SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume3 No.2

SPring-8 Section A: Scientific Research Report

Ir-193のNEET微細構造の観測
Observation of the NEET Fine Structure on Ir-193

DOI:10.18957/rr.3.2.315
2011B1379 / BL09XU

岸本 俊二a, 依田 芳卓b, 春木 理恵c

Shunji Kishimotoa, Yoshitaka Yodab, Rie Harukic

 

a大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構, b(公財)高輝度光科学研究センター, c(独)日本原子力研究開発機構

aKEK, bJASRI, cJAEA

 

Abstract

 イリジウム(Ir)193(核励起準位:73.04 keV、半減期:6 ns)は、“軌道電子遷移による原子核励起” (NEET)が観測可能な核種である。金197ではNEETによる原子核励起が観測されるだけでなく、核励起が観測され始める入射X線エネルギーより高い側で励起事象数にXAFSと似た微細構造が観測される。今回の実験では、イリジウム193を含む厚さが均一な金属箔(厚さ50 µm)を試料として使用することと、できるかぎり統計精度を改善して測定することでイリジウム193のNEET微細構造の観測を試みた。


キーワード: NEET、イリジウム193、アバランシェダイオード検出器


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背景と研究目的:

 イリジウム193(核励起準位:73.04 keV,半減期:6 ns)は、「軌道電子遷移による原子核励起」(NEET:Nuclear Excitation by Electron Transition)の確率が金197の場合の10分の1以下(計算値:2 × 10-9、観測値:(2.8 ± 0.4) × 10-9)ながらNEETが観測可能である。ここにいうNEET確率は、断面積の比:(原子核励起)/(内殻空孔生成)で定義される。図1にイリジウム193のNEETにおける原子遷移と原子核励起の様子を示した。我々は課題番号2003A0586-CD3-npの実験によってイリジウム193のNEETの放射光X線による観測にはじめて成功し[1]、内部転換電子によるNEET確率の入射X線エネルギーに依存した変化を観測してきた(課題番号2007A1111、2010B1147)。課題番号2010B1147では入射X線エネルギーの絶対値測定を精密に行い、NEET観測の統計精度を上げたことにより、NEET事象が観測され始めるエネルギー(NEET端)がK吸収端よりも109 ± 2 eV高いという結果を得た(図2)。これは我々のNEETモデルによる始状態:特定エネルギーの電子空孔生成と軌道電子遷移後の終状態:核励起+外殻電子空孔との間のエネルギー保存関係を証明する。ただし、金197では金箔を使って観測されたNEET微細構造がイリジウム193ではまだ確認できていない。NEET微細構造は入射X線エネルギーの変化に依存して、X線電離によって放出された光電子の周囲の原子による散乱がXAFSと同様にNEETにおける光電離確率に影響し、内部転換電子線によって観測される原子核脱励起確率が変動して生じると考えており[2]、我々が金197で観測したNEET微細構造を説明するため、2013年にはX線電離による電子空孔生成過程を取り入れた理論モデルが提唱されている[3]。今回の実験では、これまでのような粉末試料でなく厚さが均一な金属箔(厚さ50 µm)を試料として使用することと、できるかぎり統計精度を改善して測定することでイリジウム193のNEETに伴う微細構造の観測を試みた。

図1 イリジウム193のNEET現象。原子遷移と原子核遷移とのエネルギー・角運動量変化の関係を示す。

図2 入射X線エネルギーに対するイリジウム193のNEET事象の変化(左)。右図は左図中の四角の領域について、その微分をとったもの。イリジウムK吸収端(ΔE = 0)より109 eV高いところにNEET事象が急増するNEET端が観測された(課題番号2010B1147で得た結果)。

 

実験:

 ビームラインBL09XUにおいて実験を実施した。光学系はSi(111)二結晶モノクロメータの三次光をアナライザー結晶Si(111)により約1.5°振り上げる配置を取った。厚さ50 µmのイリジウム金属箔(イリジウム193は存在比62.7%)を試料として、最初に73.04 keVのイリジウム193核共鳴を確認した。共鳴エネルギーの前後60 eVの領域について0.8 eVずつ入射X線エネルギーを走査し、内部転換電子線用検出器によって原子核からの脱励起線(主に内部転換電子線)の計数値ピークを観測した。検出器は小型真空容器のなかに試料と一緒に組み込まれており、3チャンネルのシリコン・アバランシェダイオード(Si-AD)ピクセルアレイ素子によるものを使った。Si-ADの1ピクセルの大きさは1 × 6 mm2、ピクセルピッチは1.1 mmである。入射X線ビームに対して30°傾けた試料に対して、このSi-AD素子が約2 mmの距離に配置された。入射X線ビーム強度は試料と検出器を納めた小型真空容器の上流側に設置した厚さ500 µmのシリコン製透過型PINフォトダイオードで常にモニターした。試料を透過するX線ビームの強度は小型真空容器内に取り付けた同型のPINフォトダイオードでモニターした。検出器各ピクセルからのパルス信号はコンスタント・フラクション・ディスクリミネータ(CFD、ORTEC社製935)によりロジック信号に変換し、遅延回路を経て各ピクセルからの信号のタイミング調整の後に足し合わせて、時間波高変換器(TAC)とマルチチャンネルアナライザ(MCA)で核共鳴および非核共鳴(核共鳴ピークエネルギーから+60 eV)での時間スペクトル測定を行った。電子散乱による即発放射線の信号を避け即発放射線のピークより3 ns以上遅れた時間領域を核共鳴およびNEETの計数領域として設定した。核共鳴ピークでの計数は20カウント、半値幅は6 eVだった。

 次に、76.10 keVのイリジウムK吸収端近傍でK吸収端を中心に、-300 eVから+600 eVの領域にて6 eVステップで入射X線エネルギー走査を行った。NEETの事象数をできるかぎり多く観測するために同じエネルギー領域を1点30秒で走査し計27回測定した。その後、NEETを測定したものと同じ試料を使ってビーム強度を弱めて透過型PINフォトダイオードによるX線吸収測定、およびSi-AD検出器による光電子XAFS測定も実施した。NEET確率の確認のためNEET立ち上がり(NEET端)前後(-100 eV、+150 eV)でのエネルギーで時間スペクトルを観測した。

図3 入射X線エネルギーに対するNEET事象数の変化。積算計測時間270秒の結果を示す。横軸のΔEの値はイリジウムK吸収端エネルギーをΔE = 0 eVとして与えた。

 

結果および考察:

 イリジウムK吸収端近傍で入射X線エネルギー走査をした計27回、積算測定時間810秒の測定では、1点あたりNEET事象の平均計数率は0.06 cps、最大50 ± 28カウント(バックグラウンド30 ± 5カウントを差し引いた値)であった。図3に9回のエネルギー走査(計測時間:270秒)で得たイリジウム193のNEET事象数の積算分布を示す。横軸の入射X線エネルギーΔE = 0 eVはイリジウムK吸収端を表す。ΔE = 100 eVを越えたエネルギーでNEET端が観測されていることがわかる。NEET端より入射エネルギーが高い側は30カウント程度、NEET端より入射エネルギーが低い側はバックグラウンド成分が15カウント程度となっている。ΔE = 345 eVのカウントは異常に大きな値となっている。このデータは制御系での通信異常等によって誤った値に書き換わった可能性がある。他のエネルギー走査で得た結果も同様で、異常な値やデータの空白が見られた。これが本実験で得たデータを学術雑誌へ投稿するために採用しなかった主な理由である。

 一方、モノクロメータ冷凍機の不具合があった課題番号2010B1147よりも入射X線ビーム強度の安定性は良好で、エネルギー走査自体は比較的順調であった。その結果、前回は同程度のエネル ギー範囲に対して1点あたり630秒の測定であったが、27回のエネルギー走査、1点あたり810秒の測定ができた。しかし残念ながら上述したように測定ソフトウェアの動作が不安定で測定の途中で停止する事態がエネルギー走査時の3回に1回程度発生したため、データ取得は不確実だった。また電子線検出器は課題番号2010B1147より前に使用した旧型だったためNEET事象の計数率は0.06 cpsにとどまり、信号/バックグラウンド(S/B)比も50/30 = 1.7で以前の実験(課題番号2007B1111)で得た結果(50/25 = 2.0)より改善することはできなかった。

 

今後の課題:

 本実験にあたっては、内部転換電子線を検出する検出器の立体角を向上させる改良が間に合わなかったこと、試料として用いた金属箔は入手が容易な厚さ50 µmのもので、散乱X線の影響を減少させて内部転換電子検出のS/B比を高めるため厚さ数 µm以下のイリジウム薄膜を用いることができなかった問題があった。計測ソフトウェアの改良はビームライン担当者の努力により終了しているため、今後、実験の機会が再度得られた場合は、改良された電子線検出器と薄膜試料によって検出効率、S/B比を改善してNEET微細構造の測定の成功を図りたい。金197の微細構造測定ではNEET事象の計数率:0.4 cps、S/B比:4.5であったので、イリジウム193のNEET確率は金197と比べて1/10以下のため達成は困難ではあるが、これらの数値を改良の目標とする。

 また、金197とともにイリジウム193での測定結果を示すことによって、NEET現象を使って原子核を特定したXAFS測定やNEET観測によるXAFSと同様な原子構造解析の可能性を実証することができると考える。

 

参考文献:

[1] S. Kishimoto, Y. Yoda, Y. Kobayashi, S. Kitao, R. Haruki, M. Seto, Nucl. Phys. A, 748, 3 (2005).

[2] S. Kishimoto, Y. Yoda, Y. Kobayashi, S. Kitao, R. Haruki, M. Seto, Phys. Rev. C, 74, 031301(R) (2006).

[3] A. Y. Dzyublik, Phys. Rev. C, 88, 054616 (2013).

 

ⒸJASRI

 

(Received: January 28, 2015; Early edition: March 25, 2015; Accepted: June 29, 2015; Published: July 21, 2015)