SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume8 No.2

SPring-8 Section A: Scientific Research Report

磁気閉回路を用いた残留磁化を有するバルク磁石の 硬X線光電子分光計測技術の開発
Development of Measurement Technique for Bulk Magnet with Residual Magnetization using Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy

DOI:10.18957/rr.8.2.223
2014A1015, 2014B1013, 2015A2019 / BL47XU, BL09XU

保井 晃a,b 池永 英司a, 上野 若菜a,b, 辻 成希a, 小谷 佳範a, 広沢 哲b, 中村 哲也a,b

Akira Yasuia,b, Eiji Ikenagaa, Wakana Uenoa,b, Naruki Tsujia, Yoshinori Kotania, Satoshi Hirosawab, and Tetsuya Nakamuraa,b

a(公財)高輝度光科学研究センター, bESICMM/(国研)物質・材料研究機構

aJASRI, bESICMM/NIMS

Abstract

 硬X線光電子分光(HAXPES)を用いて、1 T 以上の残留磁化を有する着磁済み Nd-Fe-B 焼結磁石の破断面からの光電子信号の取得に成功した。バルク強磁性体の光電子計測は、残留磁化が発する漏洩磁場により光電子の飛行軌道が偏向を受け計測自体が困難であることから、積極的に行われてこなかった。我々はリング型の純鉄ヨークを用いることにより、磁石試料からの漏洩磁場を大幅に抑制した。本研究で得られた計測技術は HAXPES 計測における対象試料を拡大する。特に、HAXPES スペクトルの磁気円二色性(MCD-HAXPES)を利用した研究の利用拡大に寄与し、スピントロニクス材料の埋もれた界面の磁化状態解析への適用など、幅広い波及効果を生むことが期待される。


Keywords:硬X線光電子分光、バルク強磁性体


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背景と研究目的:

 光電子分光は基礎物性のみならず、応用材料開発の電子状態研究において、必要不可欠な解析ツールとなっている[1,2]。特に、硬X線領域の入射光を用いる硬X線光電子分光(HAXPES)における特徴的な検出深さ(λ)は数十 nm と、従来の真空紫外から軟X線領域の光電子分光と比べ十倍程度の検出深さを持つことから、試料本来の物性を調べることが可能である[3-7]。さらに、入射光に円偏光X線を用いることにより、吸収スペクトル同様に HAXPES スペクトルに磁気円二色性(MCD)が現れる[8]。この MCD-HAXPES は、上記特徴から埋もれた界面の電子・磁性状態を詳細に解析できるという特徴を持つ[9,10]。

 しかしながら、この MCD-HAXPES 計測でも磁性材料への展開はあまり進んでいないのが現状である。その最大の理由が、光電子が磁場から影響を受けやすいことにある。したがって、HAXPES における磁性材料研究は、全磁化が小さく、漏洩磁場の発生もわずかな薄膜試料に限定されてきた[9-12]。また、X線を用いた磁性材料中の磁性状態解析で重要なことは、X線照射領域の磁化分布を均一にすることである。その解析結果はビーム照射領域の平均情報を与えるためである。通常、X線吸収 MCD 計測などでは、試料に磁場を印加し試料中の磁化強度を一定にすることが行われるが、光電子分光ではそれが難しい。光電子の飛行軌道は磁場によりローレンツ力を受け大きく偏向され、計測自体が困難になるためである。この問題の解決のヒントとして、Yamaguchi らによる着磁済みの Nd-Fe-B 磁石試料の光電子顕微鏡(PEEM)計測例がある[13]。彼らは、残留磁化約 1.2 T を有する磁石試料を C 型の純鉄ヨークに挟んで閉磁路を作り、漏洩磁場の発生を防ぐことで表面磁区構造を調べることに成功した。この方法は、同じ光電子検出である HAXPES 計測においても適用可能と考えられる。本研究では、同様の C 型純鉄ヨークを用いた Nd-Fe-B 焼結磁石の HAXPES 計測を行うことで、幅広いバルク強磁性物質に対する HAXPES 計測技術を確立することを目指した。本手法の確立は、測定対象が薄膜試料に限定されている MCD-HAXPES の現状を打破することが期待できる。また、現在開発中の磁場印加条件下での HAXPES 計測においても本手法の確立が必要である。

 

実験:

 試料には、1020℃ で焼結され、保磁力の最適化のため 540℃ で2時間アニールされた Nd14.0Fe79.7Cu0.1B6.2 (at.%) 磁石を用いた。その磁気ヒステリシス曲線から、残留磁化は約 1.4 T、保磁力は約 1.0 T である。本試料は以前、我々が軟X線・硬X線吸収 MCD 計測[14-16]で使用した試料と同じインゴットから切り出したものである。清浄表面での計測を行うために、超高真空チャンバー (P~7.0 × 10-7 Pa) 内で試料を破断した。破断面は、Nd-Fe-B 焼結磁石の磁化方向を決定する、磁石中の Nd2Fe14B 主相結晶粒の c 軸と平行な面である。破断後の試料の大きさはおおよそ 2 × 2 × 2 mm3 である(図1(a))。破断面の酸化を防ぐために、破断を行った超高真空チャンバー内で破断直後に逆スパッタリングにより、試料表面に Ru キャップを 3 nm 付加した。磁石中の磁化を飽和させるために、8 T のパルスマグネットを用いて試料を容易磁化軸( // Nd2Fe14B 結晶粒の c 軸)方向に着磁した。容易磁化軸と直交する面(以後、c 面と呼ぶ)での表面磁束密度は約 150 mT であり、HAXPES 計測を行う破断面表面から 2 mm 離れた位置での漏洩磁束密度は約 30 mT であった。その漏洩磁場を低減するために、試料と純鉄ヨークでリング型閉回路を図1(b)のように作成した。このとき、c 面を磁極と対面させてセットした。これにより、上記と同じ位置において漏洩磁場を約 3 mT まで低減することに成功した。

 

      

図1.(a)実験に用いた着磁済みNd-Fe-B焼結磁石試料。(b) (a)の磁石試料をC型純鉄ヨークで挟み磁気閉回路を形成した。

 

 MCD-HAXPES 計測は SPring-8 BL47XU の HAXPES 装置を用いて行った[5,6]。試料に対して、Kirkpatrick-Baez(K-B)ミラーを用いて 7.94 keV の硬X線ビームを集光し、試料に照射した。その時の集光サイズは約 1 µm (Verticcal; V) × 3 µm (Horizontal; H)であった。試料表面に対して、30° 方向から硬X線マイクロビームを照射した。このセッティングでは、試料上のビームフットプリントは約 1 µm (V) × 5 µm (H)となる。すべての計測は室温で行い、全エネルギー分解能は約 300 meV である。

 

結果および考察:

 図2は残留磁化を有する Nd-Fe-B 焼結磁石の広エネルギー範囲での HAXPES スペクトルである。赤線は磁気ヨークにより漏洩磁場遮蔽を行った磁石試料のスペクトルである。一方、黒線はヨークを用いずに計測したときのものである。このスペクトルは、BL09XU の HAXPES 装置で、5 µm (V) × 13 µm (H)の集光ビームを試料表面に対し 1° の角度で入射させて計測した。ヨークを用いずに計測した試料では光電子検出強度が非常に小さい。これは、試料表面での漏洩磁場が約 30 mT と非常に大きく、その影響で光電子軌道が偏向を受けたためである。実際、21 V の補正電位を光電子アナライザーの偏向レンズに印加し、強制的に光電子軌道を振り戻すと光電子強度が回復した(青線)。一方、ヨークを用いて漏洩磁場の遮蔽を行うと、クリアなピーク構造とともに、全エネルギーに渡って十分な光電子信号強度が得られた。つまり、磁気閉回路は漏洩磁場の遮蔽に極めて有効であり、PEEM の先行研究同様に HAXPES においても大きな残留磁化を持った永久磁石の計測を可能にすることが分かった。ここで、補正電位を用いて得たスペクトルと、ヨークを用いて得たものとで、S/N を比較することはできないことを補足しておく。補正電位を用いた結果は、上述の通り、BL09XU でかつ、極斜入射配置での計測であり、光電子捕集効率がヨークを用いて得たものと比べ2桁以上大きい。本研究では補正電位を印加することで光電子観測が可能であったが、それは光電子が磁場による偏向を受けつつも、アナライザーまで光電子が到達できたためである。より大きな漏洩磁場条件では、光電子がアナライザーに到達することができない可能性がある。したがって、磁性材料の計測では、光電子に対する漏洩磁場の影響を可能な限り抑制することが重要である。本研究により、ヨークがその抑制に効果があることが実証された。

 

      

図2.着磁済み Nd-Fe-B 焼結磁石のHAXPESサーベイスペクトル。スペクトルには、磁石の構成元素、Ru キャップ、コンタミの酸素、炭素が検出されている。

 

 得られた光電子スペクトルは、Nd-Fe-B 焼結磁石試料の構成元素に対応するピークが見られる。例えば、束縛エネルギー BE=981.3 eV と 1004.0 eV にスピン軌道(SO)分裂した Nd 3d 軌道が、BE=706.9 eV と 720.1 eV に同じく SO 分裂した Fe 2p 軌道が観測されている。また、酸化防止のために塗布した Ru キャップに由来するピーク(例えば、BE~470 eV)、コンタミの酸素(BE~540 eV)、炭素(BE~264 eV)のピークも観測されている。ピーク位置は、赤、青のスペクトルともに文献値をほぼ同じであることから、ヨークを用いた漏洩磁場遮蔽、および、アナライザー偏向レンズへの電位印加による光電子軌道補正を用いてもピークエネルギーがずれることは無いことが確認できた。現在、外部磁場印加下の HAXPES 計測実現に向けた開発を行っており、その重要な知見となった。

 我々は 7.94 keV の高いエネルギーの硬X線ビームを用いて、1 T 以上の残留磁化を有する着磁済み永久磁石の HAXPES スペクトルの取得に成功した。この計測の成功は、HAXPES における光電子の運動エネルギーが高いという特徴を活用したことによるものと考える。本実験に際して、図1(b)の試料セットアップを走査型電子顕微鏡(SEM)装置に入れ、磁石表面の反射電子像を得た。図3(a)に示すように、8 kV の加速電圧を用いた像では綺麗な Nd-Fe-B 焼結磁石の微細組織が観測されたのに対し、図3(b)の 2 kV の加速電圧では像が大きく歪むことが分かった。このように、低エネルギーの軟X線領域では磁場の影響を受けやすく、軟X線 PES で本研究同様の計測を実現するには漏洩磁場の発生について、より多くの対策が必要になる。簡単のために漏洩磁場が場所によらず、3 mT である場合、漏洩磁場中の電子はサイクロトロン運動を行う。8 keV の硬X線励起の場合のサイクロトロン半径は約 101 mm であるが、500 eV 励起の SXPES の場合はその 1/4 の約 25 mm となる。多くの光電子アナライザーのワーキングディスタンスは 40 mm 以上であり、SXPES ではアナライザーレンズ系まで光電子が到達すらできないことになる。現実には、漏洩磁場は磁石試料表面から離れるにしたがって減少していくため、表面付近では漏洩磁場は 3 mT よりも大きい。したがって、光電子検出には漏洩磁場が強い領域において軌道の偏向を抑制するために光電子の高い運動エネルギーが必要である。アナライザーレンズ系まで光電子が到達できれば、図2に示したとおり、比較的小さい電位をレンズ部に印加することで光電子捕集強度を上げることが可能である。また、SXPES で同様の計測を行うには漏洩磁場の大きさを 1/4 以下の 1 mT 以下に抑えればよいが、それは容易でない。HAXPES を用いれば C 型ヨークに試料を挟むだけで、比較的簡単に磁性材料の計測を行うことが可能である。

 

      

図3.着磁済み Nd-Fe-B 焼結磁石破断面の SEM 反射電子像。どちらの結果取得にも HAXPES 計測で用いた純鉄ヨークを用いている。加速電圧 2 kV の結果では入射電子、および、反射電子が漏洩磁場の影響を受け、像が大きく歪んでいる。

 

結論と今後の展望:

 我々は、HAXPES の高い光電子運動エネルギーという特徴と純鉄ヨークによる漏洩磁場遮蔽を組み合わせることで、着磁済み Nd-Fe-B 焼結磁石の HAXPES 計測に成功した。得られたスペクトルは、全エネルギーに渡って十分な強度、エネルギー分解能を有しており、純鉄のリング型ヨークによる磁気閉回路が、光電子への漏洩磁場の影響低減に対して有効に機能したことを示している。

 本手法は、これまで測定対象が大きく限定されてきた、MCD-HAXPES 計測の利用拡大に繋がる。特に、本手法を応用した磁場印加条件下での MCD-HAXPES 計測は実用スピントロニクス材料研究への利用が期待できる。MCD-HAXPES 計測と角度分解計測を組み合わせることで、材料表面約数十 nm までの磁気モーメントの深さ分布を得ることができる。同様の計測手法として、X線吸収の角度分解計測がある。それぞれのλは、軟X線を用いてオージェ電子検出法で数 nm[17]、蛍光を検出する方法では数百 nm [18,19]、硬X線を用いた蛍光法では数 μm である[20]。実用スピントロニクス材料は集積化のために 20 nm 以下のサイズを持つものが主流であり、機能層の総膜厚も同程度である。したがって、MCD-HAXPES 計測はこのような実用スピントロニクス材料の解析スケールに最も適していると考える。一方で、これらの計測手法を組み合わせることで、幅広い磁性材料のマルチスケールの磁化分布解析が可能になる。

 

謝辞:

 Nd-Fe-B 焼結磁石試料のご提供いただきました日立金属株式会社の西内武司氏に感謝申し上げます。本研究の一部は、JSPS 科研費(15K17496)の助成、さらに、文部科学省元素戦略磁性材料研究拠点(課題番号12016013)の助成を受け実施されました。

 

参考文献:

[1] S. Hüfner, Photoelectron Spectroscopy, Springer, Berlin-Hidelberg, 1995.

[2] K. Nomura et al., Appl. Phys. Lett. 92, 202117 (2008).

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[6] E. Ikenaga et al., Sync. Rad. News 31, 10 (2018).

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[13] R. Yamaguchi et al., IBM J. Res. Dev. 55, 12 (2011).

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[15] A. Yasui et al., J. Appl. Phys. 117, 17B313 (2015).

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[17] K. Amemiya et al., Appl. Phys. Lett. 84, 936 (2004).

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[20] M. Suzuki et al., SPring-8/SACLA利用研究成果集 7, 96 (2018).

 

 

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(Received: September 26, 2019; Early edition: January 29, 2020; Accepted: July 6, 2020; Published: August 21, 2020)