SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume7 No.2

水溶液の時間分解硬X線分光の開拓と光触媒への応用
Development of Time-Resolved Hard X-ray Spectroscopy of Aqueous Solutions and Application to Photocatalysts

DOI:10.18957/rr.7.2.332
2016A8061 / BL3

倉橋 直也a, Stephan Thuermera, 唐島 秀太郎a, 山本 遙一a, 片山 哲夫b, 犬伏 雄一b, 小原 祐樹c, 三沢 和彦c, 鈴木 俊法a,d

Naoya Kurahashia, Stephan Thuermera, Shutaro Karashimaa, Yo-ichi Yamamotoa, Tetsuo Katayamab, Yuichi Inubushib, Yuki Obarac, Kazuhiko Misawac, and Toshinori Suzukia,d

a京都大学大学院理学研究科, b(公財)高輝度光科学研究センター, c東京農工大工学府, d(国研)理化学研究所

aKyoto University, bJASRI, cTokyo University of Agriculture and Technology, dRIKEN

Abstract

 時間分解X線発光分光(TRXES)の立ち上げ、さらに将来の時間分解共鳴インパルシブX線散乱(TRRIXS)への発展を目論み、無機化合物水溶液の TRXES を試みた。試料は、シュウ酸鉄錯体(Fe(III)Ox3)である。この錯体に関しては、既にSACLAにおいて時間分解X線吸収分光(TRXAS)に成功している。紫外同期レーザー(268 nm)を用いて、Fe(III)Ox3 の配位子から金属への電荷移動(LMCT)を誘起し、その後の化学反応をリアルタイム追跡することを目的とした。試料はシュウ酸鉄錯体アンモニウム塩の 0.2 M 水溶液で、液体は直径 25 µm の層流である。X線の発光分光には、von Hamos 型の分光器を用いた。


Keywords: 時間分解発光分光、溶液、シュウ酸鉄錯体


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背景と研究目的:

 本実験は、SACLAとフェムト秒紫外レーザーを同期し、溶液試料を標的とした時間分解光電子分光を実現することを目的とした。試料は、京大グループが深紫外ポンプ・深紫外プローブによる紫外時間分解光電子分光測定を行ってきたヨウ化ナトリウム(NaI)水溶液である。動力学的な知見や実験のノウハウが蓄積されている点が利点である。ヨウ化物イオンの電子移動反応はフェムト秒からピコ秒で完了するため、自由電子レーザーの短パルス特性を生かすことができる。

 

実験:

 XES装置の開発は、高輝度光科学研究センター(JASRI)が中心となり、SACLAでの実験は京都大学と東京農工大学が主に行った。湾曲させた分光結晶を利用する von Hamos 型の発光分光器を構築し、SPring-8 BL29XUにおいて設計通りの分解能や感度が得られることを確認した上で、SACLAでの実験を行った。図1は von Hamos 型の発光分光器の配置図とSACLAのハッチに設置された際の XES 装置の外観である。実験では、7.30 keV のX線を用いてシュウ酸鉄(III)錯体中の鉄の 1s 電子をイオン化し、2p あるいは 3p から 1s の空孔への電子遷移に対応する Kα、Kβ の発光を観測した。単色化していないSACLAのX線パルス(Pink beam)は 300 μJ/pulse の強度を有し、バンド幅は 35 eV である。一方単色化されたX線パルスは、5 μJ/pulse の強度とバンド幅 1 eV であった。紫外光を入れない状態で測定した試料分子の信号強度は、Kα のピークで 0.5 photon/shot 程度であり、9分間の積算で S/N が400程度のスペクトルが観測できた。Kβ の強度は Kα の1/5程度であった。単色のX線パルスを用いても S/N が100を超えるスペクトルが得られることが分かり、今後は共鳴 X 線非弾性散乱(RIXS)の実験も可能であることが判明した。エネルギー分解能は、Kα および Kβ に関して 230 - 240 meV 程度であった。

図1:von Hamos 型の発光分光器の配置図とSACLAのハッチ内部に設置された XES 装置の外観。写真の左側の黒いカーテンの側から紫外光とX線が入射し、He 気体が充填された箱の中にある液体を励起する。その発光を MPCCD1 と MPCCD2で 観測する

 

結果および考察:

 Pink beam を用いた過渡発光分光では、図2のスペクトルが得られた。この図では、ポンプ光を入射しない場合の発光スペクトル、ポンプ−プローブの遅延時間が負のスペクトル、正のスペクトル(+100 ps および+300 ps)を Kα と Kβ それぞれについて示しているが、ポンプ光による変化が極めて小さいことがわかる。さらに、ポンプ光を入射しない場合との差スペクトルが図3である。ここで、(a)はX線を紫外光よりも先に試料に当てた場合であり、本来は差スペクトルがゼロになるべきだが若干の信号が現れている。一方、(c)のスペクトルは Kα と Kβ の両方で差が生じている。しかし、(c)においても差スペクトルの絶対値は依然として小さく、100 ps 以上の非常に長い時間で起こっている過程であることから二次的な化学反応による影響も除外できない。そのため、この結果はさらなる検証が必要と判断した。単色ビームの結果も図4に示す。

図2:鉄オキサレート錯体(0.2 M 水溶液)の時間分解X線発光スペクトルの例:Kα(左)およびKβ(右)発光スペクトルを示す。268 nm の紫外励起光を照射しない場合(赤)、負の遅延時間の場合(緑)、遅延時間+100 ps(青)、+300 ps(黒)を重ねて示す。発光スペクトルの S/N 比は十分に高いが、紫外光励起による変化が非常に小さい。

図3:鉄オキサレート錯体(0.2 M 水溶液)の時間分解X線発光の差スペクトルの例:図2のデータを元に、ポンプ−プローブ法で得られたスペクトルから紫外ポンプ光を照射しない場合のスペクトルを差し引いたもの。ポンプ光による影響が若干現れていることが分かる。

図4:鉄オキサレート錯体(0.2 M 水溶液)の単色ビームのX線発光のスペクトルの例。強度は Pink beam に比べて 1/60 だが、発光分光器の分光結晶のうち1つだけを用いて、2時間以内に十分な S/N のスペクトルが得られる。分光結晶を倍増すれば測定時間は数十分程度まで短縮できる。

 

今後の課題:

 上記の XES の実験条件が妥当なものであることを確認する意味で、単色化されたX線を用いた時間分解 XAFS をも行ったところ、以前の我々の実験と同様のデータが得られた。すなわち、我々の予想通り XES は XAFS よりも難易度が高い実験である。発光の絶対強度は十分であるが、ポンプ光による十分なスペクトル差が検出できない点が課題である。紫外ポンプ光の強度は、最大 150 μJ/pulse であり決して弱いとは言えない。むしろ、実験上の問題点がいくつか見られた。例えば、従前から指摘されている紫外光のポインティングの不安定性が依然として実験を困難にした。ポインティングが不安定であることから、紫外光発生に用いる結晶を厚くしてパルスエネルギーを確保する必要があり、結果的に紫外光のパルス幅が長くなり高い時間分解能が期待できなかった。また、紫外光強度を 190 μJ 程度まであげても、試料による紫外吸収が飽和しなかったことから、試料に当たっている紫外光の強度が数値データの 1/10 以下である可能性も否定できない。この点は不可解であった。こうした実験面での不具合の精査と改善策の策定が必須だが、本実験は TRXES を行う地歩を固められたと考えられ、一定の成果を上げることができたと判断される。

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(Received: April 1, 2019; Early edition: May 9, 2019; Accepted: July 16, 2019; Published: August 29, 2019)