SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume8 No.2

SPring-8 Section B: Industrial Application Report

HAXPES定量解析に向けた電子分光器のリニアリティ評価
Linearity Study of Electron Spectrometer for Quantitative Analysis using HAXPES

DOI:10.18957/rr.8.2.432
2019A5062 / BL16XU

吉木 昌彦, 藤井 景子

Masahiko Yoshiki, Keiko Fujii

(株)東芝

Toshiba Corporation

Abstract

 HAXPES 定量解析において問題となる、光電子強度が大きいほど実際よりも大きな光電子強度が観測される「数え増し現象」の原因を探るため、電子分光器のリニアリティを詳細に評価した。強い光電子ピークが得られる SiO2 と GaN を試料としてX線強度依存を測定し、電子分光器の2次元検出器におけるハレーションが数え増しの一因である可能性を示した。さらに、2次元検出器の設定電圧の最適化によるリニアリティ改善を検討した。


Keywords: 硬X線光電子分光法、HAXPES、定量分析、リニアリティ、数え増し


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背景と研究目的:

 放射光を利用した硬X線光電子分光法(HAXPES)は、表面分析手法として普及しているX線光電子分光法(XPS)に比べて数倍以上の検出深さが得られるなどの特長を持ち、測定や解析方法では XPS と共通する点が多いことから、産業界において XPS 以上に幅広い分野での応用が期待される。しかし、数10年にわたるデータや理論の蓄積がある XPS に比べると、標準スペクトルやケミカルシフト、相対感度係数などの基礎データが十分にそろっておらず、特に原子数比や組成を求める定量解析は困難で、ピーク面積比を用いた定性的な解析にとどまる場合が多い。

 我々は HAXPES 定量解析技術の開発として、相対感度係数や検出深さの見積もり、また測定条件や繰り返し再現性など、定量解析の確度、精度に関する実験を進めているが、SiO2 試料について O 1s/Si 1s ピーク比のX線強度依存を調べたところ、電子分光器の「数え増し現象」によるピーク比の変化を確認した。HAXPES では XPS に比べて励起可能な内殻準位、検出深さが増えることから、測定対象となる光電子ピークの強度範囲も広く、数え増しによる電子分光器のリニアリティ低下は定量確度を大きく下げることになる。この現象は軟X線光電子分光測定においても inverse saturation として報告されており[1]、電子分光器の2次元検出器の特性に由来するものとして感度補正法も提案されているが、その原因は特定できていない。

 本研究では、HAXPES 装置の電子分光器のリニアリティを詳細に評価し、数え増しによるリニアリティ低下の原因を明らかにすることを目的とした。また、電子分光器の2次元検出器の設定電圧の最適化によるリニアリティ改善の可能性を探った。

 

実験:

 強い光電子ピークを利用するため、試料として膜厚 9.4 nm と 700 nm の SiO2/Si 基板および GaN 基板を用いた。測定に用いた BL16XU の HAXPES 装置は、電子分光器が VG SCIENTA R4000 Lens 1 10 keV で、検出器カメラは 70 fps、ADC(アナログ-デジタル変換)モードの Multiple Counting Factor(MCF)は25、分析領域は約 3.6 mm × 0.05 mm のライン状である[2]。測定条件は、励起エネルギーが約 7948 eV(ビームタイムごとに Au 4f7/2ピークで較正)、パスエネルギーが 200 eV、スリットが curved 0.5 mm で、全エネルギー分解能は約 0.25 eV である。光電子検出効率を上げるため、X線入射角 0.7 度、光電子検出角度 89.3 度の斜入射配置とし、X線強度は Al フィルタを用いて 2~100%(理論透過率)の範囲で調整した。各X線強度において、相対感度係数が異なる複数の光電子ピークを測定することにより、広い光電子強度範囲におけるリニアリティを評価した。

 

結果および考察:

 図1にX線強度 100% で測定した膜厚 700 nm の SiO2 のワイドスペクトルを示す。Si 1s、O 1s ピークのほかに Si 2s、Si 2p ピークも検出されており、もっとも強い Si 1s は O 1s の約7倍、Si 2p の約 280 倍以上の強度差となる。これらのピーク面積のX線強度に対する変化を図2(a)に示す。X線強度は試料を退避して測定したイオンチャンバーの電流値から Al フィルターなしにおける値を 100% として算出し、各ピーク面積はX線強度 7.6% における値で規格化した。なお、電流値は Al フィルターの理論透過率から求めた値とよく一致することを確認している。Si 2p 面積がほぼX線強度に比例して増加するのに対し、O 1s、Si 1s ピークは明らかに非線形的に増加しており、強度 100% では Si 2p 対して約 1.7 倍の増加率を示す。すなわち、少なくとも 300 kcps 以上の光電子強度においては、強度が大きいほど実際よりも大きく検出される「数え増し」が生じていることが分かる。

 

     

      図1.SiO2(膜厚 700 nm)のワイドスペクトル(括弧内はピーク面積 kcps)

 

     

   図2.SiO2(膜厚 700 nm)における(a)ピーク面積および(b)ピーク面積比のX線強度依存

 

 これらのピーク面積比を用いて原子数比を算出すると、図2(b)に示すようにX線強度によって値が変化する。図の縦軸は最低強度におけるピーク比を O/Si 比の2として規格化してあるが、最大強度では 1.5 から 2.5 まで大きな差が生じており、定量確度は ±25% とよくない。このX線強度、すなわち光電子強度依存の傾向は比較するピーク間の強度の大小でずれる方向が異なり、強度の差が大きいほどずれも大きくなるため、得られた原子数比を補正して本来の値を推定することは困難であり、数え増しを低減する装置設定や測定条件を見つけるか、光電子強度の段階で数え増しを補正する必要がある。

 

 図3に膜厚 9.4 nm の SiO2 における Si 1s スペクトルのX線強度依存と、これらを SiO2 成分のピーク高さで規格化したものを示す。SiO2 成分に対する Si 基板成分のピーク面積比は 1.24 から 1.43 まで 10% 以上も変化するが、X線強度 7.6% で最大値をとり 100% で最小となることから、少なくとも 28% 以降の Si 基板成分のピークでは数え増しと同時に検出器の飽和による数え落としが生じていると考えられる。一方、規格化したスペクトルで形状を比較すると、X線強度 100% ではピークの裾の幅が広がるとともにピーク間の領域でも強度増加が生じており、数え増しが生じる際は強い光電子ピークの周辺でも強度が増加することが分かった。

 

     

   図3.X線強度による SiO2(膜厚 9.4 nm)の Si 1s スペクトルの(a)強度変化および(b)形状変化

 

 本研究で使用した電子分光器は2次元検出器を採用しており、静電半球を通過した光電子は MCP(Micro-Channel Plate)で増幅されたのち蛍光スクリーンを発光させ、CCD カメラによって光電子スポットとして観測される。カメラ画像の2軸は光電子の運動エネルギーと試料上の光電子発生位置に対応しており、位置分解あるいは全領域の積分スペクトルとして出力されるが(図4(a))、ADC モードでは単純に閾値以上の輝度の画素数を MCF で割って光電子数に変換することで、パルスカウントモードに比べて高い計数率を実現している(図4(b))。しかし光電子強度が大きい場合、ピーク領域の光電子スポットによってカメラ画像が全体的に明るくなるとともに各スポットが近接して重なるため、本来なら閾値以下となるスポット周辺部の輝度の低い画素が光電子として処理されるハレーションが生じ、数え増しによるリニアリティ低下を引き起こすと考えられる(図4(c))。この仮定のもと、MCP あるいは蛍光スクリーンに印加する電圧を下げることで画像全体の明度上昇やスポット周辺部の閾値越えを抑制し、リニアリティを改善できるか検討した。

 

     

   図4.カメラ画像からのスペクトル生成および光電子強度による光電子スポットの違い

 

 図5は GaN 基板からの光電子ピークについて、標準設定である MCP 電圧 1450 V、蛍光スクリーン電圧 3600 V に対して各電圧を変えて測定したX線強度依存である。検出器のハレーションが原因であれば、MCP や蛍光スクリーンの電圧を下げて光電子スポットを暗く、小さくすることで数え増しを低減できると予想されるが、実際にはこれらの電圧が高い方が、強度の大きい Ga 2p3/2 ピークと小さい O 1s ピークにおけるリニアリティの差は小さくなった。しかし詳細にみると、電圧が高いほどX線強度 100% における相対ピーク面積が小さくなっており、その変化は Ga 2p3/2 ピークで最も顕著なことから、電圧を上げると光電子スポットが大きくなってそれらの重なりによる数え落としが増大し、これが数え増しの影響を一部相殺することで、リニアリティが改善されたように見えている可能性が高い。光電子強度の増大とともに数え増しに続いて数え落としの影響が大きくなるため、これらの影響が広い強度範囲全体で安定して相殺できるとは考えにくく、数え増し、数え落としのいずれの影響も無視できるような電圧設定が望ましいが、本研究で行った検討の範囲では見つけられなかった。

 

   

   図5.GaN における MCP 電圧、蛍光スクリーン電圧によるピーク面積のX線強度依存の変化

 

今後の課題:

 HAXPES の定量確度に影響を与える電子分光器のリニアリティを詳細に評価し、大きな光電子強度で生じる検出器のハレーションによる数え増しがリニアリティ低下の一因である可能性を示した。引き続き、検出器の電圧設定の最適化によるハレーションの抑制を検討し、リニアリティ改善を図る。さらに、X線強度や分析領域、検出器カメラなどの仕様が異なる他のビームラインの HAXPES 装置でもリニアリティを評価し、定量解析を含めた装置間でのデータ比較ができる環境作りを目指す。

 

 

参考文献:

[1] T. J. Reber et al., Rev. Sci. Instrum. 85, 043907 (2014).

[2] 吉木昌彦、サンビーム年報・成果集、4, 14 (2015).

 

 

 

(Received: March 2, 2020; Early edition: June 26, 2020; Accepted: July 6, 2020; Published: August 21, 2020)