SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

早期公開 既公開版

SPring-8 Section A: Scientific Research Report

科学鑑定のためのボールペンインクの赤外放射光分光顕微分析
Synchrotron Radiation Fourier Transform Infrared Spectrometer(FTIR) Microscopy Analysis of Inks of Ballpoint Pens and Rollerball Pens for Criminal Investigation

2015A2003, 2016A1486 / BL43IR

本多 定男, 橋本 敬, 森脇 太郎, 池本 夕佳, 木下 豊彦

Sadao Honda, Takashi Hashimoto, Taro Moriwaki, Yuka Ikemoto, Toyohiko Kinoshita

(公財)高輝度光科学研究センター

JASRI

Abstract

 文書類から記載に用いられた筆記具のメーカー名、製品名を推定する試みについては、一部を切り取ってインク等を抽出し、薄層クロマトグラフィー(TLC)、液体クロマトグラフ質量分析(LCMS)、顕微フーリエ変換赤外分光光度計(FTIR)、ラマン分光等で分析する手法が研究されてきたが、2000年以降は破壊を伴わない分光的分析手法が主流となってきている[1]。 今回は、通常のグローバー光源を用いる顕微FTIR分析に比較して輝度が二桁程度高い赤外放射光を用い、アパーチャにより 2 μm に絞っての透過法による顕微FTIR分析を試みた。


Keywords: 科学捜査、法科学、微細証拠物件、赤外放射光、顕微FTIR、ボールペンインク


背景と研究目的:

 科学鑑定の分野において未だに分析手法が確立されていない分野として、脅迫状等の文書類等がいかなる筆記具を用いて書かれたものなのかに関する鑑定があげられる。筆記具の中でもボールペンは常に身近にあり、犯罪シーンにより多く登場する。

 ボールペンの歴史を辿れば、1930~1940年代に油性インクを用いたものが発明され広く普及し、その後、書き味の優れた水性インクを用いたものが開発された。さらに、これらの長所を併せ持つジェルインクを用いたものが登場し、現在では主流になりつつある。また今世紀に入ってからは、油性インクと水性ジェルを混合したエマルジョンインクを用いたものが発売された。

 ボールペンのインキは、溶剤・着色剤・合成樹脂・添加剤等から成るが、着色剤には染料と顔料があり、これらの組み合わせにより多様な種類が構成されている。けれども構成内容は企業秘密であり、公開されていない。分析結果はこれらの複合物の状態で得られるため、構成成分の同定は一般に困難であるが、多様性故に高い識別能力が期待できる。

 文書に記載されたボールペンインクの分析に関しては、赤外放射光を用いて反射法を用いた分析手法が報告され[2]、また微小部の全反射測定法(ATR)法を用いたものが報告されている[3]。ただし、これらの報告では、文書類の紙成分(セルロース)及び充填剤に由来する大きな吸収を差スペクトルで除去したうえ分析結果を評価しているため、得られた結果に大きな信頼性を期待するのは無理がある。なお、透過法を用いた報告は、多少の破壊を伴うことと採取が困難なこともあり、調べた限りでは、これまでにない。

 そこで、今回は紙の上に記載された筆記具インクについて、予備的にATR法及び反射法により測定を行うとともに、極微量を表面から採取したうえ透過法により測定を実施したことから、純粋に複合物としてのインクそのものの分析結果が得ることが可能になり、実際の鑑定に供するためのデータベース作製を目指した。


実験:

 試料は、市販されているボールペンを購入したもので、内訳は次のとおりである。

 ・ 黒色:国内5社の62種(油性20種、ジェル30種、水性9種、エマルジョン3種)

 ・ 赤色:国内6社海外1社の32種(油性12種、ジェル13種、水性6種、エマルジョン1種)

 ・ 青色:国内6社海外1社の32種(油性12種、ジェル13種、水性6種、エマルジョン1種)

 ・ 緑色:国内4社の6種(油性1種、ジェル4種、水性1種)

 ここで、油性、ジェル、水性、エマルジョンの区分けは、それぞれに記載されている説明書きに従った。また、水性ジェルは水性、ハイブリッドはジェルに含めた。

 これらを用いて、一般的なコピー紙上に直線を描き、試料とした。

 SPring-8のBL43IRに設置されているBruker社製VERTEX70&HYPERION2000赤外顕微装置を使用し、赤外放射光を光源として測定を実施した。測定条件は、次のとおりである。

 ・ 対物レンズ:カセグレン 36倍

 ・ 分解能:4cm-1

 ・ スキャン回数:64 scan(4000~1000 cm-1

 ・ アパーチャ:2 μm 角

 まず、コピー紙に記載されたボールペンインクについて、反射法及びATR法により測定したが、バックグラウンドの紙の影響を差スペクトルで除去するのは困難であり、インク由来の特性ピークも再現性が乏しい結果を得た。

 そこで、極微量を表面から採取し、透過法により測定を試みた。まず、メスの刃先、針を用いて採取を試みたが、スペクトルにセルロースの影響が大きく認められたので、断念した。そこで、使い捨ての注射針を用いたところ、先端部のエッジ部にうまく採取することができたので、そのまま BaF2 板に移動させたうえ、半透明のプラスチック製スパテラで潰し、測定した。図1にサンプリングの様子を示す。


図1.注射針を用いた採取の状況


結果および考察:

 まず、yu01 について得られた結果と、後日に同試料をスライドグラスに塗布したうえグローバー光源で測定(アパーチャ:10 μm 角)した結果との比較のために、1000 cm-1~2000 cm-1 の範囲を図2に示した。これらに差異は認められず、図3(文献4のFig. 1を転載)と比較したところ、色素のメチルバイオレットに由来すると判断された。


   

 図2.yu01のIRスペクトル[紙に記載]と[スライドグラス塗布]の比較


   

 図3.メチルバイオレットと同定されたIRスペクトル


 黒色ボールペンインクについて測定したもののうち、セルロースの影響が大きくないものを選んで、1000 cm-1~2000 cm-1 の範囲を図4、図5に示した。


         

図4.黒色油性・エマルジョンインクのIRスペクトル   図5.黒色ジェル・水性インクのIRスペクトル


 図4に見られるように、油性インクは大部分は類似する結果で、色素のメチルバイオレットに由来すると判断された。yu03 は、色素のアシッドブルーに類似すると思われたが、細部に差異が見られたので判断できなかった。また、エマルジョンインクは基本的に油性インクを乳化状態にさせたものなので、やはりメチルバイオレットに由来すると判断された。

 図5にジェルインク及び水性インクの結果を示した。これらの構成成分による帰属は困難であるが、ge01 で示したものは、メチルバイオレットに由来すると判断された。

 黒色インクのIRスペクトルによる識別能力を確認するために多変量解析の階層的クラスター(HCA)分析を実施したところ、図6に示したデンドログラムを得た。 yu08 で示したものはセルロースの影響を受けているので re01 で示すセルロースに隣接する結果になった。また、em01、em02 で示したエマルジョンは、油性に近い位置を示している。

 次に、赤色インクについての結果を図7~9、青色インクについての結果を図10~12、緑インクについての結果を図13に示す。いずれも 1000 cm-1~2000 cm-1 の範囲である。


   図6.黒色インクIRスペクトルのHCA分析結果


         

図7.赤色油性・エマルジョンインクのIRスペクトル    図8.赤色ジェルインクのIRスペクトル


         

   図9.赤色水性インクのIRスペクトル        図10.青色油性・エマルジョンインクのIR


         

   図11.青色ジェルインクのIRスペクトル      図12.青色水性インクのIRスペクトル


   

図13.緑色油性・ジェル・水性インクのIRスペクトル


 赤色インクについて代表的な赤色色素のIRスペクトルと比較したが、帰属は困難であった。

 図7の No. 21、No. 33 と図8の No. 23 は同じメーカーの油性及びジェルであるが、同じ色素を使用していると考えられる。また、図7の No. 1、No. 2 (いずれもA社)及び No. 37 (C社エマルジョン)も、同じ色素を使用していると考えられる。

 図8のジェルインクは、同一メーカー間で類似するが、識別能力を期待できそうである。なお、図9の水性インクは、A社4種、D社1種であるが、これらは類似している。

 青色インクについては、図10の No. 50 はメチルバイオレットに由来すると考えられるものの、その他については代表的な青色色素のIRスペクトルと比較したが帰属は困難であった。また、図10の No. 2 (A社)及び No. 38 (C社エマルジョン)は、同じ色素を使用していると考えられる。図10のジェルインク、図11の水性インクについては、ある程度の多様性が認められる。

 緑色インクについては、試料数が多くないが、多様性が見られ、識別能力は期待できそうである。

 以上のことから、ボールペンインクを極微量ではあってもセルロースの影響を受けない部分の採取ができれば、透過法により識別能力を有する分析結果を得ることができた。これは、赤外放射光を用いた赤外分光分析の威力をいかんなく発揮したものである。


今後の課題:

 紙に記載されたボールペンインクを極微量採取し、透過法により赤外放射光分光分析を実施した。セルロースの影響を受けずに測定するためには、採取にかなりのスキルが必要である。今回は使い捨ての注射針を使用することにより、極微量採取に成功した。採取の成否は、スペクトルの再現性という点でも非常に大きなポイントである。マニピュレータを使用することにより、この問題を解決することが必要だと思われる。

 なお、IRの分析結果のみからボールペンのメーカー、品名を識別するのは少々無理があるが、放射光蛍光X線分析を併用することにより識別能力は格段に進歩すると考えられる。


参考文献:

[1] Matias Calcerrada, Carmen Garcia-Riz, Analyctica Chimica Acta, 853, 143 (2015).

[2] T. J. Wilkinson et al., Applied Spectroscopy, 56, 800 (2002).

[3] Yun Sik Nam et al., Journal of Forensic Sciences, 59, 800 (2014).

[4] Janina Zieba-Palus, Marcin Kunicki, Forensic Science International, 158, 164 (2006).

[5] Bryan A. Hanson, ‘An Introduction to ChemoSpec’, https://cran.r-project.org/web/packages/vignettes/ChemoSpec.pdf



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ⒸJASRI


(Received: September 30, 2018; Early edition: January 30, 2019)