SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume8 No.2

SPring-8 Section C: Technical Report

マイクロ集光硬X線光電子分光実験のための高速ポジショニングシステムの開発
Development of Quick Positioning System for Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy using Micro-Focused Beam

DOI:10.18957/rr.8.2.445
2014B1476, 2014B2037 / BL47XU

保井 晃, 池永 英司, 中村 哲也

Akira Yasui, Eiji Ikenaga, and Tetsuya Nakamura

(公財) 高輝度光科学研究センター

Japan Synchrotron Radiation Research Institute

Abstract

 硬X線光電子分光(HAXPES)計測による局所電子状態解析を、より効率化するための高速ポジショニングシステムを開発した。具体的には、本システムは光電子アナライザーの印加電圧を固定した状態で特定の光電子強度を計測しステップスキャンすることで、高速元素/形状マッピングを実現するものである。永久磁石など不均一性の大きい試料に対して硬X線マイクロビームを用いた HAXPES 計測を行う際に、特定の内殻ピークを用いて高速に目標測定位置を探索できるシステムの開発が望まれていた。本研究で開発された二次元スキャンシステムは、従来のものに比べ約 1/40 の時間でスキャンできるため、ビームタイムの有効活用に繋がる。本システムは元素戦略プロジェクトで研究されている Nd-Fe-B 永久磁石だけでなく、物質中のドーパントの局所化学結合状態分析など、集光ビームを用いた光電子分光実験に対し広く役立つものである。


Keywords: 硬X線光電子分光、複合材料


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背景と研究目的:

 SPring-8 で開発された硬X線光電子分光(HAXPES)は、バルク敏感性が高く、従来の真空紫外領域や軟X線領域の光電子分光では調べることができなかった深さ数十 nm まで(8 keV のとき約 20 nm)の電子状態を調べることができることから、試料本来の物性を調べることが可能である[1-5]。また、電場等の外場下の計測も可能であるなど適用試料の範囲が広く、今後更なる利用拡大が期待できる研究手法である。その中で、BL47XU の HAXPES では、そのバルク敏感性を活かし、広角対物レンズを用いた角度分解深さ分析や、Kirkpatric-Baez(K-B)ミラーによる ϕ 1 μm 集光ビームを用いた埋もれた界面における微小領域化学結合状態のイメージング計測技術が、利用研究に供されている[3,4]。現在、HAXPES が利用できるビームラインは世界の大型放射光施設で数多く存在するが、本微小領域イメージング法と組み合わせた広角度分解深さ分析が可能なビームラインは SPring-8 の BL47XU のみである。また、上記の特徴を活かして、雰囲気(溶液や湿潤ガス)環境の試料を対象とした、“その場” HAXPES 計測を推進している[6]。

 現在、元素戦略プロジェクトを中心として、希少なレアアース元素を極力低減した永久磁石材料の開発が行われており、特に、粒界相の改質による Nd-Fe-B 焼結磁石の保磁力向上が有望視されている。したがって、Nd-Fe-B 焼結磁石の粒界相の物性を明らかにすることが重要である。Nd-Fe-B 焼結磁石は、主に粒径約 5 µm の Nd2Fe14B 主相結晶粒、主相結晶粒を覆うように存在する幅約 3 nm の二粒子粒界相、主相結晶粒間に存在する約 1 µm の Nd リッチ相などの微細組織で構成される、非常に不均一性の大きい合金である。

 このような不均一性の大きい試料中の特定の箇所に対してマイクロビームを用いた HAXPES 計測を行うには、まず特定の内殻ピークの強度を用いて、試料表面方向に一次元、もしくは二次元スキャンを行う必要がある。これまで、BL47XU の HAXPES 計測では、この精密測定位置決定のために、光電子アナライザーのレンズ電圧を走査しながらスペクトルを取得する「Sweep mode」を用いてスキャンを行ってきた。しかし、ステップ幅 8 μm、64 μm×64 μm の領域 (9×9) に対して二次元スキャンを行うだけで約 5.5 時間を所要し、その後の詳細測定に利用可能な時間が大きく圧迫されることが問題となっていた。逆に、位置決定に要する時間短縮を優先すればステップ幅を粗く取らざるを得ないため、十分な位置決定精度が得られなかった。この Sweep mode は通常の幅広いエネルギー範囲にわたる光電子スペクトルを取得するためには必要であるが、スペクトル取得に要する時間が長く、位置決定のように特定の元素ピークの有無を調べるだけであれば必要はない。一方、「Fixed mode」はレンズ電圧を固定し、限られたエネルギー領域のデータを一度に取得するモードである。この Fixed mode は MCP による検出効率のムラが直接スペクトルに現れてしまうことから通常の測定には不適であるが、高速にスペクトルを取得できることから位置決定測定に適している。そこで本課題では、BL47XU で使用されている二次元スキャンプログラムを Fixed mode で動作するように変更することで、高速二次元スキャン技術の確立を目指した。

 

実験:

 本開発において、Fixed mode を利用した高速二次元スキャンプログラムを作成した。この二次元スキャンプログラムは、LabVIEW 上で動作する VG-SCIENTA 社の SESwrapper ライブラリを用いて作成され、従来プログラムの追加機能として構築した。そのプログラムの概念図を図1(a)に示す。プログラムから試料マニピュレータの駆動を行ったのち、アナライザーに測定開始の命令を送り、アナライザーからの信号をスペクトルに変換する。

 

  

図1.(a) 開発した高速ポジショニングシステムの概念図。プログラムは LabVIEW を用いて作成した。試料マニピュレータの移動を行うとともに、LabVIEW 上で動作する SESwrapper ライブラリから HAXPES 計測を実行する。(b) X線ビームと試料、アナライザーの位置関係の概略図。試料マニピュレータの駆動軸も書き入れた。

 

 本開発は SPring-8 BL47XU の HAXPES 装置を用いて行った[3,4] 。本装置には、VG-SCIENTA 社の R4000 アナライザーと、その前段には、前述した光電子捕集角度が ±32 度の広角対物レンズが搭載されている。K-B ミラーを用いて硬X線ビームを集光し、試料に照射した。このとき、アナライザーのレンズ軸と光軸は図1(b)のとおり直交している。試料位置での集光ビームサイズは縦:1.26 µm、横:2.75 µm である。ビームの入射角度は試料表面から 30 度にセットした。その時、試料上でのビームフットプリントは縦 1.26 µm、横:5.5 µm となる。入射光のエネルギーは 7.94 keV である。

 試料には Cu 0.1 at.% を添加した Nd-Fe-B 焼結磁石を用いた。これは、以前、我々が軟・硬X線吸収 MCD 計測を行った試料と同一のバッチから切り出したものである[7-9]。その試料を超高真空チャンバー (チャンバー内真空度:7.0×10-7 Pa)内で破断した後、酸化防止のため Ru を約 3 nm 蒸着した。しかし、この Ru 蒸着により、焼結磁石試料からの光電子信号は弱まる。例えば、Fe 2p 内殻(光電子運動エネルギー:約 7230 eV)では無蒸着のときと比べ約 65% に強度が減少する。ここで、この計算には運動エネルギー 7230 eV での Ru 中の電子の非弾性平均自由行程値 6.88 を用いた[5]。破断後の試料サイズは 1.5 mm×1.5 mm×2 mm である。その破断面の走査型電子顕微鏡(SEM)の二次電子像を図2(a)に示す。なお、本論文で示す SEM 像は、全て FEI Helios NanoLab 650 を用いて得たものである。電子線の加速電圧は 5 kV である。その破断面に露出した特定の結晶粒の四隅に一辺1 0 μm の正方形の Pt 薄膜マーカーを上記 SEM の電子線によるデポジションで作製した(図2(b)点線四角)。その厚みは約 100 nm である。この Pt マーカーを、上記プログラムを用いた試料表面方向に対する二次元測定により探索した。

 

  

図2.(a) Nd-Fe-B 焼結磁石試料破断面の SEM 像。(b) (a)の黄枠部を拡大した SEM 像。4つの点線四角部が Pt マーカーである。SEM の二次電子像では重元素ほど明るく観測される傾向がある。 (c) (a)の赤枠部に対応する Fe 2p3/2 内殻光電子強度マッピング。 (d) (b)の領域に対応した Pt 4p3/2 内殻光電子強度マッピング。Pt マーカー部に相当する領域で Pt 4p3/2の強度が増大している。

 

結果および考察:

 本研究で製作した高速二次元スキャンプログラムを用いて得られた Fe 2p3/2 内殻光電子強度の二次元マッピング結果を図2(c)に示す。ここでの光電子強度は Fe 2p3/2 スペクトルの面積積分値である。スキャンステップ幅は縦 50 µm、横 30 µm、1点あたりの積算時間は1秒である。像の強度コントラストは SEM 像のものと良い対応を示しており、この図は図2(a)との比較から図2(a)の赤枠の領域に対応するものと断定した。得られた強度は第一に Fe の含有量に依存するが、さらに表面の凹凸にも依存しているように見える。試料右部、および、上部は破断のためにダイヤモンドカッターで切れ込みを入れた領域であり、比較的平らな面であるが、破断面では凹凸が大きい。切れ込みを入れた部分の光電子強度が大きいことから、平らな面ほど光電子放出強度が大きくなる傾向が見られた。これは入射光が斜入射であるため、凹凸の大きい箇所では光が当たらない影の領域が大きくなるためであると考えている。この光電子マッピング像の取得は、約55分で完了した。このように、広い領域の2次元スキャンは、以前の1点あたり約3分要していた以前のプログラムでは現実的ではなかった。

 SEM 像との対応から、ターゲットである図2(b)の Pt マーカーの領域をスキャンした結果を図2(d)に示す。この像は、Pt 4p3/2 内殻スペクトルの面積積分値の二次元マッピング結果である。スキャンは、ステップ幅 3 µm、66 μm×66 µm の領域(23×23)で行った。1点あたりの積算時間は1秒である。その結果、正方形状に4つの Pt 強度の強い箇所が得られた。この間隔は約 20 µm であり、図2(b)の SEM による二次電子像のものと対応する。このことから、本課題で開発した二次元スキャンプログラムにより、10 µm 角のマーカーの検出に成功したことが分かる。なお、光電子マッピング像で Pt 強度が強い領域が SEM 像よりも広がって見える原因として、実際に Pt マーカーの染み出しがあることのほか、表面凹凸による寄与もある。このスキャンに要した時間は約 50 分であるため、従来のシステムに比べ、約 1/40 の時間での位置出しを行うことが可能となった。

 

まとめと今後の課題:

 我々は、光電子強度を利用した高速二次元スキャンシステムを確立した。開発したシステムは従来のシステムに比べ約 40 倍の効率化を実現した。本システムは、これまでにネオジム磁石と同様の複合材料の粒界相解析や、トランジスター内電極間の局所状態解析などに利用されている。ただし、現状のシステムでは、SESwrapper ライブラリの制限で、1点あたり約 2.5 秒の待ち時間が入ってしまうことが問題となっている。モーターによる位置移動に約1秒要していることから、1秒の積算時間であっても、実際には1点当たり 4.5 秒かかってしまっている。したがって、さらなる高速化のために、このライブラリの制限の解消、または、SESwrapper ライブラリを用いない新たなスペクトル取得法の開発が必要である。

 

謝辞:

 Nd-Fe-B 焼結磁石試料のご提供いただきました日立金属株式会社の西内武司氏に感謝申し上げます。破断面における Pt マーカー作製作業において、NIMS の大久保忠勝様、埋橋淳様、宝野和博様のご協力をいただきました。本研究の一部は、JSPS 科研費(15K17496)の助成、さらに、文部科学省元素戦略磁性材料研究拠点(課題番号 12016013)の助成を受け実施されました。

 

参考文献:

[1] J. C. Woicik, Hard X-Ray Photoelectron Spectroscopy (HAXPES) (Springer International Publishing, Cham, 2016).

[2] Y. Takata et al., Nucl. Instrum. Methods Phys. Res., Sect. A, 547, 50 (2005).

[3] E. Ikenaga et al., J. Electron Spectrosc. Relat. Phenom., 190, 180 (2013).

[4] E. Ikenaga et al., Sync. Rad. News, 31, 10 (2018).

[5] S. Tanuma, C. J. Powell and D. R. Penn, Surf. Interface Anal., 43, 689 (2011), and their reference articles.

[6] Y. Cui et al., J. Phys. Chem. C, 120, 10936 (2016).

[7] T. Nakamura et al., Appl. Phys. Lett., 105, 202404 (2014).

[8] A. Yasui et al., J. Appl. Phys., 117, 17B313 (2015).

[9] M. Suzuki et al., Acta Mater., 106, 155 (2016).

 

 

 

(Received: March 30, 2020; Early edition: May 27, 2020; Accepted: July 6, 2020; Published: August 21, 2020)