり、+4価を示す束縛エネルギー値(458.8 eV)[5]よりも高エネルギー側に検出された。さらに、これらのピークには低エネルギー側へのブロードニングが確認された。これらの光電子スペクトルの特徴はフラッドガンによる電子線照射の有無や設定条件によって変化せず、図1(b)に示すTi 1s光電子スペクトルにおいても同様の傾向が確認された。以上の結果は、カーボンコートを行わない場合、X線照射領域内で試料表面が正に帯電し、また帯電に不均一性があることを示している。ゆえに、何の導電処理も行わないそのままのMLCC試料の場合、電子線照射のみによって帯電を補償することは困難であると判断される。一方、カーボンコートを行った試料においては、電子線照射を行わなくとも2p3/2ピークがTi4+を示す束縛エネルギー値に検出された。

 ただし、高エネルギー側に若干のブロードニングが認められた。このことは、X線照射領域の大部分は帯電していないが、一部に帯電した領域が残った状態であることを示している。さらに電子線照射を行うと、2p3/2ピークはエネルギーシフトすることなくブロードニングが解消され、ガウス状の形状となった。このような光電子スペクトルの変化は、Ti 1sも同様であった。これらの結果は、電子線照射によって一部に残った正の帯電が完全に補償されたことを示している。つまり、カーボンコートを行うことで試料表面が接地されたことにより、X線照射による帯電が起こらず、また一部の残存する帯電も電子線照射によって効果的に除去できる。今回の試料では、引き出し電圧を40 Vとし、エミッション電流を12 μA以上として電子線の照射を行うことにより、試料表面の帯電を補償可能であると結論付けられる。

図1 MLCC試料から得られた(a)Ti 2p光電子スペクトルと(b)Ti 1sの光電子スペクトル

 

 カーボンコートを行った試料を用い、フラッドガンによる電子線照射によって帯電補償された条件下で測定したV 2pおよび1s領域の光電子スペクトルを図2および3に示す。2p領域においてはバックグラウンドのみが認められ、ピークは検出されなかった。一方、1s領域においてはバックグラウンドが大きいものの1s由来のピークが明瞭に認められた。つまり、MLCC試料の誘電体層に添加された1 atom%未満のVの光電子スペクトルが検出可能であるのは、イオン化断面積が大きい1s準位のみであった。我々としては、文献データが豊富な2p準位とガウス関数状の光電子スペクトルが得られる1s準位の両方からの相補的な価数の解析を期待していたが、残念ながら、1s光電子スペクトルのみからの解析とならざるを得ないといえる。

図2 MLCC試料から得られたV 2p領域の光電子スペクトル

図3 MLCC試料から得られたV 1s領域の光電子スペクトル

 

 MLCC試料から得られたV 1s光電子スペクトルのピークの束縛エネルギー値は5468.5 eVであった。図4に示すバナジウムの二元系酸化物粉末から得られたV 1s光電子スペクトルとの比較から、MLCC試料のV 1s光電子スペクトルは+4価を示すことが示唆される。BaTiO3に固溶してアクセプタとして機能するVの価数は+2ないし+3価として存在するであろうことを考慮すると、約8 keVのX線エネルギーを用いるHAXPESであっても分析深さが十分とはいえず、研磨や大気暴露による表面変質の影響が顕著に現れていると考えられる。

図4 バナジウムの二元系酸化物粉末から得られたV 1s光電子スペクトル

 

今後の課題:

 今回の課題実施により、MLCC試料の誘電体のHAXPES測定時の帯電を補償し、誘電体層に含まれる微量の遷移金属の光電子スペクトルを得ることが可能であることがわかった。しかしながら、表面変質層の影響なく試料本来の価数の情報を得るためには、分析深さがさらに大きい、すなわちエネルギーが8 keVよりもさらに大きいX線ビームを用いたHAXPESでの測定が必要である。またX線エネルギーに依存してイオン化断面積は小さくなることから、これを補うためにX線ビームのさらなる高輝度化やエネルギー分析器の高感度化も必要であろう。近い将来、これらを実現するHAXPESのビームラインが整備されることが望まれる。また表面変質層が薄く抑えられる低ダメージ加工、試料搬送法についても検討の必要があると考えられる。

 

謝辞:

 本研究課題の遂行にあたり、HAXPESの実験手順およびデータ解析に関し、JASRI産業利用推進室の陰地 宏 博士ならびに安野 聡 博士にご指導、ご助言をいただいた。感謝の意を表します。

 

参考文献:

[1] I. Burn and G. H. Maher, J. Mater. Sci. 10, 663 (1975).

[2] Y. Sakabe and H. Seno, U. S. Pat. No. 4 115 493 (1978).

[3] H. –J. Hagemann and H. Ihrig, Phys. Rev. B 20, 3871 (1979).

[4] G. Y. Yang, E. C. Dickey, C. A. Randall, D. E. Barber, P. Pinceloup, M. A. Henderson, R. A. Hill, J. J. Beeson and D. J. Skamser, J. Appl. Phys. 96, 7492 (2004).

[5] J. F. Moulder, W. F. Stickle, P. E. Sobol and K. D. Bomben, Handbook of X-ray PhotoelectronSpectroscopy, ed. by J. Chastain, published by Perkin-Elmer Corp., Eden Prairie, MN, USA, 1992, pp.73.

 

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(Received: April 21, 2015; Early edition: August 25, 2015; Accepted: December 11, 2015; Published: January 25, 2016)