SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume3 No.2

SPring-8 Section B: Industrial Application Report

燃料電池用炭化水素系プロトン伝導膜の開発
Development of Aromatic Polymer Electrolyte Membrane for Fuel Cell

DOI:10.18957/rr.3.2.483
2012A1744 / BL19B2

山本 法寛, 藤下 翔平, 冨永 哲雄

Norihiro Yamamoto, Shohei Fujishita, Tetsuo Tominaga


JSR株式会社

JSR Corporation


Abstract

 固体高分子型燃料電池用の高分子電解質の相分離構造に関する基礎データを得るため、温度および湿度を制御した条件で高分子電解質膜の小角X線散乱(SAXS)および超小角X線散乱(USAXS)測定を行った。フッ素系および炭化水素系の高分子電解質膜において、親水部および疎水部の周期構造に由来するピーク位置・形状に違いが見られたほか、湿度の上昇に伴い親水部のコントラスト増大およびクラスター間距離増大に起因するピークの変動が観察された。


キーワード: 燃料電池,高分子電解質,フィルム,小角X線散乱,超小角X線散乱


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背景と研究目的:

 近年、新興国の経済発展に伴うエネルギー供給問題、地球温暖化による環境問題が人類共通の課題となっており、新しいエネルギー源として燃料電池が注目されている。燃料電池は、主に水素を供給する電極(燃料極)と酸素または空気を供給する電極(空気極)で電解質を挟む三層構造を有し、水の電気分解の逆反応で電力を取り出す一種の発電装置で、小型で発電効率が高く、環境負荷物質の排出が少ないなどの利点が挙げられている。この燃料電池の構造の中で、電解質は各燃料ガスの対極へのクロスオーバーを抑制しつつ、燃料極で発生したプロトンを空気極へ輸送する役割を担っており、電解質に高分子膜を用いる固体高分子型燃料電池(PEFC)は、低温で動作し小型で起動時間が短いことから、自動車用,家庭用,モバイル機器用などで期待されている。

 PEFC用電解質膜に用いられる高分子は、一般にスルホン酸を含まない疎水部とスルホン酸を含む親水部からなり、数~数十nmスケールの相分離構造を形成する。発電時に電解質膜中で親水部が水を包括してクラスターを形成し、そのクラスター内をプロトンが伝導すると考えられている。従って、高分子電解質膜の開発ではクラスターの形状やサイズ,連続性を制御することが重要であり、クラスターの分析、特に湿度依存性を評価する技術が求められる。高分子の相分離構造を解析する手法として実駆動条件に近い高温・高湿下での測定も可能である小角X線散乱は有力であり、複数の研究グループが代表的なフッ素系高分子電解質膜であるNafion117について実験を行い、実際にクラスターが確認されたことを報告している[1,2]。一方、炭化水素系高分子電解質膜についてはクラスター構造解析に関する報告も若干あるが十分ではなく、今後の開発のためには、より詳細な構造解析や同条件でのフッ素系高分子電解質膜との比較による構造の差異について考察する必要がある。

 本実験では、高温で湿度を変化させた条件におけるフッ素系および炭化水素系高分子電解質膜の相分離構造変化を調べる目的で小角X線散乱(SAXS)および超小角X線散乱(USAXS)測定を行った。


実験:

 試料として代表的なフッ素系高分子電解質膜のNafion117および炭化水素系高分子電解質膜を用い、Nafion117は厚さ185 μmのフィルムを、炭化水素系高分子電解質膜は薄膜フィルムを複数枚重ねて合計膜厚450 μmにして測定した。

 試料セルには厚さ2 cmのアルミ製の外壁のX 線光路上に貫通孔を設け、厚さ10 μmのカプトンフィルムをセルの内側から貼り付けることで光路を確保し、内容積17 cm3の独自に作製したセルを用いた。(写真)


外壁内に70°Cの水を循環させることによりセル内温度を60°Cに制御した。湿度制御は水蒸気発生装置HUM-1(リガク社製)を用いて加湿度を制御した窒素ガスを流入させることにより、結露することなく高温・高湿状態を作り出した。

 上記試料セルの中央に試料膜を設置し、湿度を10~85%R.H.まで段階的に変化させ、湿度10~70%R.H.では15分間,80%R.H.以上では30分間セル中で試料を保持して所定の湿度になじませた後にSAXSおよびUSAXS測定を行った。X線エネルギーは24 keV,検出器として大面積型ピクセル検出器PILATUS-2Mを用いた。検出器位置でのビームサイズは,SAXSが水平・垂直とも0.3 mm,USAXSが同じく0.7 mmであった。SAXS測定は試料・検出器とも第3実験ハッチに設置しカメラ長を2.2 mに設定した。カメラ長の校正にはコラーゲンのSAXSデータを用いた。SAXSの露光時間は5分とした。USAXS測定は試料を第2実験ハッチ、検出器を第3実験ハッチに設置しカメラ長を42 mに設定した。カメラ長の校正にはコラーゲンを用いた。USAXSの露光時間は15分とした。二次元データから一次元データへの変換はFIT2Dを用いた。今回の試料はいずれも二次元データにおいて異方性は見られなかった。


結果および考察:

 図1にNafion117のSAXSプロファイルを示す。既に報告されているように、0.5 nm-1付近に疎水部、1.8 nm-1付近に親水部の周期構造によるピークが検出された。親水部のピークは加湿によりピーク強度が増大しピーク位置が小角側にシフトしている。この変化は親水部クラスターの含水量増加によるコントラスト増大およびクラスター間距離増大によると考えられており、クラスターの大きさは2.8 nm(湿度10%R.H.)→3.6 nm(湿度83%R.H.)へと変化している。

 一方、疎水部ピーク位置は加湿による変化が見られなかった。このようなSAXSプロファイルの湿度変化は報告例と同様であり[1]、今回作成した試料セルにより高温で湿度を変化させた条件における高分子電解質膜の周期構造変化を調べることが可能であることが示された。

 図2にNafion117のUSAXSプロファイルを示す。この領域における試料からの散乱は小さく、ノイズの大きいデータとなった。また、湿度増加によるプロファイル変化は見られなかった。水中のNafion膜試料についてこの領域で上に凸のプロファイルが報告されているが[2]、今回の実験では相対湿度85%においてもプロファイル変化は検出されなかった。この構造変化を調べるには相対湿度85%の平衡化時間が十分でなかったか、あるいは加湿自体が不足しており膜の含水量が十分でなかったと考えられる。



図1. Nafion117のSAXSプロファイル



図2. Nafion117のUSAXSプロファイル


 図3に炭化水素系高分子電解質膜AのSAXS-USAXSプロファイルを示す。SAXS領域において炭化水素系高分子電解質膜では0.14 nm-1付近と3.5 nm-1付近にそれぞれピークが検出された。また、3.5 nm-1付近のピークにおいてNafion117と同様に加湿によるピーク強度の増大とピーク位置の小角側へのシフトが見られた一方で、0.14nm-1付近のピーク位置には変化が見られなかったことから、それぞれ親水部,疎水部の周期構造に由来すると考えられる。ただし、炭化水素系高分子電解質膜の湿度応答性はNafion117と比較して小さく、周期構造の大きさは1.8 nm(湿度10%R.H.)→1.9 nm(湿度81%R.H.)と変化は極めて小さかった。



図3. 炭化水素系高分子電解質膜のSAXS-USAXSプロファイル


 一方、USAXS領域ではNafion117と同様に、この領域における試料からの散乱は小さく、ノイズの大きいデータとなり、また湿度増加によるプロファイル変化は見られなかった。

 以上の結果より、今回使用した炭化水素系高分子電解質膜の周期構造はフッ素系高分子電解質膜と は異なり、相対的に親水部が小さく、疎水部が大きくなる傾向であった。さらに、親水部の湿度応答 性は炭化水素系高分子電解質膜の方が低いことが示された[3]

 図4に炭化水素系高分子電解質膜のイオン交換容量(IEC)を変えた試料の湿度50%R.H.におけるSAXSプロファイルを示す。IECを高くした炭化水素系高分子電解質膜Bの場合、炭化水素系高分子電解質膜Aで0.14 nm-1付近にピークの広角側へのシフトが観察された。IECを高くすることで疎水部の比率が低下するため周期が短くなったと考えられる。IECを低くした炭化水素系高分子電解質膜Cでは、炭化水素系高分子電解質膜Aに比べ0.14 nm-1付近と3.5 nm-1付近のピークが減少した。IECを低くすることにより周期構造の規則性が低下したためと考えられる。



図4. 60℃, 50%R.H.における炭化水素系高分子電解質膜のIEC変量品のSAXSプロファイル



図5. 60℃, 50%R.H.における炭化水素系高分子電解質膜の製膜温度変更品のSAXSプロファイル


 図5に炭化水素系高分子電解質膜Aと製膜温度を低温に変更した炭化水素系高分子電解質膜A’の湿度50%R.H.におけるSAXSプロファイルを示す。ピークの位置および強度はほぼ同じであったが、0.25 nm-1付近に肩が検出された。この肩はメインのピークとは別の形状、あるいはサイズの散乱体由来のピークであると考えられる。高温で塗工することでほぼ均一な周期構造が形成されるのに対して、低温で塗工することで大きさと形状にばらつきが生じやすくなると考えられる。

 炭化水素系高分子電解質膜については、IECと製膜温度を変えることで構造が変化することが分かった。炭化水素系高分子電解質膜の更なる構造解析のためには、分子構造や相分離構造を変化させたサンプル等について幅広く周期構造パターンのデータを収集する必要があると考えられる。


今後の課題:

 今回の実験から、フッ素系および炭化水素系高分子電解質膜について、周期構造の相違点や湿度応答性の差を確認することができた。また、炭化水素系高分子電解質膜の親水部と疎水部の組成比や塗工条件により周期構造が変化することを確認できた。今後は、分子構造等の異なる炭化水素系高分子電解質膜について同様の実験を継続して進め、周期構造とその湿度応答性の変化に関するデータを得ていく。


参考文献:

[1] 飯田 他, SPring-8利用報告書, 2009A3324 (2009)

[2] L. Rubatat, et al., Macromolecules, 37, 7772 (2004)

[3] 山本 他, JSRテクニカルレビュー, 121, 1 (2014)



ⒸJASRI


(Received: October 4, 2012; Early edition: April 28, 2015; Accepted: June 29, 2015; Published: July 21, 2015)