Volume8 No.2
SPring-8 Section A: Scientific Research Report
高輝度赤外光を用いた可視光照射下におけるアモルファス窒化炭素薄膜の化学結合状態解析
Analysis of Chemical Bonding Structure on Amorphous Carbon Nitride Thin Films under Visible Light Illumination Using Synchrotron Radiation Infrared Rays
a鹿児島大学, b防衛大学校
aKagoshima University, bNational Defense Academy
- Abstract
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本研究では、アモルファス窒化炭素薄膜でみられる光誘起変形現象の起源の解明を目的とし、BL43IR を用いて可視光照射時の化学結合状態を調べた。その結果、化学結合状態を反映する赤外スペクトルの形状が、試料表面の測定箇所により、可視光照射中と未照射時で異なることが明らかとなった。また、測定温度によっても変化することがわかった。
Keywords:アモルファス、窒化炭素、化学結合状態、光誘起変形、赤外分光
背景と研究目的:
炭素と窒素の固体化合物は、1975 年、Liu と Cohen により[1]、結晶である β-C3N4 の体積弾性率がダイヤモンドと同程度かそれ以上であるという理論計算の結果が報告されたことから、一躍注目を浴びるようになった材料である。β-C3N4 については、現在までのところ十分信頼できる大きさの結晶はまだ合成されていないが、他にも複数の結晶構造が提唱されている。しかしながら、層状構造を有するグラファイト状窒化炭素(g-C3N4)が比較的容易に合成できることを除けば [2]、そのほとんどは、常温常圧においてはアモルファスである。
アモルファス窒化炭素(a-CNx)は、CVD 法やスパッタ法などで作られており[3]、高硬度、低摩擦係数などの機械的性質[4]、n 型電気伝導[5]、雰囲気圧力による抵抗値変化などの電気的性質[6]、可変光学バンドギャップなどの光学的性質[7]が知られている。
性質が多彩である一つの要因は、複雑な化学結合状態にある[8]。炭素はダイヤモンドとグラファイトに代表されるように、sp3 結合と sp2 結合の2種類の化学結合を持つ。a-CNx の場合は、それに窒素が加わることで、C-C、C−N、N-N それぞれ単結合、二重結合の6種類の結合および C-C、C-N の三重結合を含み、これらがランダムなネットワークを構築している。さらに、グラファイトの様な六員環やポリマーにみられる鎖状なども含んでいる。
多様な化学結合状態から始まる特異な性質の中でも際立って特殊なものに、可視光照射によって体積変化を起こす可逆性の光誘起変形がある。これは、2012 年ごろ我々のグループが発見した、無機アモルファス薄膜では初めて見つかった現象である[9]。a-CNx 薄膜の光誘起変形は、可視光の照射の有無による制御が可能な可逆的な変化であり、可視光のほぼ全ての波長で同じ挙動が見られること、波長 470 nm 付近の青色の光に最も強く応答すること[10]、光熱変換効果の影響はほぼないことなどが明らかになっている [11]。
光誘起変形を起こす材料でもっとも広く知られているものの一つに、有機化合物のアゾベンゼン(C6H5-N=N-C6H5)がある [12]。この材料は、2個のベンゼン環が窒素の二重結合(-N=N-、アゾ基)でつながった構造を有している。アゾ基があることで、紫外線を照射するとトランス体がシス体に変化し, 可視光または熱によってトランス体に戻る光異性化が起こる。アゾベンゼン分子から成るフィルムに光を照射すると、光異性化によって巨視的な変形がもたらされる。
一方、同じ炭素と窒素から成る a-CNx 薄膜は、基本的に各原子がアモルファスネットワークによりランダムに結合しているが、アゾベンゼンに類似した窒素の二重結合は数%存在していることがわかっている。また、波長 470 nm 付近の青色の光に最も強く応答することは、炭素と窒素の二重結合が作るバンドギャップの遷移エネルギーに相当しており、C=N 結合が光誘起変形に関与している可能性が高い。さらに、可視光の全波長領域の光に応答することから、わずかずつでも C-C、C-N、C=C など多くの化学結合状態が光誘起変形に寄与していると考えられる。
化学結合状態を調べる手法の一つに、赤外線の吸収を測定する赤外分光(IR)があるが、a-CNx 薄膜の場合は、化学結合状態が多様であり、暗状態(光遮断状態)と明状態(可視光照射下)での各化学結合状態の差を一般的な赤外分光装置で捉えることは、極めて困難である。さらに、軟X線発光分光(SXES)による面分析では、a-CNx 薄膜には面内不均一性が存在し、可視光を照射した際の応答も場所によって異なることがわかっている [13]。ただし、SXES では C-N の詳細な状態までは解析できていない。IR 測定は、SXES では得られない化学結合状態の情報が得られる強力なツールであるが、SXES で見られる面内不均一の範囲は数 µm 程度であり、通常の IR 装置のプローブ光では、場所による化学結合状態の依存性を調べることは不可能である。
それに対し、SPring-8 の赤外放射光は通常の赤外線ランプに比べ、極めて高輝度であり、微小領域への集光性能に優れ、赤外顕微鏡を用いた、微小領域の顕微分光が可能である。そこで本研究では、2度にわたり BL43IR を用いて、a-CNx 薄膜の化学結合状態の局所的な構造と光照射による変化を捉えることを目的とする実験を行った。
実験:
試料は、グラファイト(純度 99.99%)と窒素ガス(99.9995%)を原料とする、反応性高周波マグネトロンスパッタ法により作製した。高周波電力は 85 W、反応ガス圧力 0.12 Torr とし、作製温度は、光誘起変形が生じる573 K(CN300)および変形が生じない 873 K(CN600)の2種類とした。基板は赤外線透過性に優れた BaF2 とした。
赤外分光装置は Bruker 社製顕微フーリエ変換赤外分光(FT-IR)システム Hyperion2000-Vertex70 を用いた。対物レンズは 36 倍、測定範囲は 600-4000 cm-1、分解能 4 cm-1、スキャン回数 250 回とした。測定モードは透過である。面分析は、横 50 µm、縦 40 µm の範囲を約 5 µm 間隔で測定を行った。可視光照射実験では、可視光レーザー(波長 532 nm)を励起光源として使用した。光照射時に光熱変換効果により試料の温度が上がるため、冷却加熱ステージを用いて、試料の温度を一定に保持した。図1に FT-IR 測定のセットアップの概略を示す。
図1. FT-IR 測定系のセットアップ
試料の窒素含有量は、X線光電子分光法(XPS)を用いて測定した C1s および N1s ピークの面積から算出した。XPS 測定装置は、島津製作所製 Kratos Ultra-II、X線源は、単色化した Al 線源(1486.6 eV)を使用した。
結果および考察:
図2に CN300 および CN600 の室温(300 K)で測定した IR スペクトルを示す。図中に灰色で示す波数約 1100-1800 cm-1 の領域に現れる。低波数側からそれぞれ、C-N 伸縮振動モード(1100 cm-1)、sp2C と結合した N の振動モード(1350 cm-1 付近)、窒素を含む六員環構造(1550 cm-1 付近)、C=N に関する結合(1600 cm-1)の存在を表している[14]。CN300 と CN600 の窒素含有量 N/C はそれぞれ約 0.5 と約 0.3 であり、CN600 に比べ、CN300 の方が窒素が多く膜中に存在していることから、C=N、C-N 結合を表すピークが大きくなっていることが FT-IR スペクトルの形状からも見て取れる。
図2. a-CNx 薄膜の FT-IR スペクトル
図3に CN300 および CN600 の暗状態における、波数 1100-1800 cm-1 の領域にあるピークの総面積強度の面内分布を示す。x 軸、y 軸はそれぞれ測定位置を表している。測定温度はいずれも室温(300 K)である。
(a) 573 K で作製した a-CNx 薄膜(CN300) (b) 873 K で作製した a-CNx 薄膜(CN600)
図3. FT-IR スペクトル強度の面内分布
図3に示すように、スペクトル強度が場所により異なることから、a-CNx 薄膜は、作製温度によらずアモルファスでありながら面内不均一性を有していることがわかる。軟X線発光分光スペクトル測定の結果からも、窒素含有率や sp2/sp3 結合比の面内分布が見られており、そのサイズが今回得られた ~10 µm 程度とおおむね一致している[15]。
次に、暗状態において 1100-1800 cm-1 のスペクトル強度がもっとも高い部分(A)と低い部分(B)の暗状態のスペクトルと、それと同じ場所で測定した明状態でのスペクトル、2つのスペクトルの差分を図4および図5に示す。
図4. 573 K で作製した a-CNx 薄膜(CN300)の各点での FT-IR スペクトル
図5. 873 K で作製した a-CNx 薄膜(CN600)の各点での FT-IR スペクトル
図4に示す CN300 では、明状態においてスペクトル強度が増加していることがわかる。特に窒素を含む六員環構造および C=N 結合に由来する、1500-1600 cm-1 のスペクトル強度が増加している。図4(a)と(b)では差が分かりにくいが、A 点での明状態の 1100-1800 cm-1 のスペクトル強度は暗状態に対して 8% 増加し、B 点では 10% 増加した。
一方、図5に示す CN600 では、CN300 に比べ、明暗でのスペクトルの変化が小さく、いずれの場所でも 1400-1500 cm-1 のスペクトル強度がわずかに減少している。CN300 の場合は 1500-1600 cm-1 のピークに光応答が見られていることから、CN300 と CN600 では光に応答する化学結合状態および応答の挙動が異なることがわかる。このような光に対する化学結合状態の変化が、CN300 では大きな光誘起変形が見られるのに対し、CN600 では変形が起こらない原因の一つと考えられる。CN600 のスペクトルの減少率は 3% 程度であった。
光誘起変形が見られない CN600 においても、CN300 同様、暗状態と明状態でスペクトルに違いが見られたことから、光誘起変形に寄与していない結合状態でも光照射による変化が生じている可能性が示唆された。この原因は、レーザー光を照射した場は 0.2 K 程度温度が上昇したことから、吸収した光が熱に変わる光熱変換効果による熱の影響ではないかと考えられる。
そこで、光熱変換による変化と光が直接引き起こす変化を区別するため、測定温度を変化させて FT-IR スペクトルの測定を行なった。温度を 283 K から 333 K まで変化させて測定したところ、特に 1600 cm-1 付近ピーク強度が、測定温度が高くなるに従いわずかに減少した。CN300 の光誘起変形では、測定時の雰囲気温度が 20 K 程度高くなると、変形量の減少が確認されている。したがって、1600 cm-1 の結合は温度に影響される結合であると言える。573 K で作製された試料の化学結合状態が、300 K 前後の室温において変化した今回の実験結果は、試料の熱安定性にも関係する重要な結果であるため、今後詳細に検証する必要がある。
今後の課題:
スパッタ法で作製したアモルファス窒化炭素薄膜において、面内方向の化学結合状態が不均一であること、また可視光照射により化学結合状態が変化する箇所が存在することが本研究において明らかになった。光誘起変形は表面不均一性以外にも、表面と基板界面の光に対する化学結合状態変化量が異なるために生じている可能性もあり、光誘起変形機構の解明のためには、今後、膜厚方向の局所的な化学結合状態についても明らかにする必要がある。
謝辞:
本研究の一部は科研費基盤研究B(課題番号:18H01715)の助成を受けて行われました。
参考文献:
[1] A. Y. Liu, M. L. Cohen, Science, 245, 841 (1989).
[2] Y. Zhang et al., Sci. Rep., 3, 1943 (2013).
[3] S. Muhl, J. M. Mendez, Diamond Related. Mater., 8, 1809 (1999).
[4] J. Neidhardt et al., Diamond Relat. Mater., 13, 1882 (2004).
[5] J. Robertson, C. A. Davis, Diamond Relat. Mater., 4, 441 (1995).
[6] N. Tamura et al., Jpn. J. Appl. Phys., 54, 041401 (2015).
[7] J. Wei, P. Hing, J. Appl. Phys., 91, 2812 (2002).
[8] S. E. Rodil, S. Muhl, Diamond Relat. Mater., 13, 1521 (2004).
[9] M. Aono et al., Diamond Relat. Mater., 41, 20 (2014).
[10] M. Aono et al., Jpn. J. Appl. Phys., 55, 01AA03 (2016).
[11] T. Harata et al., Appl. Phys. Lett., 105, 051905 (2014).
[12] K. G. Yager, C. J. Barret, J. Photochem. Photobiol. A, 182, 250 (2006).
[13] M. Aono et al., Sci. Rep., 8, 15066 (2018).
[14] J. V. Anguita, in “Properties of Amorphous Carbon”, S. R. P. Silva, ed., INSPEC, UK, 2003, p.132.
[15] S. Ishii et al., Microscopy, 67, 244-249 (2018).
(Received: March 31, 2020; Early edition: June 26, 2020; Accepted: July 6, 2020; Published: August 21, 2020)