Volume7 No.2
SPring-8 Section B: Industrial Application Report
マイクロビームX線散乱法を用いたヒト皮膚角層構造の深さ方向解析II
The Depth Direction Structural Analysis of Human Stratum Corneum Using Microbeam X-ray Scattering: Part II
a花王株式会社, b(公財)高輝度光科学研究センター, c(公財)名古屋産業科学研究所
aKao Corporation, bJASRI, cNISRI
- Abstract
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以前のX線散乱法を用いた皮膚角層の構造解析では、最外層である角層のみのシートを用いて、角層の集合体からの平均情報を取り扱っていた。我々は in situ に近い条件での角層の深さ方向の構造解析法として、角層以下の表皮、真皮等も含むヒト皮膚シートを用いてマイクロビームX線をスキャンしていく方法で皮膚上の角層からの小角・広角散乱像を得ることに成功した。これにより角層内部の深さ方向の構造変化を解析することで、皮膚への剤の作用、浸透効果等の詳細な知見が得られることが期待される。
Keywords: Human stratum corneum, Surfactant, microbeam X-ray scattering, Keratin fibril structure, Intercellular lipid lamella structure
背景と研究目的:
化粧品・香粧品には、洗浄で皮膚を清潔に保つ・有効成分を効果的に皮膚に作用させる等の目的で様々な界面活性剤または経皮吸収促進剤などの剤が配合されている。また、衣類・食器用洗剤等の生活用品中にも汚れを落とす目的で様々な界面活性剤が利用されている。これらの剤は、その種類や処理条件によっては皮膚の角層構造を変化させ、角層機能(保湿やバリア機能)の低下を招く恐れがある。そこでX線散乱法の構造解析を用いて、剤による皮膚角層の分子レベルの構造変化の有無や強弱を把握することが可能となれば、角層構造とそれに伴う角層機能への影響の無いもしくは少ない剤を見出すことができる。これにより、誰でも安心して使用可能な、皮膚への作用がより緩和な製品の設計指針に繋がると考えられる。従って、このような剤による皮膚作用機構の角層構造に基づく解明は重要な研究課題である。
我々はこれまでに界面活性剤水溶液処理に伴う経時的なヒト皮膚角層の構造変化について、特に角層細胞を構成するケラチンタンパク質に注目して小角・広角X線散乱法による解析を行ってきた[1–4]。これまでの研究では粉末やシート(1枚は約 20 μm 厚)状の角層試料をランダムに詰め込む、もしくはシートを数十枚分積層することでX線ビーム径(通常 ϕ 数百 μm)以上のサイズにした試料にX線ビームを照射して測定していた。すなわち、角層の構造情報は集合体からの平均情報として得ていた。しかしながら、角層は1枚中でも上部から下部に渡って構造が変化していることが電子顕微鏡による観察から知られている[5]。また界面活性剤等が皮膚に作用した場合も角層上部から浸透し、深さ方向に作用の結果として構造変化の分布ができることが考えられる。従って、剤の作用による角層構造の変化も一様に起こるのではなく、深さ方向に分布を持って生じると推定される。角層内部の深さ方向の構造変化を解析することで、さらに皮膚への剤の作用の詳細な知見が得られることが期待される。
そこで我々は2015B期よりBL40XUのマイクロビームX線を利用した角層1枚中の深さ方向の構造解析の検討を開始した。引き続きBL40XUでの実験を申請したが採択されず、2016A第2期でBL46XUにて実験を継続することとなった。前回と光学系等が異なるため、本実験では試料の設置と照射条件等の再検討を行い、角層1枚中の深さ方向の構造解析の手法を確立することを目標とした。
実験:
1) 角層試料:マイクロビームX線散乱法を用いた角層1枚中の構造解析としては、ロレアルの Jean Doucet らによる角層シートを微小な短冊状に切り出して観測した報告[6]があるが、このような微小切片では剤浸透の検討は困難であり、かつ乾燥の影響も懸念される。そこで我々は in situ に近い条件での角層の深さ方向の構造解析法として、従来の多くの実験のように処理された角層部分のみのシートを用いるのではなく、角層以下の表皮、真皮等も含む凍結ヒト皮膚シート(腹部由来、シート状、1×1 cm2、約 400 μm 厚、BIOPREDIC International 社(フランス)より購入)を測定前に解凍し試料とした。
2) 試料設置法:マイクロビームX線が角層部分を通過するように、図1に示したようにアルミテープを挟んで皮膚シートを折り曲げ、窓材フィルムとともにスライドマウント内に設置した。
3) 使用装置・測定条件:SPring-8のBL46XUを利用した。検出器には、PILATUS-2Mを用いて2次元散乱像を取得した。X線のエネルギー(波長)は 12.4 keV(0.1 nm)、マイクロビームX線のビーム径は水平方向 3.12 μm、鉛直方向 2.08 μm(半値幅)、カメラ長は 497 mm(ベヘン酸銀粉末試料の回折プロファイルで較正)とした。マイクロビーム形成にはフレネルゾーンプレートを用いた。露光時間は 1 s(照射損傷検討用には他の露光時間も実施)で、測定は室温(温調なし)で実施した。角層最表面から深さ方向に順次照射位置が変わるように試料ステージを移動させながら、小角・広角散乱像を各照射位置で取得した。
4) データ解析:得られた2次元散乱像を角層表面に対して垂直・平行方向に ±10° の範囲で扇形平均を計算して1次元散乱プロファイルデータを得た。
図1. 試料設置方法
結果および考察:
2015B期のBL40XUの実験とはビームラインが異なるため、今回の実験では、まず高強度のマイクロビームX線による試料の照射損傷について、露光時間の変更(300 ms から 10 s まで)、同一部位での繰返し照射などによる検討を実施した。その一例として角層表面から約 10 μm の位置における露光時間 1 s での同一部位繰返し照射実験の結果を図2に示す。8回の繰返し照射で角層の細胞間脂質構造が消失していったものと考えられた。これらの結果より、照射位置をずらしながらの測定であれば露光時間は 1 s の場合に試料損傷と散乱プロファイルのSB比のバランスが適切であると判断し、以降の測定の照射時間は 1 s とした。
図2. 同一部位繰返し照射実験での2次元散乱像(中心付近)と垂直方向の扇形平均散乱プロファイル変化。2次元散乱像の垂直方向に見えるピークは、q = 1 および 1.3 nm−1 に見えるピーク。散乱像中の黒線部分はPILATUS-2Mの検出器素子の繋ぎ目(不感ギャップ位置)。
次に幾つかの条件で測定を実施した中の代表的な結果を図3に示す。折り曲げた未処理皮膚シートの表面上方より 2 μm ステップでマイクロビームX線の照射位置を移動させたときの2次元散乱像と垂直および水平方向の扇形平均散乱プロファイルの一部を表示したものである。図3に示した散乱プロファイルは角層範囲内からのものと考えられ、矢印で示した位置に異方的な散乱ピークが観測された。これらのピークは、これまでの報告等[3,4]を参考に垂直方向の散乱プロファイルの小角領域については角層のケラチン線維および細胞間脂質ラメラの周期(間隔)由来の散乱ピーク、水平方向の広角領域については細胞間脂質のアルキル鎖パッキング由来の散乱ピークに帰属すると考えられた。また、これらの散乱プロファイルは角層表面からの深さに依存して変化している様子が観られた。
図3. 未処理角層からの2次元散乱像と垂直および平行方向の扇形平均散乱プロファイル。数字は角層表面からの深さ方向の位置。矢印は角層中の細胞間脂質構造由来と推定されるピーク。各散乱プロファイルは重ならないように縦軸方向の表示位置をずらして示している。
さらに、図4に示したリモネン処理の皮膚シートでの測定では未処理皮膚シートに比べて上述のピークがブロード化している様子が観られ、また表面に近いほど影響が大きい様子も見られた。今回の試料の保持方法では、角層下部の測定に角層上部の情報も加算されるため、厳密な深さ方向の構造変化の評価については検証が必要である。一方で、未処理の角層のデータとの比較により相対的に深さ方向の変化の程度を評価することは可能であると考えられ、今回の実験で実施した手法により角層内部の深さ方向の構造変化を解析することの可能性が示された。
図4. リモネン処理角層からの垂直および平行方向の扇形平均散乱プロファイル。数字は角層表面からの深さ方向の位置。
課題と今後の予定:
今回の試料の保持方法では、角層下部の測定にて角層上部の情報も加算される。一方で、角層内のケラチン線維および細胞間脂質ラメラ構造は扁平な角層細胞に沿って表面と水平に配向しており[3,4]、角層に対し edge 方向にX線を入射すると構造由来の散乱が顕著に得られるが through 方向に入射した場合には散乱が弱くなる。そのため、角層下部の測定では through 入射となる上部の情報の影響は相対的に少なくなると考えられる。今後は、実験や計算の手法によりX線の透過経路を見積もり、角層下部の測定にて角層上部の影響を検討したい。これによりマイクロビームX線を利用した角層中の深さ方向の構造解析手法を確立し、様々な剤による浸透実験を実施して皮膚角層への剤の作用機構の解明に繋げる。
参考文献:
[1] 山田真爾 他,SPring-8利用研究成果集, 1 (1), B (2012), 2011B1754.
[2] 久米卓志 他,日本中性子科学会誌 波紋, 24 (1), 15(2014).
[3] 久米卓志 他,SPring-8利用研究成果集, 4 (1), B (2016), 2014A1516.
[4] 久米卓志 他,SPring-8利用研究成果集, 4 (1), B (2016), 2014B1617.
[5] T. Sano et al., Archives of Dermatological Research 296, 359 (2005).
[6] J. Doucet et al., Journal of Lipid Research 55, 2380 (2014).
(Received: November 18, 2016; Early edition: April 10, 2019; Accepted: July 16, 2019; Published: August 29, 2019)