SPring-8 / SACLA Research Report

ISSN 2187-6886

Volume7 No.2

SPring-8 Section A: Scientific Research Report

電気化学反応測定セルによるフェニル化シリコンナノシートの赤外顕微分光
Infrared Microspectroscopy of Phenyl-Modified Organosilicon Nanosheets by Electrochemical Reaction Cell

DOI:10.18957/rr.7.2.137
2013A1341, 2014B1953, 2015A1491, 2015B1437, 2016B1832 / BL43IR

池本 夕佳a中野 秀之b

Yuka Ikemotoa, Hideyuki Nakanob

a(公財) 高輝度光科学研究センター 、b(株) 豊田中央研究所

aJASRI, bTOYOTA CENTRAL R&D LABORATORIES, INC.

Abstract

 シリコンナノシートの作成は、液晶ディスプレイや薄膜太陽電池など様々なデバイスへの応用が期待されており、多くの精力的な研究が報告されている。本研究では、紫外線照射により電導性が発現するフェニル基で修飾したシリコンナノシートを測定対象とした。この試料に電解質中で電圧を印加し、紫外線照射下で電流が流れる状態で、赤外スペクトル測定を行うことができるセルの開発を行った。また、電導機構の解明を目指して、赤外スペクトル測定を行った。


Keywords: 赤外放射光、顕微分光、試料環境制御


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背景と研究目的:

 シリコンナノシートの作成は、液晶ディスプレイや薄膜太陽電池など様々なデバイスへの応用を目指して精力的な研究が行われている。2010年に豊田中央研究所の中野らは、図1に示す紫外線照射により電導性が発現するフェニル基で修飾したシリコンナノシートの合成に成功した[1]。 この物質は、ダイヤモンド構造のシリコンを、その(111)面で切り取ったシートの上下に、水素とフェニル基が結合した二次元材料である。その厚さは 1 nm であり、シリコンは一原子層で構成されていると報告されている(図1(a, c))。また、ブラックライトを照射すると図1(b)のように青色の蛍光を呈する事も知られている。しかし、紫外線照射によってどのように光応答電流が発現しているか、というメカニズムが未解明である。理論計算では、フェニル基で修飾されたシリコンナノシートのバンドギャプは 1.92 eV で、紫外線照射によりフェニル基周辺で励起された電子が電導に関与している可能性が示唆されている[2]。このような変化は、赤外分光において、分子振動の変化として捉えることができる可能性がある。そこで我々は、光応答電流発現の起源解明を目指して赤外分光を行うこととした。電解質中に配置したフェニル化シリコンナノシートに電圧を印加し、紫外線を照射して、電流が流れる状態を再現し、赤外スペクトル測定を行うことができるセルの開発を行った。これにより、電圧印加状態で、紫外線の有無により、官能基がどのように変化するかを赤外スペクトルを通じて捉えることが可能となり、機構の解明が期待される。

図1. フェニル化シリコンナノシート(組成式;Si6H4Ph2)の概略。(a)AFM像、(b)蛍光特性、(c)モデル構造。

 

 通常、実験室の赤外分光ではグローバーランプなどの熱輻射光源が利用される。これと比較して、赤外放射光は、輝度が高いことが特徴である。高輝度特性の利点を活かすため、日本のみならず世界中の赤外ビームラインにおいて、顕微分光測定が主として行われている。高い空間分解能が必要な実験では、放射光光源を利用した方がスペクトルのS/N比がよくなり、効率よく測定できる。ただし、顕微分光の空間分解能は回折で制限される。赤外光は波長が長いため、約 2 µm が最も高い分解能である。市販の赤外顕微分光装置の性能は近年向上しており、室温・大気圧条件で、放射光の性能が熱輻射光源に勝る空間分解能は約 10〜2 µm の範囲で、これだけでは、赤外放射光が有効に利用できる間口が狭いと言わざるを得ない。一方、例えば低温測定のクライオスタットや、高圧測定用のダイヤモンドアンビルセル、湿度調整セル、溶液セルなど、試料の測定環境を制御する付加的な装置を用いて顕微分光を行うと、放射光光源が熱輻射光源に勝る空間分解能が数 10〜2 µm となり、赤外放射光活用の間口を広げることができる。クライオスタットや溶液セルなどの窓材、ダイヤモンドアンビルセルのダイヤモンドなど光学素子を使用すると吸収等により赤外光のロスが発生し、輝度の利点を強調できるためである。我々はこのような観点から、様々な環境で赤外顕微分光を行うための装置開発を行っている。本研究において扱う電気化学反応測定セルも、赤外放射光の活用範囲を広げる意味で大変重要である。

 

実験:

 測定試料は、既報[1]に従い合成したフェニル化シリコンナノシートを用いた。なお、合成したナノシートが光応答電流特性を示す事を確認した後に、測定に供した。測定は、BL43IRの高空間分解顕微鏡ステーションに、電気化学反応測定セルを設置し、反射配置で行った。高空間分解能顕微鏡ステーションは、フーリエ変換分光光度計(BRUKER 社製 VERTEX70)と赤外顕微鏡(BRUKER 社製 HYPERION2000)で構成されている。測定温度は室温で行なった。使用したセルについては、以下に詳述する。

 図2に、本研究で電気化学反応を測定するために準備したセルを示す。セルは、東京大学の原田らが軟X線吸収・発光分光で燃料電池の電極反応を観測するために開発したもの[3,4]を参考にした。図2の右は組み上げたセルの写真、左は内部構造の模式図である。左の模式図において、斜線部分は、セル容器で、その中に金属板上にのせたシリコンナノシート試料を入れ、セル容器内を電解質 1M の K2SO4 で満たした。金属基板の下部に接するように一つの電極を配置し、もう一つの電極は電解質内で金属板には接触しないように配置する。電極間には 8 V の電圧がかけられるよう、定電圧電源に接続した。セルの上部は、ダイヤモンド窓を設けた蓋で固定した。ダイヤモンドは直径 10 mm、厚さ 0.4 mm のものを使用した。セルを組み上げた状態の写真を図2右側に示した。セル上部の赤外光および紫外線を照射する開口部は直径 8 mm として作成した。セルは、高空間分解顕微鏡の試料ステージにのせ測定を行った。赤外光はセル上部から照射し、反射スペクトルを測定した。顕微鏡の対物鏡の倍率は15倍で、試料上におけるスポットサイズは直径およそ 20 µm であった。試料に照射する紫外線はファイバーを利用して、顕微鏡の対物鏡の脇から照射した。紫外光源はキセノンランプ(朝日分光社製 MAX-C100)を使用した。紫外線を単色化のための光学フィルターは使用していないが、光源に装着するコールドミラーモジュールにより、250〜400 nm の紫外線だけを取り出し試料に照射した。また、照射出力は 100 W とした。フェニル化シリコンナノシートの中赤外領域スペクトルには様々な分子振動が観測されるため、低波数側は 600 cm-1 まで必要である。また、本課題では試料に紫外線を照射する。セルの窓材は透過帯域によって種々に選択できるが、紫外線から 600 cm-1 までの広い波数領域を透過する窓の材質として、ダイヤモンド窓を使用した。

 

図2. 電気化学反応測定セルの模式図と写真。セル上部の赤外光および紫外線を照射する開口部は直径 8 mm として作成した。

 

結果および考察:

 図3は、反射配置で測定した試料の吸収スペクトルである。 (a)は 600~6000 cm-1 の領域を示しており、(b)では 600〜2000 cm-1 の波数領域を拡大して表示した。(a)および(b)の図中に absorbance 0.1 に相当する縦線を記載した。試料は、図2で説明したセルの金属基板上に置いており、試料に上から入射した赤外光は試料を透過し、金属基板上で反射して観測される。このスペクトルをItとする。試料がなく金属基板が露出している場所で測定したスペクトルを I0 スペクトルとし、It/I0 から吸収スペクトルに変換して図3を得た。黒色のスペクトルは、セル内の金属基板上にフェニル化シリコンナノシート試料があるが、電解質と窓は置かない状態で測定したスペクトルである。青色のスペクトルは金属基板上に試料を置き、電解質を入れて更に上から窓を置いてセルに蓋をした状態で測定したスペクトルである。黒色のスペクトルは、論文[1]の形状をよく再現しており、3000 cm-1 付近のC-Hや 1500〜1000 cm-1 付近の Si-Phenyl に由来するピークなどが観測されている。フェニル化シリコンナノシートはペースト状で、金属基板上に薬さじで擦りつけてのせており、厚みは場所によって一定ではない。黒色のスペクトルは、ピークが飽和せず明瞭に観測される位置を顕微鏡上で探して測定した。青色のスペクトルでは、ベースラインの変動があるが、特徴的なピークは抑えることができている。参照スペクトルとなる I0 測定の際には、試料の厚み分の電解質を赤外光が通ることになる。このため、青色のスペクトルでは電解質の主要成分である水の吸収に由来するディップ構造がのっており、これがベースラインの変動を引き起こしている。5200、3700、2300、1800 cm-1 付近で観測されているディップ構造は、水の吸収に由来する。この他、およそ 60 cm-1 間隔の周期的な構造も観測されている。これは、ダイヤモンド基板の底面と金属基板の間で起こっている干渉に由来するものと考えられる。青色のスペクトル測定の際には、黒色のスペクトルの際に言及した試料の厚みが最適となる場所を選ぶのに加えて、電解質が多すぎない場所を選択する必要がある。電解質が多いと、水の吸収が過剰となり、試料に由来するピーク構造が観測されなくなる。セル中では、明瞭なスペクトルが観測される場所は非常に限られており、この点において、顕微分光は重要である。従って、広い波数範囲で顕微分光を行うことができる放射光光源に適した実験であるということができる。

  

図3. 黒のスペクトルはセル内の金属基板上に置いたフェニル化シリコンナノシートの吸収スペクトル、青のスペクトルは金属基板上にフェニル化シリコンナノシートを置き、電解質を入れて更に上からダイヤモンド窓を置いてセルに蓋をした状態で測定した吸収スペクトルである。(a)は 600~6000 cm-1 を表示しており、(b)では 600〜2000 cm-1 の波数領域を拡大して表示した。

 

 次に紫外線照射条件におけるスペクトルを示す。図4は、顕微鏡上で、セル中の試料に紫外線を照射して測定したスペクトルと、紫外線を照射しない状態で測定したスペクトルの差分である。電極間には電圧を 8 V かけており、紫外線照射時には電流が流れる状態である。図4においては、3500~5000 cm-1 付近に構造があるように見えるが、これはベースラインの歪みであり、測定ごとに再現性がない。測定の手順は、まず I0 を金属基板上で測定し、試料上で紫外線を照射して測定、その後場所を変えずに紫外線照射をやめて測定した。それぞれの測定は、波数分解能 2 cm-1、積算回数300回として測定しており、1つのスペクトルの測定時間はおよそ3分である。紫外線の有無の違いを場所を変えずに測定しているが、測定時間3分の間に、電解質の変動などがあってベースラインの歪みを引き起こし、精度の高い差分スペクトルが観測できていないと考えられる。そこで我々は、試料のスペクトル測定の際、積算回数を50回と短くして、紫外線照射と照射しない状態を20回繰り返すことにより差分スペクトル測定を行なった。I0 スペクトルは図4の場合と同様300回積算で行った。この結果を図5に示す。50回の積算回数の場合は、1つのスペクトル測定に要する時間は10秒程度である。図5では、表示した波数範囲全体でベースライン一定となり、差分スペクトルの質が大幅に向上していることがわかる。図5において、図3で観測したフェニル化シリコンナノシートに由来するピークの波数位置に変動があるかどうか、が本研究において重要な点であるが、観測されていない。図5中の右上に波数領域 600〜2000 cm-1 を拡大したスペクトルを示した。1000 cm-1 以下に非常に線幅の狭い構造が観測されているが、これらは、図3の構造と比較して線幅が狭いほか、ピークの波数が異なっている。試料がない位置で同様の測定をしてもこの構造は観測されており、なんらかの電気的なノイズに由来する信号であると考えられる。本試料において、紫外線照射による分子振動の変動は、検出できる大きさではないことがわかった。一方、試料を電解質とともにセル中に配置し、電圧をかけながら紫外線も照射するという複雑な配置で試料測定を行い、精度をあげて差分スペクトルを測定することができるようになったことは、重要な成果である。

図4.紫外線照射の有無による差分スペクトル。積算回数は300回として測定した。

図5.紫外線照射の有無による差分スペクトル。積算回数は50回とし、紫外線照射と消灯を20回繰り返して測定した。右上には波数領域 600〜2000 cm-1 を拡大したスペクトルを示した。

 

今後の課題:

 多様な外部条件において、赤外顕微分光を行う実験は、赤外放射光活用の観点から非常に重要である。本研究で作成したセルや知見を元に、電圧の印加や紫外線照射によりさらに大きな分子振動の変化が期待される試料を探索して、実験を計画する予定である。

 

参考文献:

[1] Y. Sugiyama et al., J. Am. Chem. Soc., 132, 5946-5947, (2010).

[2] M. J. S. Spencer et al., Phys. Chem. Chem. Phys., 13, 15418-15422 (2011).

[3] H. Niwa et al., Electrochem. Comm., 35, 57-60 (2013).

[4] D. Asakura et al., Electrochem. Comm., 50, 93-96 (2015).

 

(Received: September 28, 2018; Early edition: February 26, 2019; Accepted: July 16, 2019; Published: August 29, 2019)