SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume7 No.2

水溶液の時間分解硬X線光電子分光の開拓と光化学反応への応用
Development of Time-Resolved Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy of Aqueous Solutions and Application to Photochemical Reactions

DOI:10.18957/rr.7.2.328
2015B8060 / BL3

倉橋 直也a, Stephan Thuermera, 唐島 秀太郎a, 山本 遙一a, 小原 祐樹b, 片山 哲夫c, 犬伏 雄一c, 三沢 和彦b, 鈴木 俊法a,d

Naoya Kurahashia, Stephan Thuermera, Shutaro Karashimaa, Yo-ichi Yamamotoa, Yuki Obarab, Tetsuo Katayamac, Yuichi Inubushic, Kazuhiko Misawab, and Toshinori Suzukia,d

a京都大学, b東京農工大学, c高輝度光科学研究センター, d理化学研究所

aKyoto University, bTokyo University of Agriculture and Technology, cJASRI, dRIKEN

Abstract

 水溶液中におけるヨウ化物イオンから水への電子移動反応による水和電子の生成と、電子−ヨウ素原子間の再結合過程を解明する目的で、深紫外レーザーと自由電子レーザーを同期したヨウ化ナトリウム水溶液の時間分解光電子分光を行った。装置のエネルギー分解能は概ね計算通りであることが確認された。深紫外光の照射によって、ヨウ素 2p 軌道由来の光電子運動エネルギーがシフトし、遅延時間 150 ps まで回復しない様子が観測された。これは水和電子とヨウ素原子の再結合が 150 ps まで起こらないことを意味し、我々の予想に反する結果であった。


Keywords: 時間分解光電子分光、溶液、ヨウ化ナトリウム


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背景と研究目的:

 本実験は、SACLAとフェムト秒紫外レーザーを同期し、溶液試料を標的とした時間分解光電子分光を実現することを目的とした。試料は、京大グループが深紫外ポンプ・深紫外プローブによる紫外時間分解光電子分光測定を行ってきたヨウ化ナトリウム(NaI)水溶液である。動力学的な知見や実験のノウハウが蓄積されている点が利点である。ヨウ化物イオンの電子移動反応はフェムト秒からピコ秒で完了するため、自由電子レーザーの短パルス特性を生かすことができる。

 

実験:

 液体試料の光電子分光装置は、京大―理研化学反応研究室グループが設計製作した減速電極付き磁気ボトル飛行時間型エネルギー分析装置(Fig. 1)であり、これをビームラインに搬入して使用した。この装置は試料から生じた光電子を磁場によって捕集することで高い検出効率を実現している。また、減速電極によって二次電子によるバックグラウンドの抑制と高いエネルギー分解能を達成している。光電子検出器は2014A期の実験で問題となった、同期レーザーからの迷光の影響を抑えるために、信号検出の不感時間を設定できるゲート機能を備えたものを新規開発した。この光電子分光装置は、SACLAでの実験に先立ってSPring-8 BL29XUビームラインで試験され、期待された性能を満足することが確認されている。濃度 500 mM の NaI 水溶液を HPLC ポンプで加圧し、直径 15 µm の連続流として真空チャンバー内に導入し、200 nm の紫外光パルスを液体流に照射することによって、ヨウ化物イオン(I-)から水への電子移動反応を誘起した。その後、SACLAの硬X線を用いてヨウ素のL吸収端の光電子スペクトルを測定した。実験は光子エネルギー 5.5 keV、30 Hz 繰り返しとし、溶液の測定ではシリコンアッテネータを用いてパルスエネルギーを 0.1 µJ 程度に弱めて測定した。

図1.メインチェンバーと磁気ボトル飛行時間型エネルギー分析装置

 

結果および考察:

 最初にSACLAからの硬X線と同期レーザーの紫外光の両方をセリウムドープ YAG ロッドに照射し、実験装置に設置した CCD カメラからの映像で蛍光信号を確認しながら位置合わせを行った。次に、アルゴンガスによる光電子測定を行い、LMM-オージェ電子の信号強度を最大化することで条件を最適化した。さらに、試料をキセノンガスに変更して光電子測定を行い、減速電極の電圧を系統的に変化させながら光電子の飛行時間を測定して、光電子運動エネルギー(PKE)の校正とエネルギー分解能の測定を行った(Fig. 2)。

図2.分光装置のエネルギー分解能。十字の点はキセノンガスの測定で得られた値。青い点はイオン光学設計ソフトSIMIONの計算結果。赤い線はエネルギー変換式から計算した理想の分解能

 

 装置のエネルギー分解能は計算結果と概ね一致した。気相の測定によって最適条件を求めた上で、NaI 水溶液を導入し、SACLAのX線のみを照射してヨウ素(2p3/2)由来の光電子を観測した。次に 200 nm の紫外パルス光を入射し、紫外パルスとSACLAの間の遅延時間を変化させながらヨウ素の光電子信号を観測した。検出器のゲート機能によって 200 nm の迷光による信号は観測されなかった。ヨウ素(2p3/2)由来の光電子運動エネルギーは、遅延時間 1 ps で約 1 eV 低下し、その後 30 ps 程度でさらに 1.5 eV 低下した。その後、遅延時間 150 ps でも回復しなかった(Fig 3, 4)。

    

図3.濃度 500 mM/L の NaI 水溶液の 2p3/2 (L3)光電子スペクトル。光子エネルギーは 5.5 keV。ヨウ素由来の信号と思われる領域を色つきで表示し、エネルギーの中心を矢印で表した。黒が紫外パルスを照射していない時のスペクトル。紫がFEL照射後に紫外パルスを照射した場合(負の遅延時間)で、青から赤が紫外パルス照射後にFELを照射した場合のスペクトルである。遅延時間 1 ps からエネルギーシフトが見られ、156 ps 後でも回復していないことがわかる。

  

図4.遅延時間によるヨウ素 2p3/2 由来の光電子運動エネルギーの変化。点線は紫外パルスを照射していないときのエネルギー。

 

 先に京大グループがラボで行った紫外時間分解光電子分光実験では、水への電子移動反応により生成した水和電子の 80 %はヨウ素原子と再結合すると結論されていた。しかし、本研究ではヨウ化物イオンの光電子信号は遅延時間 150 ps まで回復せず、ヨウ素原子と電子の再結合の割合が小さいことが示唆された。また、電子を放出したあとヨウ素の電子状態が 30 ps 程度かけて変化しているが、これはヨウ素の価数変化に伴う水和構造の変化を観測した可能性がある。

 

今後の課題:

 今回の実験では、ポンプ-プローブ信号を強調するために 200 nm レーザーのパルスエネルギーを 5 µJ として測定した。しかしこの条件ではヨウ化物イオンや溶媒分子の多光子イオン化が起こる恐れがあり、反応過程が先行研究と異なる可能性がある。また、紫外光の照射後に液体が加熱され、液面から原子や分子が脱離している可能性もある。よって、実験室での追加実験によってこれらの点を確認する必要がある。また、SACRAの光電子分光では、SPring-8における予備実験では見られなかったゴーストピークが多数出現し、解析およびデータの解釈に困難をきたした。これは、SACLAの高強度パルスによって高エネルギーの光電子が多数生成され、チャンバー内部で二次電子を生成したためと考えられる。さらなるSACLAでの測定に備え、実験装置内部での電子の軌跡を計算によって再確認し、必要に応じて装置を改良したい。

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(Received: March 5, 2019; Early edition: April 10, 2019; Accepted: July 16, 2019; Published: August 29, 2019)