Volume8 No.3
SPring-8 Section A: Scientific Research Report
伸長した高分子に出現する準安定状態の解明
Elucidation of Metastable State Appearing in Stretched Polymer
京都大学 化学研究所
Institute for Chemical Research, Kyoto University
- Abstract
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架橋密度の低い天然ゴムを高速で伸長し、結晶化により準安定状態となる過程について、BL40XU ビームラインの強力なビームを用いた高速時分割広角X線回折(WAXD)解析を行った。一般に高分子結晶の熱的安定性は分子鎖方向の結晶サイズに影響されるが、今回の測定では準安定状態の発現と無関係にほぼ一定の値となった。一方、結晶化度については準安定状態となる試料が有意に高い値を示したことから、新しい熱力学的モデルの構築が必要性だと考えられた。
Keywords:形状記憶天然ゴム、伸長結晶化、広角X線回折
背景と研究目的:
通常の天然ゴム(NR)を大きく引き延ばすと伸長結晶化するが、張力を解放すると結晶が溶けながら収縮する。しかし近年、架橋密度の低い NR(低架橋 NR)を高速で伸長して一定時間保持すると、張力からの解放後も結晶が残存し、伸長した形状を保つことが見出された[1]。この状態は準安定であり、温度や曲げ、溶媒蒸気等の刺激がトリガーとなって結晶が連鎖的に融解することにより、収縮した最安定状態に戻る。以後、低架橋 NR の伸長誘起結晶が張力からの解放後も残存し、伸長した形状を保っている状態を準安定状態と呼ぶ。また、こうした準安定状態に至り伸長状態を保つことが可能な低架橋NRを、「形状記憶 (shape memory)」になぞらえて SMNR と表記する。
準安定状態にある SMNR がトリガーによって最安定状態に戻る際には、結晶が融解熱を吸収するため周囲が冷却される。固体材料において、この様に力学的仕事が冷気に変換される事は新奇な熱力学的作用であり、この作用に基づく全く新しい技術の創成が期待されている。そうした技術を開発するためには、この準安定状態が発現する原理を正しく理解する事が不可欠である。
しかし現状ではこの準安定状態、および、その発現に関係するNRの伸長結晶化[2]を、熱力学的にどう記述すれば良いのかが、明確にされていない。例えば、引き延ばされた通常の NR と SMNR 間で、結晶成分の違いは見出されていないため、SMNR のみが準安定状態となる原理は、未だ謎である。
この課題に関する従来の検討においては結晶部のみが着目されており、配向した非晶部が収縮しようとする作用については考慮されていなかった。そこで本研究では、非晶部の配向にも注目して系全体を安定化させる熱力学的作用を検討することにより、準安定状態となる原理を解明する事を最終的な目的とする。本研究全体で行う実験は非晶領域の解析に重点を置くが、同時に結晶の状態も明確にしておく必要がある。SMNR が準安定状態に至る要件として、高速で伸長して保持することが挙げられている。そこで今回は、その過程で準安定状態が形成される様子を動的に観察するため、SPring-8 の強力なビームを用いた高速時分割広角X線回折(WAXD)実験を行うこととした。
実験:
SMNR 試料は、ゴムの木から得られたラテックスに硫黄、酸化亜鉛、Zinc diethyldithiocarbamate を加えて加熱攪拌することにより架橋させ、その後でシート状に乾燥させることにより作製した。比較対象として、生ゴムに硫黄、ステアリン酸、酸化亜鉛、N-Cyclohexyl-2-benzothiazole sulfenamide を加えて混練し、加熱プレスすることにより架橋した、通常のゴム(Ordinary NR)も準備し実験に用いた。
高速で伸長した試料の結晶化過程を調べるため、BL-40XU ビームライン上に温度調節機構を備えた特注の高速伸長装置を設置した。この装置の最高伸長速度は 1000 mm/s であり、最短で 180 ms 以内に変形を完了させることができる。所定の延伸倍率まで NR 試料を高速伸長し、そのまま定長で保持する間に伸長結晶化が進行する過程について、応力変化と二次元 WAXD パターンを、同時に高速時分割測定した。その際、伸長装置のコントローラから発するトリガー信号により光源のシャッター開閉や CCD カメラへの記録を制御することで、X線データと応力データの時間を対応させた。なお、強力なX線ビームの照射による試料ダメージを低減するため、照射開始後1秒ごとにシャッターを開閉して、試料が受ける照射量を減少させた。また、分子鎖方向の結晶サイズを反映した 002 反射がブラッグ回折の条件を満たすよう、試料の延伸軸をビームに対して傾斜させて設置した。
2次元の検出器として、イメージインテンシファイア(浜松、V7739PMOD)と CCD カメラ(浜松、ORCA Flash4.0 C11440)を組み合わせて用いた。得られたデータは Fit2D (ESRF)により一次元化し、Fityk[3]を用いてピーク分離することにより解析した。カメラ長は 151 mm、X線のエネルギーは 15 keV (波長 0.0832 nm)であった。
結果および考察:
図1に 1000 mm/s で元の長さの8倍に伸長した直後の SMNR および NR から得られた WAXD パターンを示す。この図が示すように、SMNR および NR のいずれも延伸中に結晶化が進んでいた。しかし延伸停止後にも結晶化は進行するため[4, 5]その過程を観察した。なお、この延伸操作後に応力を解放したところ、SMNR のみが準安定状態となっていた。
図1. 8倍に延伸した SMNR および NR の WAXD パターン
さて、高分子結晶の熱的安定性は、通常、分子鎖軸方向( c 軸)の結晶サイズ(L002)に大きく影響される。今回は、200 反射および 002 反射の広がりから、シェラーの式(1)により a 軸および c 軸方向の結晶サイズ L200 および L002 を算出した。
Lhkl = Kλ/(β cosθ ) (1)
ここで hkl は反射の指数(200 あるいは 002)、K はシェラー定数(= 0.89)、λ はX線の波長、β は hkl 反射の半値全幅、および θ は回折角である。なお、NR の結晶にはパッキングの乱れが存在するため[6]、シェラーの式で b 軸方向の結晶サイズを見積もることが出来ない。今回の検討では伸長方向である c 軸に対して a 軸と b 軸はほぼ等価なので、b 軸の結晶サイズは a 軸と同程度と考えることとした。
図2には、準安定状態となった SMNR、および比較として同一条件で延伸した通常の NR について、L002 の時間発展を示す。なお、経過時間の原点(Elapsed time = 0 s)は、延伸終了時としている。この図が示すように、L002 は結晶化が進む間ほとんど変化していない。興味深いことに、最高速度の 1000 mm/s で延伸した場合には、通常の NR よりも SMNR の方が若干 L002 の値が大きい一方で、速度を 100 mm/s に低下させると L002 の値に違いが見られないという結果が得られた。この事は、高速で延伸した SMNR には、若干ながら安定な結晶が形成されていることを示している。
図2. 1000 mm/s および 100 mm/s で延伸した試料における、延伸停止後の L002 の時間発展
図3には上と同様に、L200 の時間発展を示す。こちらも 1000 mm/s で延伸した場合には、通常の NR よりも SMNR の方が若干 L200 の値が大きい一方で、速度を 100 mm/s に低下させると L200 の値に違いが見られなくなっている。
図3. 1000 mm/s および 100 mm/s で延伸した試料における、延伸停止後の L002 の時間発展
続いて、赤道付近(±15°)の強度分布を 200 反射、120 反射および非晶ハローの成分にピーク分離し、その結果から式(2)により割り出した結晶化指数(CIequ)の時間発展を、図4に示す。
CIequ = (I200 + I120 ) / (I200 + I120 + Iam ) (2)
図4. 1000 mm/s および 100 mm/s で延伸した試料における、延伸停止後の CIequ の時間発展
ここで I200、I120 および Iam は各々、200 反射、120 反射および非晶ハローの積分強度である。この図から、時間の経過と共に結晶化が進行していることが分かる。先の図2および図3において結晶のサイズ(L002 と L200)はほとんど変化していなかったことから、新しい結晶が次々と生成して臨界の大きさまで成長するという結晶化機構が示唆される。また図4が示すように、SMNR は通常の NR よりも結晶化度が高く、また、1000 mm/s で延伸した方が 100 mm/s で延伸した場合よりも最終的に到達する結晶化度が高い。通常、結晶化度そのものは高分子結晶の熱的安定性と無関係である。しかしながら今回の実験により、形状記憶NRに見られる準安定状態では、結晶化度が熱的安定性に影響することが示された。
今後の課題:
伸長された NR が準安定状態となるかどうかは、伸長により生成した結晶の室温における安定性に依存すると考える事が出来る。これまでの高分子結晶に関する理論では、分子鎖方向の結晶サイズ(今回の実験では L002)が融点の支配要因とされている。しかし今回の実験からは、準安定状態となるかどうかにかかわらず L002 および L200 の値はほぼ同じであり、むしろ結晶化度が熱的安定性に影響すると考えられる。こうした現象を説明するため、新しい熱力学的なモデルを構築し、実験データにより検証することが今後の課題である。
謝辞:
本研究で用いた高速伸長装置は、住友ベークライト株式会社よりお借りしたものである。また本研究は科研費(課題番号16K05913)の助成を受けたものである。ここに深く御礼申し上げる。
参考文献:
[1] F. Katzenberg, J. C. Tiller, J. Polym. Sci., Part B, Polym. Phys., 54, 1381 (2016).
[2] 登阪雅聡, 高分子論文集, 71, 493 (2014).
[3] M. Wojdyr, J. Appl. Cryst., 43, 1126 (2010).
[4] M. Tosaka et al., N. Ohta, Polymer, 53, 864 (2012).
[5] A. Gros et al., Polymer, 76, 230 (2015).
[6] Y. Takahashi, T. Kumano, Macromolecules, 37, 4860 (2004).
(Received: June 23, 2020; Accepted: October 23, 2020; Published: October 29, 2020)