SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume3 No.2

SPring-8 Section B: Industrial Application Report

Sn添加フェライト系ステンレス鋼における不働態皮膜の化学状態解析
Analysis of Passivation Film Formed on Sn-added Ferritic Stainless Steel

DOI:10.18957/rr.3.2.403
2011B1773 / BL46XU

秦野 正治a, 陰地 宏b, 田村 佑一a, 盛田 智彦a, 八木 教明a, 古川 清志a

Masaharu Hatanoa, Hiroshi Ojib, Yuuichi Tamuraa, Tomohiko Moritaa, Noriaki Yagia, Kiyoshi Furukawaa


a新日鐵住金ステンレス(株), b(公財)高輝度光科学研究センター

aNippon Steel & Sumikin Stainless Steel Corporation, bJASRI


Abstract

 HAXPES分析により、16%Cr-0.3%Sn鋼板の大気環境下で形成された不働態皮膜を分析し、微量Snの化学状態に関する情報を抽出した。本実験では、O,Fe,Crの影響を受けず光電子の検出感度が大きいSn 2p3/2の光電子スペクルを採取した。Sn 2p3/2の光電子スペクトルは3929~3931 eVにかけて広がりを持って検出された。これより、Snは、不働態皮膜中において金属Snに加えて、SnO2酸化物の化学状態で存在している可能性が高いと推察される。また、大気環境下においてCrを主体とする酸化皮膜が成長し、不働態皮膜中でのSn酸化物(SnO2)の生成も進行しつつあることが分かった。


キーワード: ステンレス、Sn、不働態皮膜、HAXPES


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背景と研究目的:

 ステンレス鋼は、CrとNiを添加したSUS304(18%Cr-8%Ni)、Niを含有しないSUS430(18%Cr)に代表される。近年、希少元素であるNiの価格高騰を背景に、SUS304とSUS430の中間領域をカバーする高純度フェライト系ステンレス鋼の開発とその適用が進んでいる。高純度フェライト系ステンレス鋼は、SUS430LXに代表されるように17%CrにおいてCやN等の不純物元素を低減して耐食性と加工性を高めたステンレス鋼である。新ステンレス鋼は、高純度フェライト系ステンレス鋼の潮流の中で微量Sn添加によりレアメタルであるCrを節減して耐食性を発現させることを特長としている。これまで、SUS430LXと同水準の耐食性を有する14%Cr-Sn,SUS304の耐食性領域をカバーし得る16%Cr-Snを開発・実用化している[1]

 ステンレス鋼表面の耐食性機能は膜厚数nmの不働態皮膜が担っており、新ステンレス鋼の耐食性発現機構を立証していくうえで不働態皮膜中におけるSnの化学状態を明らかにすることは極めて重要である。そこで本実験は、Snの化学状態の解析精度を向上させるために、他元素のスペクトルの影響を受けず、光電子断面積が比較的大きい2s及び2p準位に着眼した。2s及び2p準位の測定は、ラボXPS法(Al Kα線,約1.5 keV)では不可能であり、HAXPES(8 keV)の特長を活かすことに繋がる。そこで本研究では、HAXPESにより、ステンレス鋼表面の不働態皮膜において上述した分析を試行し、微量Snの化学状態に関する情報抽出を目的とした。


実験:

 準備した試料は、工業生産した16%Cr-0.3%Snの0.6 mm厚製品板であり、分析表面はJIS準拠No.2Bに加え、#600研磨と#600研磨後2カ月大気曝露した試料表面とした。Snの化学状態に関する情報抽出のため、金属Sn板(純度99.9%)と研究用試薬SnO2及びSnO粉末を標準試料とした。試料の分析は、BL46XUの硬X線光電子分光装置(VG-SCIENTA製R-4000)で実施した。入射X線のエネルギーは7939 eVとし、16%Cr-0.3%SnはCr 1s、Fe 1s、O 1s、Sn 2s,2p、金属Sn板とSnO2及びSnO粉末はそれぞれSn 2pのスペクトルを収集した。光電子の脱出角度(TOA)は、80°,40°で測定した。


結果および考察:

 表1にHAXPES(hν=7939 eV)によるSnの光電子断面積(cross section)をラボXPS法(Al Kα線,hν=1500 eV)と比較して示す[2]。3dのcross sectionは、ラボXPS法で0.344に対して、光電子エネルギーが大きくなるに従い急激に減少し、HAXPESでは0.0012と2桁低下する。一方、2s及び2pのcross sectionは、3pや3dと比較して1桁大きい。これより、本実験では、HAXPESでcross sectionが比較的大きい2sと2p準位のスペクトルを採取した。

 図1に、製品板表面から検出されたSn 2sとSn 2p3/2の光電子スペクトルを示す。光電子スペクトルの束縛エネルギーは、2s準位4465 eV,2p3/2準位3929 eVであり、O, Fe, Crの影響は受けないことを確認した[3]。No.2B表面から、Sn 2sとSn 2p3/2の光電子スペクトルを検出することができた。ここで、2p3/2の光電子強度は、同一測定条件下において、Sn 2sの3~4倍と大きい。これより、続く分析では、光電子の検出感度が大きいSn 2p3/2の光電子スペクルを採取することにした。


表1 Snの光電子断面積, cross section /Mbrn



図1 脱出角度80°のSn 2sとSn 2p3/2の光電子スペクトル


 Snの化学状態(金属,酸化物の価数)に関する情報を抽出するために、標準試料の分析を行った。図2は、TOA=80°で測定した金属SnとSnO2及びSnOの2p3/2の光電子スペクトルを示している。金属Snのスペクトルは3929 eVに位置し、SnO2は金属Snより高束縛エネルギー側へシフトして3931 eV付近に検出された。一方、SnOは3931 eV付近でSnO2より僅かに高束縛エネルギー側に位置した。

 SnOとSnO2の束縛エネルギー差は0.7 eV[4]であり、SnO2より価数の小さいSnOは3929~3931eVの範囲に検出されることを予測した。SnOの光電子スペクトルは、電気伝導性を持たないために、チャージアップによって高束縛エネルギー側へシフトする可能性も考えられる。仮に、チャージアップによるピーク位置のシフトが原因の場合、測定中に経時変化を示すことも予想される。そこで、SnOの光電子スペクトルの測定中(光電子の積算5回)の経時変化を確認した。SnO光電子スペクトルの経時変化を図3に示す。SnOのスペクトルは3931 eVに位置し、測定中の経時変化を示さなかった。

 図2及び3の結果から、Sn酸化物の光電子スペクトルは3931 eV付近に位置し、SnOはSnO2と比較して低束縛エネルギー側に検出されなかった。

 Snの不働態皮膜中における化学状態に係る情報を抽出するために、脱出角度(TOA)を小さくした角度分解測定を行った。本実験では、Sn 2p3/2光電子スペクトルにおいて、TOA=80°と脱出深さがその6 割程度となるTOA=40°とした。図4は、製品板表面から検出されたSn 2p3/2光電子スペクトルの角度分解測定結果を示している。通常、光電子強度は、脱出角度(TOA)の効果により低角側にかけて大きく減衰する。Sn 2p3/2の光電子強度は、TOA=80°から40°にかけて低下することなく、若干増加する傾向を示した。そのため、Snは表面から不働態皮膜にかけて存在確率が高いことを示している。TOA=40°の光電子スペクトルは、3929~3931 eVにかけて広がりを持っている。これより、Snは、表面から不働態皮膜中において金属Snに加えて、酸化物はSnO2の化学状態で存在している可能性が高いと推察される。



図2 標準試料のSn 2p3/2光電子スペクトル


図3 SnOの光電子スペクトル経時変化



図4 Sn 2p3/2の角度分解スペクトル

脱出角度:80°(黒),40°(赤)


図5 Cr 1sの光電子スペクトル

脱出角度:80°,研磨1日:黒,研磨2カ月:赤


 大気環境下における不働態皮膜の生成過程を確認するために、製品板表面の不働態皮膜を#600研磨で除去し、その経時変化をHAXPES分析した。

 図5は、研磨後1日及び2カ月大気曝露した表面のCr 1s光電子スペクトルを示している。先のHAXPES分析から、Crは内殻電子1s準位を検出することで、表面感度が格段に増大することを確認している[5]。1sスペクトルは、スピン軌道を伴わないため単一ピークとなり、酸化物(Cr-O)と金属(Met.Cr)のケミカルシフトを確認することができる。研磨後1日では、Cr-OとMet.Crの強度は同程度で母地(Met.Cr)の影響を大きく反映し、不働態皮膜が薄いことを意味している。一方、2カ月大気曝露材では、Met.Crの強度が低減してCr-Oの強度比率が上昇しており、不働態皮膜の成長によりその厚さが増しているものと解釈できる。

 図6は、Sn 2p3/2光電子スペクトルの経時変化を示している。脱出角度は、表面感度の高い40°で測定した。研磨後1日では、3929 eV付近に光電子スペクトルが検出され、Snは金属状態の存在比率が高いものと考えられる。一方、2カ月大気曝露材では、3929~3931 eVにかけてブロードな光電子スペクトルへと変化しており、Snは、金属状態から酸化物(SnO2)へと状態変化しつつある事が示唆される。



図6 Sn 2p3/2の光電子スペクトル

脱出角度:40°,研磨1日:黒,研磨2カ月:赤


 以上から、大気環境下においてCrを主体とする酸化皮膜が成長し、当該ステンレス鋼では不働態皮膜中でのSn酸化物(SnO2)の生成も進行しつつあることが分かった。


今後の課題:

 今回抽出したSnO標準試料の光電子スペクトルは、SnO2より僅かに高束縛エネルギー側で検出された。酸化物の価数からして従来と異なる結果であり、その原因と解釈は課題である。ラボXPS法との相関も確認のうえ考察を深める。今回得られた実用鋼の結果について、Sn添加量の高いモデル合金でその確からしさを検証することが今後の課題と考える。


参考文献:

[1] 秦野正治他, まてりあ, 51(2012), 25-27.

[2] J.J. Yeh and I. Lindau, Atom. Data.Nucl.DataTable 32,1-155(1985)

[3] “Handbook of X-ray Photoelectron Spectroscopy a Reference Book of Standard Spectra for Identification and Interpretation of XPS Data “ Ed. J. Chastain and R. C. King, Jr ULVAC-PHI / Physical Electronics USA

[4] NIST XPS DATABASE

[5] 平成22年度SPring-8重点産業利用課題成果報告書2010B1944.



ⒸJASRI


(Received: January 5, 2015; Early edition: March 25, 2015; Accepted: June 29, 2015; Published: July 21, 2015)