Volume2 No.1
Section B : Industrial Application Report
新規非晶質イブプロフェン複合体(抗炎症薬)の放射光X線回折による構造評価
Structural Evaluation of New Amorphous Ibuprofen Complex (Anti-inflammatory Drug) Using Synchrotron XRD
ライオン(株) 薬品第1研究所
Lion Corporation, Pharmaceutical Research Laboratories No.1
- Abstract
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溶解性の異なる各種の非晶質イブプロフェン複合体について、その微細構造をBL19B2において粉末X線散乱測定を行った結果、溶解性の低い複合体ではイブプロフェンの微結晶が観察され、非晶質化剤の動径分布関数がイブプロフェン結晶とは異なっていたのに対し、溶解性の高い複合体ではイブプロフェンの微結晶は観察されず、非晶質化剤の動径分布関数がイブプロフェン結晶と類似していた。これらから、有用な非晶質化剤探索の指標として動径分布関数が有用であることが分かった。
キーワード: 医薬品、解熱鎮痛薬、イブプロフェン、非晶質、X線散乱、X線回折、動径分布関数
背景と研究目的:
イブプロフェンは高結晶性の抗炎症薬であり、水にほとんど溶けないため効き目が遅いことが課題であった。そこで、イブプロフェンの溶解性向上を目的に、イブプロフェンの非晶質化について種々検討したところ、ポリマーA、界面活性剤Bとの複合化、非晶質化により、一定の溶解性改善効果を見出した。しかし、ポリマーA複合体は高溶解性で安定だが実用化には高価すぎ、界面活性剤B複合体は安価だが溶解性が中程度で安定性も不十分であることから、より安価で高溶解な非晶質化剤が望まれていた。
溶解性向上の1つの指標として、イブプロフェンの結晶性という観点から開発を進めてきたが、これまで汎用のX線回折装置ではポリマーA複合体、界面活性剤B複合体とも非晶質と判別され、各複合体間の構造的な差異は見出されなかった。そこで、BL19B2の高輝度X線の利用により両者の構造的な差異を明らかにし、実用化可能な非晶質化剤開発の指標を見出すことを目標とした。
実験:
試料: イブプロフェン/ポリマーA複合体(1:1、3:1)
イブプロフェン/ポリマーA/アルコール複合体(3:1:0.01)
イブプロフェン/界面活性剤B複合体(1:1)
及び各成分原体をφ0.3 mmリンデマンガラスキャピラリーに封入
使用装置:BL19B2 Debye-Scherrerカメラ
測定条件:室温、10 keV、24 keV、露光時間5分
結果および考察:
図1.イブプロフェン(赤)とポリマーA(青)の測定結果(24 keV)
図2.イブプロフェン(赤)とポリマーA(青)のバックグラウンドを除いた強度と原子形状因子の推定値の二乗平均(黒線)。測定された最大強度で規格化した値に基づきバックグラウンドを推定している。
図3.波数を乗じた原子散乱因子の二乗平均で規格化した値
赤:イブプロフェン(結晶 右縦軸)
青:ポリマーA(左縦軸)
イブプロフェンとポリマーAの24 keVにおける測定結果を図1に示す。この図が示すとおり非晶質であるポリマーAは鋭い回折ピークではなく、非晶質構造を反映した長周期の振動構造をもつハローパターンが観測されている。このハローパターンは原子形状因子の二乗平均と二体相関関数のフーリエ変換の積で近似できる。このため測定で得られたハローパターンを原子形状因子の二乗平均で規格化して得られたプロファイルを逆フーリエ変換することで二体相関関数を推定できる。
しかし、実際の測定プロファイルは大気やコンプトン散乱に起因するバックグラウンドも含む。そこで、バックグラウンドを散乱角の3次関数Bで近似し、試料組成より計算される原子形状因子の二乗平均を<f2>として
S<f2> + B
で定義した関数で測定値を最小二乗法によりfittingすることで、バックグラウンドと規格化係数(S)を推定した。なお、試料はいずれも炭素と水素が主成分でごくわずかの窒素と酸素を含んでいるため、原子形状因子の二乗平均は炭素と水素の比が1:2で計算した。
図4.二体相関関数
赤:イブプロフェン(結晶 右縦軸)
青:ポリマーA(左縦軸)
図5.動径分布関数
(a)ポリマーA(青)、(b)イブプロフェン(赤)
(c)イブプロフェン/ポリマーA複合体(紫)、
(d)界面活性剤B(緑)
図2は上記の方法で推定したバックグラウンドを図1の測定データより除いた結果である。図中の黒線は推定された原子散乱因子の二乗平均成分である。図2の横軸は散乱角2θと波長λよりq=4πsinθ/λで定義した波数である。この方法で推定された原子形状因子の二乗平均による規格化より得られた振動成分(いわゆるqI(q): I(q) は散乱強度)を図3に示す。イブプロフェン結晶(赤)では波数40 nm-1以下にある回折ピークに加えて周期が30 nm-1程度の長周期の振動構造が見られる。類似の長周期振動はポリマーA(青)にも存在し、両者の構造が互いに似通っていることを示唆している。なおポリマーAでは波数40 nm-1以下の領域に短周期(10 nm-1程度)の振動が見られる。図4は図3の結果のフーリエ変換(二体相関関数)に平均電子密度を乗じた値であり、これが動径分布関数である。図5はこの手順に従って得られたポリマーA(a:青)、イブプロフェン(b:赤)、イブプロフェン/ポリマーA 複合体(c:紫)、界面活性剤B(d:緑)である。この図が示すように、原子間距離0.4 nm以下の領域ではイブプロフェン、ポリマーA、イブプロフェン/ポリマーA複合体の動径分布関数が互いによく似ている一方、界面活性剤Bはこれらとは異なる特徴を有している。ここでの動径分布関数は固体を構成する基本単位の統計的分布を見ており、a〜d がいずれも有機物であることから推察するに、a〜cの原子間距離0.16 nmの特徴的なピークはC-C結合を、0.26 nmのピークはC-C-O又は2番目に近接する共有結合していない炭素原子同士を表していると考えられる。d:界面活性剤Bはこれらに対応するピークが短距離側にシフトしており、より緻密な構造体になっていると考えられる。すなわち、イブプロフェンと界面活性剤Bの分子間相互作用が強いために、溶解性も制限されたものと考える。
その他のサンプルも含め、BL19B2での粉末X線散乱測定の結果を表1に示した。溶解性の高いポリマーA複合体(1:1)、ポリマーA/アルコール複合体は非晶質であったが、その他の複合体ではイブプロフェンの微結晶が観察された。一方、前述の通り、1:1複合体が非晶質であったポリマーAの動径分布関数はイブプロフェン結晶に類似しており、複合体にイブプロフェン結晶の析出が見られた界面活性剤Bの動径分布関数はイブプロフェン結晶とは異なっていた。すなわち、イブプロフェンの結晶配列を阻害し高溶解性とするには、原子オーダーの近距離構造が類似し、かつ長周期の配列構造が異なる非晶質化剤が有用と考えられる。
また、溶解性の低いポリマーA複合体(3:1)と溶解性の高いポリマーA複合体(1:1)の動径分布関数が異なっていたのに対し、ポリマーA/アルコール複合体(3:1:0.01)の動径分布関数は溶解性の高いポリマーA複合体(1:1)と類似していたことから、今後、アルコール配合量等の最適化により高価なポリマーAを大幅に減量しても高い溶解性を達成できる見込みがあると考えられる。
以上、今後の非晶質化剤探索の指標として動径分布関数が有用であること、実用化に向け非晶質化剤のコストダウンの可能性があることが分かった。
表1. 各種イブプロフェン複合体の性状
今後の課題:
今回は露光時間5分にてデータを取得したが、軽元素から成る非晶質物質であり散乱強度が弱かったため、高波数域まで有効なデータを取得するためにはより長い露光時間にて確度の高いデータを取得する必要がある。特に、分子間相関に注目したX線エネルギー10 keVでは更なる長時間露光が必要である(図6に10 keVでの測定結果を示した)。
また、溶解性の異なる非晶質体間において小角側のハローパターンが異なることが分かり、ナノオーダーでの構造、即ちイブプロフェン微粒子の分散状態にも違いがあると考えられた。この場合、イブプロフェン超微粒子の大きさと分散状態が非晶質構造を特徴つけるパラメータであり、X線小角散乱による評価が必要である。
これらにより、非晶質化剤の最適構造や、イブプロフェンの非晶質構造を特徴付けるイブプロフェン超微粒子の大きさ、分散状態を明らかにし、薬物の溶解性、安定性と相関付けることにより、イブプロフェン製剤初の早くよく効く非晶質解熱鎮痛薬の実用化に繋げたい。
図6.イブプロフェン(赤)とポリマーA(青)の測定結果(10 keV)
ⒸJASRI
(Received: April 6, 2012; Early edition: March 25, 2014; Accepted: July 3, 2014;
Published: July 10, 2014)