Volume8 No.2
SPring-8 Section B: Industrial Application Report
潤滑油により金属表面に形成された反応膜の形成機構の解明
Mechanistic Study on Formation of Reaction Films on Metal Surfaces by Lubricants
JXTGエネルギー株式会社
JXTG Nippon Oil & Energy Corporation
- Abstract
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自動車用潤滑油の省燃費性等の特性は、潤滑油添加剤が金属表面に作用して形成される反応膜の組成、構造に大きく依存する。そこで本研究では、アルキル鎖の異なる摩耗防止剤 ZnDTP (Zinc Dialkyldithiophosphate)のみ基油に添加した潤滑油を使用して時間を変えて摩擦試験を行い、金属試験片表面に反応膜を形成させ、HAXPES により反応膜成分の化学結合状態の推定を試みた。その結果、ZnDTP のアルキル基の長さが異なると主に反応膜を構成しているポリリン酸の分子鎖長の長さが、反応膜の表層部および内部のどちらにおいても異なると推定された。また、摩擦試験時間と反応膜の表層部、内部におけるポリリン酸の分子鎖長との関係は ZnDTP のアルキル基の長さにより異なると推定された。
Keywords:反応膜、ZnDTP、HAXPES
背景と研究目的:
近年の地球温暖化問題に係る炭酸ガス排出を抑制する方法の一つとして、自動車の省燃費性の向上がある。自動車に使用される潤滑油の省燃費性は、潤滑油に使用される添加剤が金属表面に作用して形成される反応膜の組成、構造に大きく依存する。よって、潤滑油の省燃費性を向上させるためには、反応膜の組成、反応膜中の潤滑油添加剤由来成分の化学結合状態を制御する必要があり、そのためには反応膜の生成機構の解明が必要である。
そこで、本研究では反応膜の生成機構解明の一環として、基油に自動車用エンジン油に添加される摩耗防止剤 ZnDTP (Zinc Dialkyldithiophosphate)のみ添加した潤滑油により形成させた反応膜について、HAXPES (HArd X-ray PhotoEmission Spectroscopy)による反応膜成分の化学結合状態の推定を試みた。
実験:
アルキル鎖の長さが異なる ZnDTP を基油に添加した潤滑油を用いて転がりすべり摩擦試験機により金属試験片の摩擦係数(µ)の経時変化を調べた(図1)。その結果、長鎖アルキル基を有する ZnDTP を添加した潤滑油は µ が試験時間経過とともに増大し、試験開始後約 60 分以降に一定となった。一方、短鎖アルキル基を有する ZnDTP を添加した潤滑油は µ が試験開始後約5分以降で一定となった。そこで、長鎖アルキル基を有するZnDTPを添加した潤滑油のの経時変化挙動に着目し、試験時間を µ が増大し始める5分(金属表面に反応膜が形成され始めている段階と考えられるため反応膜生成の初期)、µ が一定となる 60 分(反応膜の形成が完了したと考えらえるため反応膜生成の後期)、µ が増大中の 30 分(これらの中間であるため反応膜生成の中期)として反応膜(以後、長鎖 ZnDTP 膜)を金属試験片表面に形成させた。また、短鎖アルキル基を有する ZnDTP を添加した潤滑油についても同様に金属試験片表面に反応膜(以後、短鎖 ZnDTP 膜)を形成させた。これら反応膜について非破壊で深さ方向分析が可能な放射光利用 HAXPES を用いて、反応成分の化学結合状態の分析を行った。HAXPES 測定は BL46XU において VG Scienta R4000 を用いて行った。入射X線エネルギーを 7.94 keV、パスエネルギーを 200 eV 、TOA (Take Off Angle)を 15°、30°、50°、80° とした。また、エネルギー基準には試験片の材質に含まれる Fe の 2p3/2 (金属状態)を用いた。
図1. 摩擦係数の経時変化(各潤滑油の摩擦係数最大値を1とした)
結果および考察:
HAXPES 分析の結果、各試験時間で得られた長鎖 ZnDTP 膜、短鎖 ZnDTP 膜とも潤滑油添加剤成分 C、O、P、S、Zn および 母材成分 Fe が検出された。O1s スペクトルは TOA を変化させると形状が変化し、主に反応膜を構成しているポリリン酸由来ピークが認められた。例として、試験時間 60 分の短鎖 ZnDTP 膜の HAXPES スペクトル(TOA = 15°、30°、50°、80°)を図2に示す。また、C1s、S2p、Fe2p スペクトルにおいては、それぞれ脂肪族化合物、硫化物、金属鉄に由来するピークが主に観測され、硫酸塩(S2p=約 169 eV、Fe2p3/2=約 713 eV)、炭酸塩(C1s=約 289 eV、Fe2p3/2=約 710 eV)、水酸化物(Fe2p3/2=約 712 eV)に由来するピークの強度が低かったため(図3)、O1s スペクトルにおいてもこれらに由来するピークの強度が低いと考えらえる。そこで、O1s スペクトルを(1)Fe, Zn 酸化物、(2)ポリリン酸中の非架橋型酸素(NBO: non-bridging oxygen)、(3)ポリリン酸中の架橋型酸素(BO: bridging oxygen) の3成分に波形分離して(図4)、各成分の比率を算出し、ポリリン酸の分子鎖長の指標となる BO/NBO 比率を求めた[1]。BO/NBO 比率が大きいほど、ポリリン酸分子鎖はより長いと推定される。
図2. 試験時間 60 分の短鎖 ZnDTP 膜の O1s HAXPES スペクトル (積分強度で規格化)
図3. 試験時間 60 分の短鎖 ZnDTP 膜の(左) C1s, (中央) S2p, (右) Fe2p HAXPES スペクトル(TOA=80°)
図4. 試験時間 60 分の短鎖 ZnDTP 膜の O1s HAXPES スペクトル(TOA=15°)の波形分離およびポリリン酸の分子構造
図5に長鎖および短鎖 ZnDTP 膜の O1s HAXPES スペクトルを示す。長鎖 ZnDTP 膜、短鎖 ZnDTP 膜とも試験時間が長くなるほど Fe または Zn の酸化物由来のピーク強度が低下することから、試験時間とともに元々金属表面に形成されていた酸化被膜がポリリン酸に変化していったと推定される。そこで、ポリリン酸の組成、構造を詳細に把握するために、試験時間に対して BO / NBO 比率をプロットした(図6)。各試験時間の長鎖 ZnDTP 膜、短鎖 ZnDTP 膜について BO/NBO 比率を比較した結果、すべての TOA(反応膜の表層部~内部)、すべての試験時間(反応膜生成の初期~後期)において、BO/NBO 比率は長鎖 ZnDTP 膜が短鎖 ZnDTP 膜と比べて低かった。このことから、長鎖 ZnDTP 膜は短鎖 ZnDTP 膜と比べて、反応膜中のポリリン酸分子鎖が短いと推定される。
次に、長鎖 ZnDTP 膜に着目すると試験時間=5分(反応膜生成の初期)において TOA が変化しても BO/NBO 比率がほとんど変化しないことから、膜の表層部と内部のポリリン酸は同程度の分子鎖長であると推定される。試験時間= 30 分(反応膜生成の中期)においては TOA が小さくなると BO/NBO 比率が大きくなる傾向があることから、長鎖 ZnDTP 膜の表層部は内部と比べてポリリン酸分子鎖が長いと推定される。また、長鎖 ZnDTP 膜生成の初期、中期、後期におけるポリリン酸分子鎖長を比較すると、TOA が小さいとき、すなわち表層部では中期、後期は初期に比べて BO/NBO 比率が大きく、ポリリン酸分子鎖が長いと推定される。
図5. 長鎖 ZnDTP 膜((a)~(c))および短鎖 ZnDTP 膜((d)~(f))のO1s HAXPES スペクトル
(a),(d):試験時間= 5分、(b),(e):試験時間= 30 分、(c),(f) 試験時間= 60 分
図6. 試験時間と BO / NBO 比率との関係
一方、短鎖 ZnDTP 膜については試験時間= 5分、30 分(反応膜生成の初期、中期)においては TOA が変化しても BO/NBO 比率がほとんど変化せず、また両者の BO/NBO 比率は同程度であった。このことは、短鎖 ZnDTP 膜生成の初期および中期において膜の表層部と内部のポリリン酸は同程度の分子鎖長であり、また反応膜生成の初期と中期とで分子鎖長に差異がないと推定される。それに対して、試験時間=60 分(反応膜生成の後期)において、TOA が大きいときは短鎖 ZnDTP 膜の BO/NBO 比率が反応膜生成の初期、中期と同程度であったのに対して、TOA が小さいときは反応膜生成の初期および中期と比べて BO/NBO 比率が大きかった。このことは、反応膜生成の後期において短鎖 ZnDTP 膜内部のポリリン酸は分子鎖長が反応膜生成の初期、中期と同程度であるのに対して、表層部近傍のポリリン酸分子鎖は反応膜生成の初期、中期と比べて長いと推定される。
まとめ:
アルキル基の長さの異なる ZnDTP を用いて金属表面に形成させた2種類の反応膜について HAXPES 測定を行うことにより、反応膜を構成しているポリリン酸の分子鎖長について以下のことを推定できた。
(1) 長鎖 ZnDTP 膜は短鎖 ZnDTP 膜と比べて、ポリリン酸分子鎖が短い。
(2) 長鎖 ZnDTP 膜は反応膜生成の初期において表層部と内部のポリリン酸は同程度の分子鎖長であるが、中期、後期においては表層部が内部と比べてポリリン酸分子鎖が長く、表層部のポリリン酸分子鎖は反応膜生成の初期より長い。
(3) 短鎖 ZnDTP 膜は反応膜生成の初期、中期において表層部と内部のポリリン酸は同程度の分子鎖長であり、初期と中期とで分子鎖長に差異がないが、後期においては内部のポリリン酸は分子鎖長が反応膜生成の初期、中期と同程度であるのに対して、表層部近傍のポリリン酸分子鎖は初期、中期より長い。
今後の課題:
今回得られた反応膜の HAXPES 分析結果に加えて、今後、各試験時間の反応膜の断面について STEM/EDX 分析、ラボ XPS 分析を行い、反応膜の厚さ(絶対値)、深さ方向の組成の試験時間による差異を把握するとともに、ナノインデンターにより反応膜の硬さも把握して、反応膜の組成、構造、硬さが摩擦係数に与える影響を明らかにする。
参考文献:
[1] R. Heubergera et al., Tribology Letters, 25, 185 (2006).
(Received: May 23, 2019; Early edition: June 26, 2020; Accepted: July 6, 2020; Published: August 21, 2020)