SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume3 No.1

Section C : Technical Report

BL43IRの現状(2014)
Present Status of BL43IR (2014)

DOI:10.18957/rr.3.1.258
2012A1833, 2013A1910 / BL43IR

森脇 太郎、池本 夕佳、木下 豊彦

Taro Moriwaki, Yuka Ikemoto, Toyohiko Kinoshita

(公財)高輝度光科学研究センター・利用研究促進部門・分光物性Ⅱグループ

Spectroscopy Group Ⅱ, Research & Utilization Division, JASRI

Abstract

 BL43IRでは赤外放射光の高輝度性を活かし、通常実験室光源では達成できない、微小領域、微小試料の赤外顕微分光を行っている。このため、高空間分解顕微鏡、長作動距離顕微鏡、磁気光学顕微鏡の三種の赤外顕微鏡を備える。また、回折限界を超える空間分解能を得るために近接場顕微分光装置の開発を行っている。2013年度の高度化では、輸送光学系に起因する振動ノイズの除去と水溶液測定セルの整備に重点をおいた。このほか、赤外近接場分光装置の開発や円偏光利用のためのスタディも行った。


キーワード:赤外顕微分光、振動ノイズ、高空間分解


Ⅰ.基本性能と実験装置

(詳細は、 http://www.spring8.or.jp/wkg/BL43IR/instrument/lang/INS-0000001415/instrument_summary_view を参照)

 軌道半径39.3 mの偏向電磁石からの高輝度赤外放射光を、図1のように9ないし10枚のミラーをもって分光器に導き、その下流に赤外顕微鏡を設置している。赤外波長領域の光強度は蓄積電流とM0ミラーの取込角に依存する。蓄積電流100 mA、取込角36.5 mrad(水平)、12.6 mrad(垂直)では、光強度は通常実験室光源と同程度ではあるが、図2に示すように、輝度を比べれば二桁ほど高く、微小領域に集光する顕微分光測定に適している。


図1 光学系レイアウト


図2 輝度(計算値)


(1)高空間分解顕微鏡

 Bruker Vertex70分光光度計とHyperion2000赤外顕微鏡を2011年に導入した。15倍と36倍率の対物鏡を備える。集光位置でのビームサイズは、視野絞りを外した状態で半値幅10 µm(36倍対物鏡使用時、中赤外光)を達成している。また通常実験室光源では実質的に測定不可能な条件である、数 µm以下の視野絞りを挿入した状態でも、十分な信号強度を得ることができる。高輝度光を使った高空間分解測定に必須の、対物鏡の精密位置調整は、改良したナノ分解能の位置決め装置によって保証されている。測定波数域は200-8000 cm-1である。


(2)長作動距離顕微鏡

 ダイヤモンドアンビルセルを用いた高圧下での分光実験を行うため、対物鏡(8倍率)の作動距離が50 mmと長い事が特長である。よってダイヤモンドアンビルセル以外にもクライオスタットなど、ある程度大きなものを挿入して測定ができる。反射型対物鏡の副鏡が大きいことが有利に働き、遠赤外光の信号強度が高い。空間分解能は中赤外領域でほぼ10 µm、遠赤外領域で数10 µmである。測定波数域は100-20000 cm-1である。


(3)磁気光学顕微鏡

 超伝導マグネット(最大磁場14 T)と反射顕微光学系(16倍対物鏡)とを組み合わせた顕微鏡である。空間分解能は中赤外領域でほぼ10 µmである。測定波数域は700-8000 cm-1である。


Ⅱ.利用状況

 2013A期の採択課題は19件、採択率100%、2013B期は20件、採択率70%であった。図3に示すように、使用される機器は、高空間分解顕微鏡がもっとも多い。また一般課題申請の他に重点パワーユーザー課題、萌芽的研究支援課題、重点グリーン/ライフ・イノベーション推進課題なども申請されている。分科会はS1が多く、IとL3にも申請されている。


図3 全課題に対する (a) 各装置の課題数の割合、(b) 課題種の割合、(c) 各分科会での採択課題数の割合


 利用分野は、電子状態の解明を目的とした物性物理、材料・原料分析を目的とした考古学・法科学、種々の化学結合の分布を調べることを目的とした生物系(生物、植物)・薬剤・ヘルスケア(毛髪)、結合状態を調べることを目的とした高分子化学・デバイス材料など幅広い。2013年度は3件のプレスリリースがあり、うち2件はヘルスケアに関する産業利用で、クラシエホームプロダクツ株式会社の稲益悟志氏らによる毛髪内部成分の可視化に関する研究[1]と、株式会社ミルボンの伊藤廉氏らによる毛髪ダメージ抑制物質の研究であった[2]。もう1件は、名古屋大学岡崎竜二助教、寺崎一郎教授による有機化合物における新しい相転移現象に関する物性物理の研究であった[3]。このほか、物理系では、圧力下における強相関物質の相転移[4]が成果を挙げている。高分子化学の成果として、ポリマーブラシで修飾した固体表面の濡れ性の評価とこのメカニズムに関する研究が報告されている[5]。また、考古学研究として、橿原考古学研究所の奥山誠義氏らが、繊維の材料同定に関する研究を発表された[6]


Ⅲ.高度化の実施内容と成果

(1)水溶液試料

 液体の水は一般に赤外に非常に強い吸収があり、水溶液試料の赤外分光の妨げになる。BL43IRでは、水溶液測定用のセルを用意し、顕微鏡下で溶液中に分散させた微小試料の測定を行えるよう準備を整えた。図4はHarrick社製の溶液測定用セルで、2枚の赤外透過基板(BaF2など)の間にドーナツ状のスペーサーを挟んで全体を締めこむ形式になっている。液体試料はスペーサーの内側にあり、試料の厚みはスペーサーの厚みでコントロールされる。図5は、スペーサーの厚みが6 µmの際の水の吸収スペクトルである。セルの利用により、水溶液の環境が保たれると同時に水の吸収は極力小さくできることが利点である。測定試料としては水の吸収がない波数領域にピーク構造をもつ水溶液試料や、スペーサー厚みと同程度のサイズの物質を水溶液に分散させた試料を想定しており、既にユーザー利用を開始している。なお、水の代わりに重水を利用する手法もある。重水素の質量は水素の約2倍であるため図5のピーク振動数がおよそ0.7倍程度の波数にシフトする。必要なピーク構造が水分子の波数と重なるときに有効な手段である。図4のセルは、セル上端から試料までの距離が15 mmと長く、現状では作動距離の関係で高倍率(x36)の対物鏡を利用することができない。今後薄型のセルを作成し、5 µmの程度のスポットでの測定ができるようにする。この開発により、水溶液環境が必要な生物系、電池開発などの利用が広がることが期待される。

 セルの性能評価はインハウス課題2013A1910で行った。


図4 溶液測定用セル


図5 水の吸収スペクトル


(2)振動対策

 BL43IRは赤外放射光の高輝度特性を活かした顕微分光を主として行っている。2012年7月ころから実験ステーションに於いて、ビームの振動が顕在化し、実験に支障を来した。振動の周期はおよそ29 Hz、振幅は数時間単位で変動し、大きいときにはビームサイズの1/4程度であった。振幅が大きい場合、高空間分解測定を行う顕微分光ステーションでの影響が顕著で、10 µm以下のスポットサイズで実施しなくてはならない実験の測定時間が通常より2倍程度かかるようになった。光源・光学系部門・加速器部門の関係者と協力して、蓄積リング収納部内のBL43IR上流光学系の振動調査を行った。図1のM0とM1の間の配管には2つのバルブ(GV2とFCV)が設置されている。このGV2とFCVの間の配管下部に取り付けられているイオンポンプの固定が不十分で、振動を引き起こしている可能性が示唆された。2013年春の停止期間中に、イオンポンプを架台に固定する作業を行った。図6は、対策を施す前後(2013年1月と5月)のビームの振動スペクトルである。光源はBL43IRの赤外放射光で、PSD(Si-4分割フォトダイオード)検出器を実験ホールのM8焦点位置に設置し、出力をスペクトルアナライザーで解析、データの取得を行った。スペクトルは、50 Hz以上の領域で規格化して表示してある。(1)はリング面に垂直、(2)はリング面内方向の振動成分、赤は対策前の2013年1月、青は対策後の2013年5月の計測結果である。赤矢印で示した29 Hzの振動は、青矢印で示した36 Hzにやや高周波シフトし、強度は1/10程度に減少していることがわかる。ピーク周波数の高波数シフトと強度の低下は、イオンポンプ付近の配管で計測した振動の結果と一致している。ビームライン上流光学系の対策と併せて、下流(図1のM3以降)の振動調査、対策も行った。特に、収納部天井の配管・架台はそれより下流に比べて振動が大きく、鉛や鉄板で振動を抑える対策を施した。上記対策後は、ビーム振動が顕在化する前の状態に戻り、ステーションの実験は滞りなく実施されている。振動の低下はスペクトルのノイズ低減につながるため、全ての利用研究に貢献する。


図6 振動スペクトル(1)リング面に垂直方向 (2)リング面内方向の振動


(3)赤外近接場分光

 赤外顕微分光法は、微小領域、微小試料の測定を行う重要な手法である。しかし、空間分解能は回折によって制限されるため、波長程度(数 µm)にとどまる。一方、更に微細な構造を持つ試料や微小試料の赤外分光に対する需要は非常に高く、ナノメートルオーダーの空間分解能が必要とされている。我々が開発を行っている近接場分光装置は、ナノメートルオーダーの空間分解能を達成するための走査型近接場光学顕微鏡(SNOM)と、赤外スペクトル測定を行うFTIR装置を組み合わせて構築している[7]。高輝度赤外放射光をプローブ先端に効率よく集光することにより、ナノメートルオーダーの空間分解能と広帯域の赤外スペクトル測定の両立を可能にする。図7左側は装置の模式図、右側は装置の写真である。分光を行う干渉計は、非対称配置になっている。AFMのプローブは干渉計の片側に配置しており、プローブ先端からの散乱光と可動鏡からの反射光を干渉させ、MCT(HgCdTe)検出器で検出する。プローブ先端からの微弱な近接場信号と、プローブ本体や試料表面からの散乱光を区別するため、プローブの振動を利用した変調分光を行っている。近接場光は、プローブ先端にのみ局在しており、プローブと試料の距離が離れると急激に減少する。一方、近接場光以外の散乱光は、距離に比例して減少する。この違いを利用して、プローブの振動に対して非線形に変化する成分をロックインアンプで取り出してインターフェログラムを測定し、フーリエ変換してスペクトルを計算する。金のミラーを試料として測定した結果、プローブ先端の100 nm程度の領域に局在する近接場信号を確認した。また、金薄膜を利用して空間分解能評価を行ったところ、9-12 µmの波長領域で空間分解能は200 nmであった。これは波長のおよそ1/50に相当し、波長よりも充分短い空間分解能を達成している。この開発は、微細構造を持つデバイス材料研究、微小領域測定が重要な界面研究、微小試料測定として生物・新材料など多様な利用が期待される。


図7 (左)近接場分光装置の光学系の模式図 (右)装置の写真


(4)円偏光

 BL43IRでは、利用研究課題の8割が、赤外放射光の高輝度性を利用した顕微分光測定で、種々の成果を上げている。しかし、更に赤外放射光の利用研究を推し進めるためには、新たな技術開発が必要不可欠である。我々は、赤外放射光の重要な特性の一つである円偏光特性を利用した振動円二色性分光を提案し、実験を開始した。現在、振動円二色性分光を行うための装置は市販されているが、光学素子の制限もあり、低波数側の波数領域が実質的にはおよそ1000 cm-1に制限されている。しかし、金属元素を含む振動など1000 cm-1以下の波数領域に重要な情報が含まれている物質も多数ある。赤外放射光は広帯域をカバーする白色光源であり、帯域の拡張が、赤外放射光を光源として利用するメリットになると考えている。また、高輝度性を利用した顕微分光と円二色性分光の併用の可能性もある。

 赤外放射光の円偏光度について、BL43IRのパラメータを用いて計算した結果を図8に示す。赤は偏光電磁石から蓄積リング軌道面より上に放射される光、青は下に放射される光の円偏光度の計算結果である。取り込み角はミラーサイズと同じで、上下それぞれ水平36.5 mrad、垂直6.3 mradとしたが、最上流ミラーの熱不可軽減のために設けられている切り欠き(上下それぞれ垂直0.57 mrad)を考慮して計算した。ともに600 cm-1以上の波数領域で8割以上の円偏光度を持っている。1/4波長板を使用して、実際にビームラインで近赤外の円偏光度を測定したところ、6割程度であった。ビームラインでは実験ステーションに至るまでに多数のミラーが設置されており、ミラー反射により、光源性能よりは円偏光度が低下しているものと考えられる。今後、円偏光を利用した振動円二色性分光測定のテストを行う。この開発は、らせん構造を持つ物質開発を行う化学、高分子などの分野への貢献が期待される。

 円偏光度の評価はインハウス課題2012A1833で行った。


図8 BL43IRのパラメータを使って計算した円偏光度


参考文献

[1] 稲益悟志,日刊工業新聞2013年12月12日,日経産業新聞2013年12月12日.

[2] 伊藤廉,化学工業日報2013年11月6日.

[3] R. Okazaki et al., Phys. Rev. Lett., 111 (2013) 217801.

[4] H. Okamura et al., J. Phys. Soc. Jpn., 82 (2013) 074720.

[5] D. Murakami et al., Langmuir, 29 (2013) 1148.

[6] M. Okuyama et al., 繊維学会誌, 68 (2012) 55.

[7] Y. Ikemoto et al., Optics Communications, 285 (2012) 2212.



ⒸJASRI


(Received: August 19, 2014; Early edition: September 30, 2014; Accepted: January 16, 2015; Published: February 10, 2015)