Volume8 No.2
SXFELビームを用いた時間分解光電子分光のための基礎研究 ~ 高速光電子観察による強光子場誘起空間電荷効果の可視化 ~
Fundamental Study for Time-Resolved Photoelectron Spectroscopy using an SXFEL Beam ~ Space-Charge Effects Induced by Strong Laser Field by means of Fast Photoelectron Measurement ~
a(国研)理化学研究所, bキール大学, c Università degli Roma Tre, d佐賀大学, e兵庫県立大学
aRIKEN SPring-8 Center, b Univ. of Kiel, c Univ. degli Studi Roma Tre, d Saga Univ., e Univ. of Hyogo
- Abstract
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軟X線領域の自由電子レーザー光を用いた時間分解光電子分光実験を行ない、GaAs 標的の As 3d 光電子スペクトルの観察を通じて、超短パルス・超高輝度光に由来する空間電荷効果の観察を行った。プローブ光強度依存性、ポンプ光強度依存性、ポンプ・プローブ間遅延時間依存性の観察の結果、空間電荷効果による As 3d 光電子ピークのエネルギーのシフトを観測した。シフトは励起光起因の低速電子群によるクーロン相互作用に依るものである。
Keywords:光電子分光、SXFEL、空間電荷効果、ポンプ・プローブ、時間分解
背景と研究目的:
光電子分光法 (PES) は物性を決める電子状態を直接観察する事ができ、紫外線から硬X線まで様々な波長の光をプローブとして、先端物質科学の研究に広く活用されている分光法である。中でも、第三世代放射光施設で普及している、硬X線光電子分光法 (HAXPES) は物質本来の電子状態であるバルク電子状態を観察するのに威力を発揮する事が良く知られている [1]。しかしながら、物質の性質を左右する価電子帯近傍の電子状態を観察するには、波長の長い真空紫外線や軟X線をプローブとした UPS や SXPES に比べて HAXPES は感度が劣る。UPS や SXPES は表面敏感な分光法であるが、価電子帯近傍の電子状態を直接観察するには良いプローブとされ、蓄積リングの軟X線ビームラインにおける SXPES や、ラボでの UPS などにより、先端材料の電子状態観察が行われている。一方、光学レーザーの高次高調波 (HHG) を使った LaserPES では、静的な観察の他、フェムト秒領域の時間分解観察など、より先端的な観察も精力的に行われている。しかしながら、蓄積リングから得られる軟X線放射光では、パルス幅が数十ピコ秒と広く、超高速過程による電子状態変化の観察には不向きである。また HHG では、得られるレーザー波長の制限から、元素選択的観察には不向きである事などの制約があり、短パルス性と波長可変性の両方の性質を兼ね備えた軟X線自由電子レーザー (SXFEL) [2]の運用が待ち望まれていた。
我々のグループでは2012年より時間分解 HAXPES (trHAXPES) の開発研究に着手し、SCSS 試験加速器での予備的な実験を経た後、2013年にX線自由電子レーザー (XFEL) による固体の trHAXPES 実験に成功している[3-6]。超短パルス・超高輝度光に由来する空間電荷効果 (光電子ピークのエネルギーシフトや幅の増大など) が PES に与える影響を調べ、その効果の現れ方がポンプ光及びプローブ光の入力パワーと相関がある事を見出している[4]。特に、ポンプ光の特性 (パワー及び波長) との相関において、観察対象となる物質の違いに依る効果も観測し、より系統だった研究が今後の展開に不可欠である事を示してきた。また、2015A 及び 2015B 期には 2 µm まで集光した XFEL と 100 µm に集光したポンプ光による trHAXPES 実験にも成功している[6,7]。
これまでの実験で観察された空間電荷効果によるスペクトル変化は、N-body 数値シミュレーションで良く説明できる。特に集光 XFEL による時間分解測定では、非集光 XFEL による実験では見られなかった特異な時間依存性を示しており、光誘起キャリアによる時間依存性を考慮すると観察結果を良く説明できることを提示している[7]。光誘起キャリアの緩和過程は物質によって異なるため、現象の理解を深めるには更なるデータの蓄積とシミュレーションコードの拡充が不可欠である。空間電荷効果の総合的な理解とシミュレーションの拡充には HAXPES のみならず SXPES によるデータの蓄積もなされるべきものである。
SACLA からの SXFEL が利用可能になった今、我々が確立した trHAXPES の手法を軟X線領域の trSXPES として適用し、価電子帯近傍の電子状態が関わる超高速過程の観察実現のための基礎研究を目指すのが本研究の目的である。このエネルギー領域での trPES は独 DESY の FLASH で既に行われている[8]が、本研究のように空間電荷そのものを観察する実験は trPES 立ち上げ最初期に行われただけである。最近の FLASH での実験は、高繰り返し FEL をモノクロメータに通し、プローブ光及びポンプ光の強度も絞って、空間電荷効果を極力抑えた測定がなされている。本研究のように、パルス当たりのエネルギーをフルに観察対象の固体試料に投入し、空間電荷効果によるスペクトルの歪曲について理解を深めるための実験は今後の trSXPES 実験の普及には重要不可欠である。
実験:
光電子分光装置は半球型の静電アナライザーを擁する超高真空対応の装置であり、アナライザーによりエネルギー分析された光電子を CCD 検出器にて計測するものである。先の SACLA-BL2, BL3 での実験[3-7]に使用した装置をそのまま利用している。図1に SACLA-BL1 のレーザーブースに設置した光電子分光装置の写真を示す。今回の実験では、試料として代表的な固体物質である金属及び半導体のチップ、そして応用実験として価数揺動系 Yb 化合物の3種類を用意した。本稿では GaAs 半導体チップに対する測定結果について報告する。実験では、GaAs 半導体チップを試料ホルダーに立てて固着し、真空中で破断して得られた清浄表面を標的とした。光電子分光測定では GaAs 中の As 3d 軌道からの光電子スペクトルを運動エネルギースイープモードにより観察している。
図1.SACLA-BL1 のレーザーブース内に設置
された光電子分光装置。右側が上流。
今回の SACLA-BL1 での実験では、基本波が 85 eV となるような運転条件で加速器が調整され、主に3次光の 255 eV の SXFEL ピンクビームをプローブ光として利用した。繰り返し周波数は 60 Hz で、平均パルスエネルギーは 4 µJ/pulse 程度 (減衰前) であった。実験装置の直上流でKBミラーにより 10 µmϕ 程度に SXFEL ピンクビームを集光し、100 µmϕ 以下のビーム径に集光した光学レーザー (800 nm) をポンプ光として使用している。XFEL による実験の場合と同様、空間電荷効果による光電子スペクトルのピークシフトや幅の増大を調べるため、プローブ光強度依存性、ポンプ光強度依存性、ポンプ・プローブ間遅延時間依存性の観察を行った。
プローブ光強度依存性の観察では、プローブ光強度は BL1 の上流部に設置されたメタルフィルターとガスアッテネータを併用して調整した。メタルフィルターとして 0.2 µm 厚の Al 薄膜フィルターを使用し、ガスアッテネータ (長さ 2.6 m) では N2 充填ガスの圧力を変えることで更にプローブ光強度を調製した。光電子スペクトルの測定には、3次光の 255 eV の SXFEL ピンクビームをプローブ光としたが、空間電荷効果の主な要因となるのは1次光の 85 eV の SXFEL ピンクビームに起因する光電子・二次電子と考えられため、空間電荷効果のプローブ光強度依存性を調べるに当たっては、図2に示すようなガスアッテネータ中の1次光と3次光の透過能の違いを利用してプローブ光強度を調整している。図2から明らかなように、数十 Pa のガス圧で1次光と3次光の透過率が劇的に変化することが分かる。次にプローブ光に同期したポンプ光を同時に標的に導入し、プローブ光強度を一定に保った状態で、ポンプ光強度を ND フィルターにより変えながら光電子スペクトルのポンプ光による空間電荷効果を観察した。最後に、プローブ光、ポンプ光をそれぞれ適当な強度に保ち、光学ディレイステージにより両者の間の遅延時間を変えながら trSXPES による光電子スペクトルの測定を行った。
図2.ガスアッテネータ中での 85 eV (1次光)と 255 eV (3次光) の透過率のガス圧依存性。
結果および考察:
1) プローブ光およびポンプ光強度依存性
図3に GaAs 標的からの As 3d 領域の光電子スペクトルのプローブ光 (図3左) 及びポンプ光強度依存性 (図3右) を示す。プローブ光強度依存性の測定では、0.2 µm 厚の Al 薄膜フィルターと 99 Pa の N2 ガスアッテネータの併用で減衰させたプローブ光での測定結果を参照スペクトル(Ref. Spec.)とした。その条件よりガスアッテネータの N2 圧力を 40~90 Pa の範囲で変化させている。図2から分かるように、このガス圧変化によりプローブ光の3次光強度をそれ程損なうことなく1次光の強度を4桁も変化させている。図3左が示すように、ガス圧が低くなるに従って、つまり空間電荷効果が大きくなるに従って、As 3d 光電子ピークがより高エネルギー側にピークシフトしている。これは試料表面付近に大量に放出された低速電子群との相互作用により加速されたためと考えられる。
図3.As 3d 光電子ピークシフトのプローブ光強度依存性 (左)とポンプ光強度依存性 (右)。
ポンプ光強度依存性の測定では、同じく 0.2 µm 厚の Al 薄膜フィルターと 99 Pa の N2 ガスアッテネータでの測定条件をポンプ光 OFF 時の Ref. Spec. とした。その条件に加え、高速フォトダイオードで同期を確認したポンプ光を同時照射し、そのポンプ光強度を ND フィルターで変えながら計測した結果が図3右である。ポンプ光強度が上がるに従って多光子励起による低速光電子が大量に試料表面に誘起されることによって、空間電荷効果による As 3d 光電子ピークの高エネルギー側へのシフトが見られる。
2) ポンプ・プローブ間遅延時間依存性
前項のポンプ光強度依存性測定の際のポンプ光強度 352.4 µJ を基準とし、光学ディレイステージの調整により、ポンプ・プローブ間の遅延時間を -500~+900 ps の範囲で変えながら As 3d 光電子ピークのシフト量を観察した結果を図4に示す。ピークシフト量は図3右の Ref. Spec. (OFF)に対するシフト量である。灰色で示したシンボルが各遅延時間における測定値で、黒い折れ線がスムージングしたものである。全体的に右肩上がりのバックグラウンドに載っているようにも見えるが、遅延時間 0 ps 付近にシフト量の最大値がある事が容易に分かる。このピークシフトは、前項で見られたシフトと同様、ポンプ光起因の低速電子群とのクーロン相互作用の結果現れるものである。マイナス遅延時間側にも大きな効果として現れるのが空間電荷効果の主な特徴である。遅延時間 0 ps で極大値を見せるのは、低速電子群の密度が高いことに由来すると考えられる。時間を経るごとに低速電子群の空間分布が爆発的に広がるため、そして先行する As 3d 光電子と低速電子群との距離も離れるため空間電荷効果は弱まり、その結果としてピークシフト量が時間と共に減っていく。遅延時間依存性において、何故全体的にマイナス側で右肩上がりになるのかは今回の結果からは分かっていない。
図4.As 3d 光電子ピークシフトのポンプ・プローブ間の遅延時間依存性。
今後の課題:
今回の実験を通して、SXFEL ピンクビームによる trSXPES における空間電荷効果を観察した。得られた結果はこれまでに行ってきた trHAXPES の結果から想定される範囲内のものであった。決して実験的に成功したと言えるような内容のものではなかった。一つの要因は分光器を通さないピンクビームであったこと、光電子の運動エネルギーが低かったことなどが挙げられよう。
ここで報告した実験の後より、よりシンプルな系として、気相の希ガスや多原子分子を標的とした trSXPES 実験を展開している[9]。そこでは空間電荷効果がよりクリアに見えており、N-Body 数値シミュレーションによるモデル計算も行われていて一定の成果を挙げている[10]。この気相標的での実験&解析手法を確立した後、改めて固体標的を用いた研究に着手したいと考えている。
参考文献:
[1] J. C. Woicik (ed), Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy (HAXPES) (2016, Switzerland : Springer International Publishing).
[2] S. Owada et al., J. Synchrotron Rad. 25, 282-288 (2018).
[3] M. Oura et al., J. Synchrotron Rad. 21, 183-192 (2014).
[4] L.-P. Oloff et al., New J. Phys. 16, 123045 (2014).
[5] M. Oura et al., Trans. Mat. Res. Soc. Japan 39, 469-473 (2014).
[6] 大浦正樹、他, 放射光 29, 14-22 (2016).
[7] L.-P. Oloff et al., Sci. Rep. 6, 35087 (2016).
[8] S. Hellmann et al., New J. Phys. 14, 013062 (2012).
[9] 大浦正樹、他, SACLA利用研究課題 2017A8070 & 2017B8021
[10] A. Verna et al., to be submitted.
(Received: March 30, 2020; Early edition: May 27, 2020; Accepted: July 6, 2020; Published: August 21, 2020)